野田祐機のブログです

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1年9ヶ月経った東北のいま 

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先日、岩手、宮城、福島と被災地をまわってきました。今回で3県の沿岸部をまわるのは4回目。 岩手だけ、宮城だけ、福島だけ行く人は多いですが、3県回るとそれぞれに違いが見えてきます。

東北、被災地の話→ガレキとか大変な話。。。 と思われないように、写真もいろんなものを撮っています。文も、内容もそういう風に書いていくのでぜひともフラットな感覚でみてもらいたい。

実は今回は長崎に住む父(もちろん被災地に行くのは初めて)と一緒に周ってきたので、その内容もあわせて書いていきます。ではどうぞ。(タイトルは1年9ヶ月としていますが、11月末の話。 ブログ書くのが遅くなってこうなっています)

きっかけ

私が東北に行ったのは昨年の6月。
自分が変わったのも大きいのですが、被災地の現状をたくさんの人にみてもらいたいと思い、「一回、東北に言ってほしい」と家族にも友達にも口酸っぱく言ってたもので、今回は長崎の父が東北に行きたいと言うので、一緒に回ってきました。

父は、長崎県内の小学生・中学生を対象に講演を行っています。話をしている内容は、自身の看護師の経験と小さいころに事故にあった末っ子を人工呼吸して助けた話をいろんなところでしています。

いろんなところで話す機会がある父だこそ、東北のことをみんなに話をしてほしい。そうおもって2泊3日で回ってきました。

 

 

仙台->女川

まずは東京から新幹線に乗り、仙台へ。仙台でレンタカーを借りて、まずは石巻から雄勝のルートを通って行きました。

まず寄ったのが、女川。ここは津波が高台の女川病院の一階まできたことが知られています。海から近く、津波の影響でビルが横倒しになっているのが今でも分かります。震災から20ヶ月経っても、家はまだなく、当時のままのところが多いです。

 

朝早くに東京を出て、ついたのはお昼ごろ。一旦ここでご飯を食べます。特選海鮮丼、めっちゃ美味しい!!

女川→雄勝

さて、腹ごしらえもしたところで次は雄勝に入ります。
ここでは未だに津波の被害がいたるところでわかります。 20ヶ月経っても、建物もそのまま。 そして、見た場所にはほとんど人がいませんでした。

初めて東北に来た父にとってはやはり、実際に被災した建物、誰もいない場所をみるのはショック。二人とも言葉がありませんでした。

 

大川小学校

雄勝から走り、川を渡るところに大川小学校があります。この小学校は、津波が川を伝って小学校を遅い、たくさんの犠牲者がでた小学校です。

私は何度か来ましたが、ここにくると犠牲になった小学生の多さ、献花台のお花、そして今でも残る小学校に胸が苦しくなります。献花台に二人でお参りをし、しばし周りを見学。

当日は連休ということもあって、各地から視察の人が多かったです。青森、山形、宮城といろんな方が沿岸部に足を運び、視察されていました。 風化していると東京では言われていますが、未だに震災のことを想い、沿岸部に足を運ばれる方が多いことが嬉しく思いました。

 

 

南三陸町

日も落ちてきたので先を急いで、南三陸町の防災庁舎へ。車の中では最後の最後まで避難のアナウンスをされた遠藤未希さんの話になる。いろんなことが20ヶ月前に起こったことを二人で再認識し、お参りをしました。父は献花台にあったたくさんのメッセージを読んでいました。

 

ここで私が思ったのは、人が多かったことと工事が進んでいること。

写真の右上。実は道路の工事が進んでいます。 やっぱり復興は着々と進んでいるのです。町が再建し始める、そこに人が集まってきていることが私にとっては本当に嬉しかったです。

見学していると、なんか見たことある人と目が合いました。しばらくお互い見つめ合って、「あー!!!!」みたいな感じに。

この10日前に大阪でお会いした平山美聡さんと再開。 確かにお互い、この日南三陸町に行くことは話していましたが、まさか会うとは思っておらず

 

