野田祐機のブログです

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ボランティア

1年経った東北で、若者たちは何を見たのか? -クリエイティブの可能性 春合宿-

更新日:

行ってきました、東北へ。

4月6日、夜11時に麻布十番を出発し、南三陸、陸前高田でボランティア。その間、現地の人たち、仲間との対話をくりかえす、3泊4日のクリエイティブの可能性 春合宿。

あの311から一年たった東北で42名の参加者が何を見て、何を感じたのかをまとめていきたい。長い文書だが、見やすいように写真をふんだんに使っている。読みづらい方はぜひ、写真と最後だけでも見てもらえるとありがたいです。

今回の合宿の背景についてはこちらの記事

4月6日 23:00  出発

今回の参加者は私を含めて合計 42名。(学生30 名、社会人12名:男女比はちょうど1:1)
南の端の鹿児島、西の端長崎の佐世保といった遠方からの参加者が多かったのが特徴的だった。最年少参加者は15歳。最年長は46歳と幅広いバックグラウンドをもつ参加者が集まった。

集合は22:30に麻布十番のドリームデザインラボ。 遅刻もなく、全員が時間通りに集合。見送りに夏、冬に参加したメンバーが数人が来てくれていた。これまでのみんなの思い、初めて東北へ行く不安、初対面同士のメンバーの緊張感と出会いへの期待。 参加者それぞれが、さまざまな思いを胸にバスは東北へ向けて出発した。

行きのバスでは合宿の全体像、そしてこの合宿の軸である

  • 対話
  • ありのまま
  • 一歩踏み出す勇気
  • 101%
  • 感謝
  • つなぐ

を最初に説明し、そこから自己紹介を兼ねた一人一人のチェックインをスタート。まだ、緊張しながらも一人ひとり参加のきっかけ、思いを話していた。「自分の目でみないとわからない」、一年たって初めていくメンバーからはこの言葉が多かった。

今回、ファシリテーターの私が一番力をいれたのが、この対話の設計。自分自身との対話。 現地の人との対話。 仲間との対話。 それぞれ、話をすることで見えてくるものがある。参加者一人ずつにノートを配り、気づいたことを書いてもらう。 横に座るメンバーを毎日変えて、話をしてもらう。そして、夜、みんなで話をする。

初対面の人が多いため、チェックインのあとはあえて時間をとり、横の人と話をしてもらう時間を作った。ふつうはすぐに終わるのだが、やはり人は話をしたい生き物。チェックインの後も、バスが静かになるまでは時間がかかったのが印象的だった。

夜は更け、次第とみんな休み始めた。 私はやはり緊張していたのか、4時くらいまで目をつぶっていても眠れなかったのを覚えている。

南三陸町:防災庁舎前 -> ボランティアセンター

朝、道の駅で着替えと朝食を済ませ、ボランティア活動をする南三陸町へ向かう。到着の時刻が早いため、途中で防災庁舎前に40分ほど立ち寄る。
初めて東北に来たメンバーは、ここではじめて震災の傷跡を見ることとなった。

「言葉がでない」、「胸が痛い」、「今の感情がわからない。だけど涙だけでる」 といった声がきけた。みんな思い思いに見て回り、写真をとっていた。

私も冬の合宿で同じ場所を訪れたが、今回のほうが見学する時間が長く、病院の上の舟、近くのガレキの山も見れた。 1年たってこの状況に、自分自身も改めてどう受け止めてよいかがわからなかった。

少しだけ参加者の言葉をブログより引用したい。

「なにもないのに、なにかがそこにある」。作業服に着替えた私たちは、見学という形で役場の防災(右の写真)の建物の前に立った

メンバーが声を失って驚いている中であたしは触れてみても何も感じなかった。目の前に”現実”が”存在”しているのにテレビのシーンのように感じた。まるで記念碑を見るような気分だった。手を合わせて考えようとしてみても、亡くなられた方へのメッセージを読んでもリアリティがちっとも浮かばず、波の音さえ、何も聞こえず何もなかった。あまりにも、実感がわかなさすぎて、一人周りを歩き始めた。ふっと見た先に、朱色のものが転がって目線を合わすと印鑑のケースだった。普段、私たちは汚さぬよう持っているもので名前を証明するものがこんなにも泥んこに、誰かのものと分からずぽつんと転がっていた。

