8月9日に東北で思うこと

今、石巻。もう、12時をすぎ、今日は8月9日。
68年前に長崎に原爆が落ちた日です。

ぼくは長崎県の佐世保市出身。
長崎市ではないのですが、小さいころからこの日は学校では集会が開かれ、朝は両親から原爆の話を聞いていました。8月6日、9日、15日は毎年、我が家は戦争と平和を考える日でした。

長崎の人にとって、9日は忘れてはならない日。そして、実は自分の今がこの9日に影響されていることに昨日気づきました。(←31才にしてですが)

 

昨日から福島のいわき市をフォトジャーナリストの平松利枝子さんと周り、取材に同行させてもらっています。その中で、5人のお子さんを持つ弁護士の方とのインタビューの言葉が印象的でした。

 

「お子さんは将来、弁護士になられると思いますか?」 と平松さん
「うちの子は福島から放射能を無くす機械を作りたいって」と弁護士さん
「私、医療関係の昔研究者と話をしてたら、広島出身の人が多く、 その人達、原爆のことを小さい頃から聞いて研究者になりたくて。。。という話をしましたよ 」 と平松さん
「小さい頃の出来事は影響するんでしょうね。
うちの子が除染する機械発明したら大金持ちでしょうけどね(笑」

とそこはお母さん同士の会話でした。

 

小さい頃の出来事は影響する。
なんだか、それを聞いて、自分自身のことも思い出しました。

 

原爆=科学。 人を傷つけるのも科学、でも、それを癒すのも科学のチカラ。
そうぼんやりと小さい頃に考えていました。 特に長崎に原爆が起きた8月9日はそれを子供ながらに考えていたのだと思います。

何か平和や世の役に立ちたい。だから、化学を専攻し、運良く、世界で一番おっきい化学会社に入社もできました。世界一の化学会社。もちろん、科学と化学違いで、核とは直接関係ないのだけど、エネルギー問題や地球温暖化に貢献できる!!!  そう思っていたから、仕事も楽しくて、しょうがなかった。

 

当時は思ってなかったけど、自分の心の奥底ではそういう思いがあったのだなーと今日気づきました。

 

特に昨日は福島のお母さん、広島で働いていた平松さん、そこに長崎出身の私。すべての地が原爆、原発が影響した地の人の話。やはり影響しているのです。

毎年、原爆の話を聞いて、科学者を夢見ていたぼくも今は公益法人の代表。そして、昨日の話を聞きながら気づいたのが、今日が8月9日だったということ。

福島の地でそういう話を聞き、何だか自分のルーツがやっぱり長崎という地、平和、原爆が関係しているのだと思いました。

 

その自分が今、福島を周り、被害が大きかった石巻でこのブログを書いているのも、復興支援に関わっている自分らしい。どうやら、ぼくはやっぱり、平和や助けあいというのに縁があるのでしょうね。
そんなことを想う、8月9日。今日のうちにちゃんと書いておきたかった。
今日、長崎では記念式典が行われます。尊敬する先生も出席し、両親も行くみたい。私は出席できないのですが、平和と復興を東北の地から願い、11時2分には黙祷を捧げたい。

 

もう、68年も前の話。ですが、1年に1度。
長崎と世界の平和のために、今日お時間ある方は11時2分に黙祷をよろしくお願いします。

そうやって、1年に1度、忘れずに意識する事が311の風化の防止と次にもつながるんだな、と改めて思った石巻の夜でした。

 

アメリカのトップブロガーに「東北」で学んだこと

先日、アメリカのトップブロガーと東北の視察ツアーに行ってきました。

詳細はこちらのリリースを見てほしいのですが、一緒に回ったのは Cali Lewis, John Pozadzides,ゆかり Peerless,松村太郎さんです。

 

今回はこのツアーの話、そこで学んだこと、感じたことを書いて行きます。すこし話もブレるし飛ぶかもしれません。今回は素直な気持ちを書いて行きますのでよろしければ最後までお付き合いください。見やすいように写真を入れています。 忙しいかたは、「最後に」だけでもぜひ。

 

ツアーの背景-一年前-

John、Cali、ゆかりさんに会うのは一年ぶりでした。
ゆかりさんとは縁があって助けあいジャパンでご一緒。ソーシャルメディアでつながったけど、ゆかりさんはカナダ在住。そんなゆかりさんが1年前にJohn,Caliと一緒ににソーシャルメディアのキャンペーンで来日したところから話は始まります。