いやー、ほんとうに見つめ合っちゃいました(笑
あれ、あれ、あれ、みたいな。 ちょっと運命でしょーこれ! みたいな話をしたとか、しなかったとか。
ふっふっふ、このあと二人がどうなったかの続きは秘密です!なんてね(笑

そんな感じで南三陸を後にし、夜の間に大船渡まで北上して民宿に一泊でした。

 

 

大船渡でのお話

大船渡では民宿に泊まりました。 そこのおばちゃんの知り合いがいろんな話をしてくれました。

その方はNPOの職員で、仮設住宅でのケアをされています。印象的だったのは今年になって、仮設住宅で「お金」の話が多くなったとのこと。いつまで仮設にいれるのか? 仮設住宅を出たあとのお金や仕事があるのか? そんなことをみんなが考えるようになって、ギスギスした雰囲気になっているそうです。

確かに雇用がないと自立もできない。 元々、沿岸部というのは漁業や農業がさかんな地域で、そこが津波で破壊されてしまい雇用がないのがいま。そんなお話を聞いてすごく考えさせられ就寝。復興は進んできているが課題が本当に多い、それが東北の被災地の今だと再認識。

 

大槌

2日目の朝は大槌からスタート。大槌の役場にいってしばし視察。 以前きっかけバスで聞いた話を父に話す。いろんなことを見て回るが、未だにやはり被害が大きい。

 

大槌ではお会いしたかった人がいた。きらりベースの吉田駅長と一度だけお会いしたことのある高橋辰龍さん。 お二人とも復興の活動をFacebookにアップされていてこれまで一度しかお会いしたことなかったのですが、ぜひこの機会にご挨拶をしたかったのです。

復興のお店があつまるきらりベースにて、吉田駅長に再会。 いろんなお話を伺うと、高橋さんは10分前にこのきらりベースにいらしたそうでニアミス! 辰さんに会いたいです!としつこく言ったのがよかったのか、吉田駅長が辰さんが活動されているところに連れて行っていただき、無事辰さんにも再会。

 

 

この日はクリスマスのライトアップを指揮されていた辰さん。お時間をさいていただきしばし、お話させていただきました。人にお会いすると元気がでました。 復興支援がんばろう、そう思えるのは何より、現地で頑張っている人の顔が浮かぶんです。

 

あの人のために、あの町のために、ボクは何ができるのだろうか? その自問自答を繰り返し、今にいたります。 吉田さん、辰さん、お会いできて光栄でした。ありがとうございました。

 

 

陸前高田

そこから車を走らせて陸前高田へ。私が最初に震災後東北に入ったのは、陸前高田。 当時は衝撃でした。 何かしなきゃ!何とかできることをしなきゃ!そのことで頭がいっぱいでした。その時のブログはこれ。

津波の被害も大きかったので未だにその傷跡が残ります。壊れた防波堤、4階まで津波のきたマンション、地盤沈下している土地。 と未だに復興に進んでいない地域もあります。 沿岸部は特にそうです。

 

車を走らせていると、ボランティアの団体と会うことができました。東京からボランティアバスで来た方が多く、当日はお花畑を耕すボランティアをされていました。

 

 

 

陸前高田というと奇跡の一本松が有名ですが、すでに切られていたのでそこには立ち寄らず。変わりにボランティアで陸高に行く人には有名な、ボランティアセンター(通称ボラセン)にいってきました。12月の終わりに閉所が予定されているボラセン。いつも仲良くさせていただいているフミさんと伊藤さんにご挨拶。関われる場所として残ってほしいなーと思っています。

ボラセンファンとして嬉しかったのは、ボラセンで使っているコップに「なじょにかすっぺ」のロゴとその意味が書いてありました。大手企業がプリントしたものを寄付したそうです。

「つないで陸高、なじょにかすっぺ」  一人ではできないけど、みんなでつなげて、助け合ってなんとかしようよ。 そんな意味です。

みんなでなんとかしようよ。高田にくるといつもそう思ってます。

 

 