触れてみようとした。でも、それより先に何かが心を揺らした。実感してしまった。

実感してしまった。 自分は違う場所で生きていたということを。

今回、添乗員として来ていただいたJTBの橋本さんは何度も東北に来られているが、初めてバスをおりて防災庁舎をみて感じることが多かったようだ。 「自分の目で見る、五感で感じる」 この重要性が、参加者全員がわかった時間だった。

その後、バスは南三陸町のボランティアセンターへと向かう。

団体受付を済ませ、全員で同じビブスを着る。団体受付だったので、この「今こそこの国の底力を見せるとき」というビブスではなかったが、ここで一度集合写真を撮った。

活動した場所は、志津川地区。高台に続く山間の場所で、瓦礫の撤去作業でした。 ボランティア中は写真がないため、言葉での説明にしたい。

ボランティアリーダーの言葉を借りると、、

近隣の人たちは目の前にガレキの大きな山があり、道にはまだガレキがある。まだ、震災がそこにはあるのです。その中で、少しでも違う景色をみてもらうために、がんばってガレキを拾いましょう。」という掛け声で活動がスタートした。

一年たってもガレキはたくさんあった。 今回の場所は、近くに民家があり、見た目だけでもキレイにするため、特に目につく大きなガレキや白いものを重点的に拾った。

掘れば掘るほど、瓦礫がでてくる。 その中には小学校のユニフォーム、通学カバン、ハイヒールがあった。ガレキ=ガレキではなく、ガレキ=誰かの思い出の品 ということがみんな改めて気づかされた。

あっという間に時間は過ぎ、ボランティアは終了。

最後に若いリーダー、キムさんの言葉を紹介したい。

「今日はガレキ拾いお疲れ様でした。ガレキいっぱいでてきます。こんなにいっぱいあって気が遠くなるかもしれませんが、現地の役に立っています。

私も立場上、活動中に現地の方とお話しする機会がよくあります。 現地の方は、ボランティアの方に勇気をもらえるそうです。 助けてくれてありがとう。私たちもがんばります。と私たちのボランティアの活動が現地の方の励みになっているそうです。 よかったらまた来てください。 ありがとうございました。 」

彼は20代前半。 メンバーと同じ世代ということもあり、みんなそのあとボランティアセンターでも話が弾んでいた。

陸前高田:キャンプファイヤーと安田さん

その後、バスは陸前高田へと向かう。7万本あった松が津波で流され、一本だけ残った高田松原の奇跡の一本松。車中から一本松を見、海岸線を歩く。海岸には津波の爪痕があり、いまだに松の一部が残っている。

波の音ときれいな海。 そこに壊された松原の松が横たわる。 不思議な光景だった。その静けさが、津波の威力を浮きだたせていた。

この松原の松を使って、キャンプファイヤーを実施。高田松原の小山副会長、裏部隊のメンバーが準備を進めてくれていた。

陸前高田、高田松原の復興の思いを込めて、希望の火と名付けた。 この希望の火、みんなを代表して最年少参加の加瀬安菜(15歳)が点火。火はいっきに燃えあがり寒さも和らいだ。このキャンプファイヤーを背景に現地の方にお話を伺った。

今回、お話いただいたのは 安田留美さん。

安田さんは社会福祉協議会に勤められており、311日に現地で被災。津波で社協の幹部の方が全員流され、災害ボランティアセンターを急きょ立ち上げることとなった方です。大地震、津波、そしてボランティアセンターを立ち上げるにも、聞くことのできる上司はもういない。電話もつながらない。やり方がわからない、そんな中での立ち上げだったそうです。

3月24日にドコモの電波が復旧し、他の地区の社協のメンバーとともに立ち上げ。だが、当時、陸前高田のボランティアセンターは外部からのボランティア受入を拒否し、非難されたそうだ。 その理由が今回聞けたので紹介したい。

「四十九日。災害から四十九日たつまでは、外部の方の受け入れを拒否していました。批判もありました。だけど、四十九日経つまでは地元のみんなで遺体を探したかった。私たちの家族、友人、仲間。 地元の人は今回たくさんの人を亡くしました。四十九日経つまでは自分たちの手で探して、供養をしてあげたかったのです。」

