野田祐機のブログです

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8月9日に東北で思うこと

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今、石巻。もう、12時をすぎ、今日は8月9日。
68年前に長崎に原爆が落ちた日です。

ぼくは長崎県の佐世保市出身。
長崎市ではないのですが、小さいころからこの日は学校では集会が開かれ、朝は両親から原爆の話を聞いていました。8月6日、9日、15日は毎年、我が家は戦争と平和を考える日でした。

長崎の人にとって、9日は忘れてはならない日。そして、実は自分の今がこの9日に影響されていることに昨日気づきました。(←31才にしてですが)

 

昨日から福島のいわき市をフォトジャーナリストの平松利枝子さんと周り、取材に同行させてもらっています。その中で、5人のお子さんを持つ弁護士の方とのインタビューの言葉が印象的でした。

 

「お子さんは将来、弁護士になられると思いますか?」 と平松さん
「うちの子は福島から放射能を無くす機械を作りたいって」と弁護士さん
「私、医療関係の昔研究者と話をしてたら、広島出身の人が多く、 その人達、原爆のことを小さい頃から聞いて研究者になりたくて。。。という話をしましたよ 」 と平松さん
「小さい頃の出来事は影響するんでしょうね。
うちの子が除染する機械発明したら大金持ちでしょうけどね(笑」

とそこはお母さん同士の会話でした。

 

小さい頃の出来事は影響する。
なんだか、それを聞いて、自分自身のことも思い出しました。

 

原爆=科学。 人を傷つけるのも科学、でも、それを癒すのも科学のチカラ。
そうぼんやりと小さい頃に考えていました。 特に長崎に原爆が起きた8月9日はそれを子供ながらに考えていたのだと思います。

何か平和や世の役に立ちたい。だから、化学を専攻し、運良く、世界で一番おっきい化学会社に入社もできました。世界一の化学会社。もちろん、科学と化学違いで、核とは直接関係ないのだけど、エネルギー問題や地球温暖化に貢献できる!!!  そう思っていたから、仕事も楽しくて、しょうがなかった。

 

当時は思ってなかったけど、自分の心の奥底ではそういう思いがあったのだなーと今日気づきました。

 

特に昨日は福島のお母さん、広島で働いていた平松さん、そこに長崎出身の私。すべての地が原爆、原発が影響した地の人の話。やはり影響しているのです。

毎年、原爆の話を聞いて、科学者を夢見ていたぼくも今は公益法人の代表。そして、昨日の話を聞きながら気づいたのが、今日が8月9日だったということ。

福島の地でそういう話を聞き、何だか自分のルーツがやっぱり長崎という地、平和、原爆が関係しているのだと思いました。

 

その自分が今、福島を周り、被害が大きかった石巻でこのブログを書いているのも、復興支援に関わっている自分らしい。どうやら、ぼくはやっぱり、平和や助けあいというのに縁があるのでしょうね。
そんなことを想う、8月9日。今日のうちにちゃんと書いておきたかった。
今日、長崎では記念式典が行われます。尊敬する先生も出席し、両親も行くみたい。私は出席できないのですが、平和と復興を東北の地から願い、11時2分には黙祷を捧げたい。

 

もう、68年も前の話。ですが、1年に1度。
長崎と世界の平和のために、今日お時間ある方は11時2分に黙祷をよろしくお願いします。

そうやって、1年に1度、忘れずに意識する事が311の風化の防止と次にもつながるんだな、と改めて思った石巻の夜でした。

 

  • この記事を書いた人

野田祐機

外資系企業、NPOを経て、2016年に株式会社forsistersを起業。eiffelという手紙サービスをやっています。 28歳からブログを始め、コミュニティーやこれからのトレンド、古典、英語学習などの記事を書いています。 プロフィールはこちらから http://learnbydoing.jp/aboutme/

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