気仙沼

気仙沼港を目指して移動。 途中に打ち上げられた船をみていきます。ここは周りは未だに家がないところも多いですが、車の通りも多くなった。町の中に船。はじめて見る父にはここも衝撃だったようです。

 

 

ここで遅めの昼ご飯を屋台村で。休日ということもあり人も多かった。
屋台村ではいつもお世話になってる、大漁丸でご飯。
おかみさん、いつもながらお元気そうでなによりでした。おかみさん、しかもTシャツのマネキンにもなってた(笑

 

屋台村は活気づいているが、外にはまだ被災したままの家、地盤沈下で被害がしている場所もありました。

そんななか、一生懸命屋台で働くおばちゃん、周りのみなさんには本当に頭が下がります。こうやって、誰かを連れてきてお金を落とすことしかできないけれど、引き続きがんばります。 その後、石巻まで行って就寝。

 

石巻→閖上

3日目の朝は7時出発。本当は再会した石ノ森章太郎館に行きたかったけど、それはまた今度に。石巻は至る所に仮面ライダーなどの石ノ森章太郎の漫画のキャラクターがたっています。これは見ていて面白いですよ。写真は市役所前のライダー。

 

高速を走らせ閖上へ。

閖上は仙台からも近い場所、かつ被害も大きかった。まずは小学校へ。片付いて入るものの今もそのままです。

その後、記念碑に行きお参りをしました。 今回の震災の特徴は、街が津波で流されたこと。 文字通り街がなくなる。その光景を目にします。

20ヶ月経ってもこの状況。 復興は進んでいる場所もありますが、やっぱりまだまだ当時の状況が残っている場所も多いのです。

 

 

 

福島

岩手、宮城と周り、最後の福島県に入りました。福島県では沿岸部には寄らず、南相馬から飯館へ入り、浪江町の立ち入り禁止の直前までいくことに。

 

ガイガーカウンターを持っていたので、都度線量を図りながらはしりました。山道に入ってすぐに気づいたのが、黒い袋の束。(写真左上)

これ除染した後の落ち葉とかが入った袋です。 これがずーっと並んでいました。

 

福島では放射能の問題があります。放射能が高いところは、放射線値を下げる除染をするのですが、その除染した落ち葉や泥を置いておく、処理場がいまだに決まっていません。 仮置き場はあったとしても中間処分場、最終処分場が決まっていないから、除染が進まない現状があります。

そんな話を父としながら、車を走らせます。

 

行く先々で上の写真の通り、福島はきれいな場所が多い。被災する前は、「うつくしま、ふくしま」と言われていたのを実感します。この山も湖も放射能で汚染されている。 こんなに美しいのに。

 

原発に対しては以前書いたノートをみてもらいたいが、やはり事故があったことは私も許せなくなります。 この美しい土地が。。。そんな気分で車を運転していました。

 

ガイガーカウンターは、南相馬で0.2 μSv/hr, 飯館村で 0.9μSv/hrでした。

放射能は目に見えない。 だからこそ、線量計で自分の目で数値の違いをみておくのが必要です。 父が言っていた「目に見えないというのは怖い」という言葉。 私もそう思います。最初に福島に来て飯館を通った時、線量計が1を超えてピーピーいっていたのが本当に怖かった。その時のブログ

 

浪江町へ

警戒区域ギリギリまで行こうということで、浪江町へ。

この浪江町は放射能の影響で全町避難を余儀なくされており、住民はだれも住んでいない町。

 

誰もいない商店街、誰もいない小学校を見て行くと、バリケードに当たります。ここから先は放射線値も高く、立ち入り禁止。 ここで放射線値を測ると1.8μSv/hr. やっぱり放射線値は高かった。

 

 

その後福島市へ戻り、除染情報プラザにて放射線の知識を学ぶ。この場所は本当に分かりやすく説明してもらえるので、おすすめです。
そんなこんなで3日間の父との東北ツアーは終了。
仙台から新幹線で東京へ戻ったのでした。 被災地域とにぎわっている仙台駅。ひとまとめに東北といっても地域に違いがあることを再認識してしまいました。