キャンプファイヤーの灯りはあるものの、外は暗い。 安田さんのお話を聞きながら、私を含めみんな涙していたのがわかった。

その後、ボランティアセンターにはたくさんの人がくるようになる。日に1,200人を超える人が来たこともあったそうだ。ボランティアセンターの3つの約束(走らない、大声を張り上げない、すぐ言わない)や、陸前なじょにかすっぺ(陸前高田 みんなで何とかしようよ!の意味) のお話を伺った。 ボランティアセンターはつなぎやく。 現地の人とボランティアのつなぎ役でもあり、自分たちだけでは全部はできない。だからこそ、来ていただくボランティアを仲間と感じ、無理のないやり方やボランティアセンターの作りをしているとのこと。

みんなでなんとかしようよ!なじょにかすっぺ! 次の日に安田さんが着ていた、Tシャツをみんな買っていたのが嬉しかった。みんなでなんとかしようよ、東北も、陸前高田も。できることは限られる。微力だけど、無力じゃない。そう誰もが思ったお話、安田さんありがとうございました。

その後みんなで裏部隊が準備してくれたご飯と炊き出しを食べる。ご飯のおかずはシャケやメカブ。 東北では新芽のメカブを食べることが、春の訪れを感じることらしい。1年たって、春。 みんなで東北に来たよね。 本当に思い出に残る晩御飯でした。裏部隊のみんな、ありがとう。

この後、バスは宿泊先へ戻り、初日のダイアログへ。ダイアログの話はあとでまとめて書きたいので、そのまま2日目へ。

2日目:陸前高田での松の植樹

2日目のスタートは早かった。 5:30に起床し、6:00から朝食をとった。宿泊している旅館ではこんなに早い朝食は難しいのだが、今回無理をいって対応していただいた。朝からみんなで食べたご飯が本当においしかった。 ありがとうございました。

6:30に旅館を出発し、8:30に陸前高田のボランティアセンターへ。先日の安田さんのお話を聞いていたこともあり、自分自身も3回目のボラセン。朝から感慨深かった。ボラセンでは、ボランティアのシールをもらえる。 このシールをそれぞれ、作業着にはり、この日の活動のスタート。

この日は、先日に続き高田松原を守る会のみなさんとの活動。

7万本の松を復活させる、松の苗をみんなで植えるという作業だった。 鈴木会長のお話に始まり、みんなで苗を植え始める。7万本の松の復活の第一歩。この日植えた松は701本。 その一歩に自分たちが関われたことがうれしかった。

この松の植樹、実はこのまえには畑を耕す作業があった。 これは冬に行った合宿で行っており、今回は冬に参加したメンバーも東京からはるばる植樹に参加してくれた。つながっている。 仲間がいる。松の復活にはいろんな人の思いがあることを改めて感じた。

作業の途中。サックス奏者の小林洋平さんの曲を聞かせてもらったり、横浜のありあけハーバーを販売されている上原淳一郎さんより、お菓子での復興支援のお話を伺う。最後にお菓子の差し入れを全員分いただいた。 本当にありがとうございました。

南三陸、武田雄高さんのお話

陸前高田を通り、再び南三陸へ。震災後、地元の復興のために活動を続けられている武田さんのお話を伺った。震災後にすぐにランドクルーザーを買い求め、各地に物資を届けまわる。仕事が薬剤師のため、薬を車につんで避難所を訪ね、それがきっかけで現地入りした救急チームの道案内を務められたそうだ。これまで緊急時の救護班の活動は医師が中心となっていたのだが、今回の武田さんの行動をきっかけに緊急災害時の薬剤師の同伴の有効性が認められ、今後に生かされているそうだ。

武田さんは仲間とNango BASEといった基地を作り、仲間と一緒に復興の活動をされている。そこには東京でIT企業を務められた方が参加されていたり、ボランティアについての心構えや都会での復興支援と貴重なお話を伺えた。

復興はこれまでの通りにすることではない。それは復旧。復興は気仙沼に新しい産業を作り、町をまた作り盛り上げていくこと。

こんな熱い 思いを最後に武田さんに伺うことができた。

実はこの講演の時、ちょっとしたことを裏で進めていた。(裏部隊もしらない、裏の裏です)安田さんにお話しを聞き、裏部隊にキャンプファイヤーを準備してもらう。 松の会の方には笑顔をもらい、おみやげにお菓子ももらう。「貰いすぎだよね」という参加者の言葉が表すとおり、自分たちはいろんなものをもらいすぎていた。 せめてものお礼をしたい。 そう思って、急きょお礼の歌をみんなで歌うことを進めていた。

陸前高田から南三陸に向かう道中。 全員でスピッツのチェリーを練習し、武田さんの会の後に全員で合唱。 武田さんとそのスタッフの方、そして今回準備をしてくれた裏部隊のみんなに対しての感謝を込めて42人で歌ったスピッツのチェリー。指揮者は小さいころから音楽をやっていた、寺尾くん。彼の指揮のおかげで全員でうまく合唱ができた。

帰る間際、お茶をだしていただいたスタッフの方がここぞとばかりに声をかけてもらえた。「私、スピッツ好きなんです。みんなで歌ってくれてありがとう。すごく元気をもらいました。また、ぜひ来てくださいね」

もらうものばかりの合宿だけど、少しだけ自分たちもお返しができたのかな? とうれしくなった。 また、絶対会いに行きます。
その後、急いでバスを走らせ旅館へ。

この最終日の夜が参加メンバー全員がそろって「いただきます」してご飯を食べる、最初で最後のタイミング。裏部隊のメンバーも一緒だった。 学生幹事の山下雄登が代表して、いただきますの挨拶。 早くご飯たべさせろー! 長いー!(笑 との声もあったが、良い「いただきます」の挨拶。あたたかいご飯にみんなが笑顔だった。

夜のダイアローグ

初日の夜、そして二日目の夜と全員でダイアローグを実施。初日は東北にきての感想やボランティアについての話をみんなで対話した。 一日目は会ったばかりだということもあって、みんな固かった。

でも、二日目の夜は全く違った。長い間一緒にいたこともあり、対話にもなれたこともあって、それぞれの思いを言葉にしていく。二日目の感想に始まり、ボランティアについての思いも話す。

二つ目の対話のタイミングで、あえてアドリブで「絆」についての対話をした。今回の参加者には、チェックインの時、「絆」や「つながり」について飽きた、とか、興味がない。 というメンバーもいた。確かに震災が風化してそういう声が出ている、「絆」という言葉だけになってしまっている感は否めない。 そういうこともあって、あえてこのテーマで話をしてもらった。

松の会の方の笑顔の話、自分の家族の話、友達の話。 「絆」をテーマにしたことで、初めて自分の思いを話始めた。 思いが溢れ、涙するメンバーもいた。メンバー全員が本気で話をしていたからなのか、絆のテーマが響いたのか、添乗の橋本さんまでが座りこんでノートに自分の思いを書き始めたほどだった。

9時40分に始めたダイアローグはこの時点で11時。残り一時間は、自分自身の人生について話をしてもらった。
テーマは「あなたが人生の中で成し遂げたいことはなんですか?

自分のこれまでを話すもの、夢を話すもの。その中でも社会人の大塚さんのお話が若い学生には大変参考になったようだ。 大塚さんのブログより抜粋。

はたして、自分の思いが伝わるのか?
そこで、一人一人、全ての人と話すことは出来なかったが、時間が許す限り、じっくり時間を取って話すように心がけた。実際に、合宿の時に、夢を共有する場があり、自分の経験もプレゼンする機会の幸運があった。

アメリカでの幼少期の経験。帰国後日本に適応するのに苦労したこと。長い研究生活と大きな挫折。偶然決まった転職先。その結果として、チャレンジすることの大切さ、20代でも30代でも人生のやり直しがきくこと、を学んだこと。また、趣味を通じて広がった縁。その結果として、すぐに行動することの大切さを学んだこと。等。

自分の人生は、試行錯誤の連続だったが、今や一つ一つの経験が大きな財産になっている。そう考えると、ありのままを出せば伝わるはず。だから、自分が41年間、生きていた経験を正直に、弱い部分を含めてさらけ出すこと

あっという間に1時間はすぎ、時計は12時を回る。まだ前にでて話をしたいものも多数いたが、あえて12時で終了した。終了した理由は、物事には終わりがあること、人生には終わりがあること。その終わりがいつくるかはわからない。だから、思ったことは待たずにすぐやって欲しい。その意図を込めて、時間通りでダイアログは終了した。

この合宿も残り一日。みんな疲れているにも関わらず、夜の懇親会が盛り上がったことは容易に想像がつくはずなので写真のみで!

最終日:朝から大遅刻と気仙沼

前日までのボランティアと移動の疲れ、そして夜中までの懇親会。 みんな眠い目をこすりながら、最終日の朝を迎える。 ここまでこの合宿はほとんど時間通り。 集合時間も遅れたことがなかったのだが。。。最後に大遅刻!!!