 

最後に

陸前高田にリンゴの木がありました。父も私も九州の生まれだから、リンゴが木になっているのを初めて見ました。その赤い実がなんともいえない豊さを表している感じがしました。

実は3県を回っていた時にずっと考えていたのは、復興のこと。走りながら実は凹んでました。最近、よく言われるのが 「沿岸部は本当に復興するの?」ということ。元から水産業がメインで、過疎化、高齢化が進んでいた地域に今回の大震災と津波がありました。産業もない、人もいない、もう行政にお金もない、そんな地域が本当に復興するのだろうか? そんなことばかり考えて走っていました。迷っていました。

そんなのが吹き飛ぶくらい、リンゴが嬉しかった。楽天家の父と三日間いたからか分かりませんが、陸前高田で人に会い、リンゴを見た辺りから元気がでました。

 

実はこのブログを書くのに時間がかかった。途中までは書けたんだけど、最後のこの部分をなんて書くかをずっと迷っていました。 被災の現状は車で走っていても未だに分かる。だからといって、復興が進んでいないわけでもない。
ポジティブに書くべきか、みなさん、もう少し支援が必要です! とネガティブに書くべきか迷いに迷って、今ようやく書けています。 正直な気持ちを書いています。多分、ポジティブなのかネガティブなのか、これって現地の人もそうじゃないのかな?とふと思いました。 工事も進んで復興が進んでいないわけではない。前を向きたいけど、震災のことは思い出す。 そんな中で日々の生活があり、ポジティブにもネガティブにも、ひょっとしてよくわからないんじゃないかな?
それこそ、陸前高田のボラセンが無くなるのは災害時が終わり、復興に向かって進むいいことなんだけど、無くなるのが切ない。それが21ヶ月経った今のような気がしています。だから、リンゴを見た時に何かが生まれる息吹を感じて嬉しかったんだと思う。

復興。未来。新しい地域。といい言葉だけ並べていても復興は進みません。
そこには人がいて、その人たちが地域を作る。私には東北の皆さんの本当の気持ちは分からない。分かりたくてもそれは当事者じゃ以上は、絶対に理解できないとおもっています。悔しいけれど。
だから、自分の視点は持ちつつも、もっともっと現地に寄り添った形で私自身も復興に関わりたいと思っています。もっと東北のみなさんにお話を聞きながら進めていきたいと思います。
ブログはここまでですが、最後の最後にご案内を。

実は、私がずっと関わっている東北にボランティアに行く合宿が22−24日の連休で実施されます。 21日の夜から出発し、車中泊をして2泊3日でボランティアと対話を繰り返します。 前の記事はこれこれ。学生枠は埋まったけど、まだ社会人の枠がじゃっかん空いています。社会人の方はぜひともご検討下さい。

 寄付のお願い

このツアーでは学生の費用を工面するために大人が寄付をしています。お金がない学生を被災地になんとかいってほしい。そんな思いで彼らの交通費を寄付で集めています。これまで1年9ヶ月の間に150名以上の学生が参加し、400万円以上が集まっています。今回も寄付を募集していますので、一口5000円からどうぞご検討下さい。

心からお願い申し上げます。
イベント詳細はこちらです。

寄付の振込先は下記。

振込先: 三井住友銀行 東京営業部 普通)2576405 佐藤正之

振り込んでいただいた方は、今回のリーダーの佐藤正之 さんまでメッセージを。

 

長文に加え最後にお願いばかりですが、読んでいただきありがとうございました。今年も残り少し、みなさまお体にお気をつけて。 復興支援、これからもがんばります!

  • この記事を書いた人

野田祐機

外資系企業、NPOを経て、2016年に株式会社forsistersを起業。eiffelという手紙サービスをやっています。 28歳からブログを始め、コミュニティーやこれからのトレンド、古典、英語学習などの記事を書いています。 プロフィールはこちらから http://learnbydoing.jp/aboutme/

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