出発時間をすぎても全員が揃わない。受付に全ての鍵は返却してあるが、4人まだいない。宿の人も一緒にお風呂やトイレを探し、電話をするもだれもでない。 まさか、散歩にいって何かあった???と思ったところで、部屋でみんな寝ていたところを見つける(苦笑 出発は30分遅れの8時でした。

待っている間にみんなで飲んだ差し入れのレッドブル。 美味しかったです。原田さん、ありがとうございました!

最終日は気仙沼をガイドさんと回る。 気仙沼漁港の311当時のお話や15年連続で水揚げ高日本一のお話を伺った。私のグループを案内してくれたのは、内海悦子さん。

「去年、大変だったんだけど15年連続で漁獲高一番だったのよ」
「それは嬉しいですね」 と返すと
「そうなの、嬉しいのよ!!!」 っとお茶目な笑顔がステキだった。

「急いで、急いで。みんなにこれみてもらいたいのよ」 と言って、早足で漁港を周り、311当日津波が押し寄せたところを案内してくれる。みんなに伝えたい。気仙沼漁港はみんなの誇り。 そんな思いがお話を伺いながら、ひしひしと伝わるステキな時間だった。

その後、市内をまわり船が打ち上げられた場所、岩井崎を回る。陸に船。見たのは二回目だが、目の前でみると津波のパワーに改めて圧倒されてしまった。

岩井崎には辰の形をした木があるのだが、当日は風がすごい。 ガイドさんの声が聞こえないほど、風邪がビュービュー吹いて、みんな変なテンションに。 みんなでマイケルジャクソンの真似したりと、もう岬のどうの、というのは全くないはず。 なんか、最後に風が強いところに行ったよね? 多分、その印象しかないくらい、風が強かった。

ガイドさんと別れを告げ。最後に復興屋台村にて昼食とおみやげを買う。私がご飯を食べたのは大漁丸というお店。 冬の時にもよって、マグロ丼をいただいた。 嬉しい事におばちゃんが覚えていてくれて、おにぎりのサービスとおみやげにキャラメルまでいただいた。このおばちゃん、笑顔がすっごいステキ!

おばちゃんの話だと、今年の夏、漁港の近くで夏祭りがあるそうだ。去年はみんな花火どころじゃなかった、だけど今年はみんな見に来てくれると思うのよ。 手伝いに来てよ! ともう一回会いに行く理由ができた。

あの人に会いたい。そのためにもう一回会いに東北に行く。 そんなつながりがあって、復興に少しでも協力できればと思った。

屋台村を去る時、ほかのお店のおばちゃんにも声をかけられた。 若い人が多人数で来たから何事かと思ったらしい。「若い人が来てくれて嬉しい!活気があったよ!」 とそのおばちゃん。 来るだけで元気がもらえるようだ。夏の花火の日、絶対復興屋台村にいかなくちゃ。 そう思った

時間通りにバスは復興屋台村を出発し、帰路へ。 ここから東京へ戻るまで、最後のチェックアウトが待っている

最後のチェックアウト

休憩をとり、東京へ向かうバスの中。チェックアウトは16:30から。 このチェックアウトがこの合宿の最後の締めだ。ファシリテーターとしては、この時間のために全ての準備と日程があったと言っても過言ではない。ファシリテーターとして最後にどんな言葉を発するのか? 考えに考えた。

最後の最後。16:20分から胃が痛くなったのを覚えている。緊張で胃が痛くなるなんて、10年前のインターハイの決勝直前以来。 10年ぶりにすごく緊張した。4月6日の夜からファシリテーターとしてのこの最後の瞬間。 最後の最後に自分の本気が出せたと思う。

16:30ちょうどにみんなに声を掛け、全員で背伸びをして体を起こす。三日間を振り返り、ここから5時間かけての1人ひとりのチェックアウトが始まった。(写真中央は、バスの中に張っていた支援者の顔つきのリスト)

三日間を振り返る者、自分の過去を話した者、これからの夢、会社に戻ってやること、辛い過去、誰にも言えなかった悩み、家族への想い。

チェックアウトの言葉を少しだけ書ける範囲で紹介したい。

参加するまで仕事がイヤだった。でも、参加してみて働いてお金を納めるのも支援の一つ。私達の義務。明日からまたがんばって働きます。

今って、0か100の支援しかない。行政や政治もそう。もう少しその間の関与の仕方があってもいいと思えてきた。

過去が辛かった。でも今回、参加してその辛い過去が、必然のようにも思えてきた。そうしなければ、自分自身が今回、本当に自分と向き合えなかった。一歩踏み出せたと思います。

話す方も涙を流しながら、本気で話す。 聞く方も涙を流しながら、本気で聞く。バカにするものは誰ひとりいない。 3日前まで赤の他人だったのに、これほどまで自分自身をさらけ出せるものかと、誰もが思った。

もう、このメンバーで話すことは二度とない。東京が近付くにつれて、車内もヒートアップしていく。対話、ありのまま、一歩踏み出す勇気、101%、感謝、つなぐ。 クリエイティブの可能性の全てがこのチェックアウトに詰まっていた。学生幹事のスージーを最後にみんなのチェックアウトはおしまい。

到着予定の21:30までちょうど10分ほど残っていた。今回、一番お世話になったJTBの橋本さんにもチェックアウトをお願いし、最後の最後、自分自身のチェックアウトでちょうど麻布十番近くに到着。

残り3分で、みんなからTシャツとメッセージのプレゼントをもらう。 もう、このサプライズ本当に知らなくて本当に嬉しかった。 最後にみんなで、スピッツのチェリーを歌い21:30 ちょうどに クリエイティブの可能性 春合宿は幕を閉じた。

最後に

さて、ここから自分の思いを書いていきます。
バスを降りる最後、スージーと少し話をした。 今回、彼女が来てくれて本当に助かった。ありがとうスージー。

冬と春を客観的に見れたのは彼女だけ。 スージーも今回は色々と大変だったみたい。 でも、最後にバスを降りる彼女の顔をみて、スージーも一歩踏み出したと思う。 そして、自分自身も一歩踏み出した、と同時にいろんな人の顔が浮かんできた。 支援をいただいたたくさんの方、お話を伺った現地の方、応援してくれた仲間、石川さん、辰濃さん、裏部隊のみんな、中島明さん。

バスを降りて、一番最初に石川さんが待っていてくれた。思わずハグして、涙が少しこぼれた。一緒にいったメンバーもそうだし、裏部隊のみんなの顔が見えた。 辰濃さんの顔が見えた時に、もう涙がとまらなかった。辰濃さんには本当にお世話になりました。一回りも若い自分に本気で接していただけました。石川さん、辰濃さん、本当にありがとうございました。

大変な中、中島明さんは近くまできてくれたみたいだった。 中島さん見たら、もっと泣いてたと思う。最後のみんなの写真で目が腫れてるのは、こういうことなので勘弁してください(笑

さて、最後にタイトルに戻ろう。今回、1年経った東北で、若者達は何を見たのか?

上の写真にもある通り、片付かないガレキ、震災の傷跡、自然の脅威、生と死。それに加えて復興への想い、希望の光、仲間との絆、ありがとうの意味、一歩踏み出す勇気、一歩踏み出したあとの新しい日常。

書きだすと止まらない。写真で伝えられる事実の部分と、目に見えづらい想いの部分。その2つが合わさって、今も何を見たのか不思議な感覚です。

多分、参加したみんなは見る世界が変わったと思う。震災を五感で受け止め、改めて生きることや人生を考え、一人一人が一歩踏み出した。踏み出したからこそ、新しい景色が見え、新しい日常があります。少なくとも私はそうです。

今回の合宿、あえて人の顔の写真を多く載せています。見る人によっては、ボランティアして、話して、みんなで飲んで、楽しんだだけか? と思われるかもしれません。

そうじゃないんです。人の顔がある。笑顔がある。だから、お互いに勇気をもらえるんです。被災地、復興支援というけれど被災地=東北と場所の話じゃないんです。そこにはいろんな人の顔と想いがある、復興支援は人と人の話なんです。想いの話なんです。

人の顔があるからこそ、この合宿に行った人はまたその人に会いに東北にボランティアにいきたくなります。東北の人も、自分達も一人じゃできない。だから、仲間が必要。互いに続ける仲間と勇気が必要だと私は感じています。

正直に、1年経っても被災地の現状を見るのは勇気がいります。辛いし、涙する人もいる。 東北に一人で行くのも一人で見るのも大変。だから、みんなで一緒に行こうよ。 バスに乗ってさ。  みんなで東北に行って一歩踏み出してみたら、必ず見えるものがあります。それが東北の復興のため、これからの日本を担う若者のためになると、私は信じています。

2年目になった復興支援。未だに家の無い方は30万人以上、仕事の無い方は20万人以上。そして、現地には数十年分の瓦礫が積んであります。
東京でできることは何かな? そう思って息長く、支援を続けたいと思っています。良かったら一緒にやりましょう。少しでも輪を広げたいと思っています。助けあいジャパンの活動も続けます。

東北でボランティアと対話を繰り返す。その先に何が見えるのか? 良かったら、あなたも一歩踏み出してみてください。これまで見えなかった色んなものが見えてきます。 次は夏合宿。一緒にクリエイティブの可能性、続けましょう!復興支援、がんばりましょう!

みなさん、ありがとうございました。

Credit:クリエイティブの可能性 春合宿

参加者(42名):浜中 圭助/武田洋之/杉本はるか/高岡忠宏/加瀬安菜/カツメエリナ/大塚英文/市川祐介/池田寛子/小野崎真一/多田宗平/桜井雄基/砂川玲奈/白井宏美/山崎貴史/出口綱子/田崎里美/伴 眞澄/洪知鈴/黄 天佑/石黒恒/宮本智美/野村謙次/岡孝一郎/佐々木茉莉/中郷智/御手洗玲子/奥村貴子/寺尾淳一/太田大樹/山本拓磨/藤野美和/高山奈々/木下知美/金子翔太/林 佑悟/古賀菜津美/山下良美/飯島 聡和子/山下雄登(学生幹事)/ 中村 菫(学生幹事)/野田祐機(ファシリテーター)

支援者(支援金総額:1,156,709円)
山内 一剛/瀧澤奈美/天野 正浩/大山 毅/北野 佳子/森山 たつを/カツメエリナ/野田 賢一/伊藤 隆広/佐藤 正之/小松 史朗/伊藤 正晃/鴨川 明日香/石川 淳哉/武村 達也/島田 義久/野田ゆりこ/阿部 哲也/ 森井志津江/イケガミアツコ/コンドウマサヨ/ネモトミサコ/シラカワアケミ/ゴトウユミコ/オオシマユウイチ/オオハタミユキ/サカグチヒデユキ/カトウマサオ/カネコレイコ/ゴトウトモミ/タムラヤスヒロ/国常 秋穂/星野 陸夫/平井ゆうき/松村 光芳/後藤 たくひろ/ 板谷 慎司/Saki Matsubara/野上信子/星野料代/武田洋之/小林大地/佐藤信敏/藤野 美和/ 津留崎 幸子/サノタカアキ/川本正仁/坂本美奈/鈴木 康慎/Akihisa Hoshino/原田典和/中江 隆史/辰濃二郎/角児太郎/鹿江央聖/秀島正章/野田厚子/林雄一郎/野田麻里亜/橋村隆明/永田優/寺田薫/ヒラヤマトヨコ/イケガミアツコ/コンドウマサヨ/ネモトミサコ/マツノランコ/ヤマシタハルミ/ムラカミマサヨ/オオノミキ/シンメトリージャパン/サトウマモル/4月1日蕎麦の会の参加者

裏部隊:辰濃二郎/鈴木信也/小林大地/福田恭子/松本友香
企画・添乗:橋本彩・菅原剛 (JTB 法人東京)
バスドライバー:マエカワ・シダ
現地でお会いした方:安田留美/金奉永/鈴木善久/ 小山芳弘/永田宗義/渡辺雅史/坂井/小林洋平/上原淳一郎/三浦佳恵/鴨井雄一/伊藤隆広/佐藤晃子/浅岡晃平/武田雄高/清水隼人/内海悦子/サイトウ/ウツミ
Special thanks: 石川 淳哉・辰濃二郎・中島明(Inadzuma.co.,ltd)/辰濃哲郎/夏合宿のメンバー/冬合宿のメンバー

関連記事:4月9日を終えて
東北春合宿、支援金が100万円を突破しました
続けること、伝えること:1%の1歩先へ

参加者の記事一覧:https://www.facebook.com/note.php?note_id=338768466183252

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野田祐機

外資系企業、NPOを経て、2016年に株式会社forsistersを起業。eiffelという手紙サービスをやっています。 28歳からブログを始め、コミュニティーやこれからのトレンド、古典、英語学習などの記事を書いています。 プロフィールはこちらから http://learnbydoing.jp/aboutme/

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