一年前、ゆかりさんが東京に来ていたのでホテルの朝食に呼んでくれました。 二人で話をしていたら、偶然JohnとCaliも朝食に来て、東北の話をさせてもらいました。

JohnとCaliはアメリカで有名なブロガー、二人でやっているGeek beat TVというのが有名。ソーシャルメディア、IT系で有名な人でソーシャルメディアのフォロワーは300万人。動画は毎回30万人がみるくらいの人たち。

 

その日、実はJohnとCaliは忙しくて会えないはずだったのです。ですが、運良く朝食の時に少しだけ話ができた。話したのは多分30分くらい。東北の話だったので、思いが先にきて英語がうまくはなせなかったのは覚えている。
だけど、JohnもCaliも東北に興味を持ってくれました。その時はさすがに時間がなくて、東北にはいけなかった。なので、あいさつ程度に話しただけ。

その時、撮った写真がこれ。ホテルのレストランでの一枚。

会えると思っていなかったJohnとCali。 日本のために何かしたいと言ってくれた二人。そして、不思議な縁を運んでくれたゆかりさん。まさかこの写真から今回の話が始まるとは誰も思っていなかった。今振返るとすごく感慨深い写真です。

 

ツアーの実施と徳本さん

 

そんな出会いから一年。今年の2月の半ばにいつも仲良くしていただいている、ソーシャルおじさんこと徳本昌広さんからメッセージが。

「JohnとCaliがゆかりさんと一緒に来日。東北に行く企画を練っています。至急打ち合わせしましょう」

 

そんなメッセージをもらい、今回のツアーの企画が進みました。

今回の東北ツアーは助けあいジャパンとアールシステムさんの合同企画。 アールシステムさんに助けあいをご紹介いただき、二社の間に入って調整していただいたのが徳本さんでした。徳本さんとはプライベートでのお付き合いでしたが、お互いきちんと仕事をするのは初めて。縁がつながって、一緒に仕事ができる。それが本当に嬉しかった。
(写真はその打ち合わせの時の写真)

 

東北ツアーは宮城県の沿岸部を回ってそれを英語で発信するツアーです。写真や動画を撮り、ソーシャルメディアで発信。それをまとめてJohnとCaliは自分たちの番組での配信用の取材をし、スペシャル番組を作るロケも兼ねていました。

 

今回、ツアーで周った場所は

  1. 気仙沼:第十八共徳丸 →復興屋台村
  2. 南三陸町:防災庁舎→さんさん商店街
  3. 大川小学校
  4. 女川
  5. 牡鹿半島
  6. 石巻 ヤフー復興ベースにて取材、Ustream配信

せっかくなので写真とともに簡単に振返りを

 

気仙沼

朝一番に一関をでて気仙沼へ向かう。今回のツアーでは私以外の全員が被災地は初めて。途中で色んな説明をしながら、沿岸部へ。

気仙沼ではまず第十八共徳丸を見学。 メンバー全員が被災と津波の影響を肌で感じてもらえました。JohnとCaliはここで写真や動画を取り始めます。

私がバスの中でした説明を元に、自分の気持ち、現地の状況を的確に動画に撮影する二人。さすがです。場所の選定、話す内容、表情、カメラの使い方、全てにおいてプロフェッショナルにこなす。

やっぱ、すげーはこの二人。 そんなことをいきなり見せつけられました。

その後、気仙沼復興屋台村にて取材。

屋台村で大漁丸という魚料理を出している菊池幸江さんに気仙沼の今、被災した当日のことを話してもらいました。Caliは英語、幸江さんは日本語。 通訳にはtel tell というアプリを使います。

このtel tellですがiphone, ipadのfacetimeを使って、電話をすると本物の通訳の人が電話の先に登場します。ポータブル通訳とでも言った方がいいのか、とにかくすごいです。電話の中に通訳の人がいるんだもん。 そのあたりはぜひtel tellのHPをやこちらの動画

YouTube Preview Image

 

 

私はこの大漁丸の幸江さんとは仲良くさせてもらっています。先日も鎌倉でお会いしてきたし。でも、はじめて被災した時の話、店を始めた理由、色んなことを聞かせてもらいました。

 

一つ残念だった話があります。実は復興横町は今年の11月までだということ。店をだすのは2年の契約で、その後は横町は町の復興計画によって無くなるそうです。気仙沼の復興横町がなくなる。 正直にショックだった。

横町の時間が意外とかかったので、予定していた魚市場は行けず。その後、南三陸町に向かいました。

 

南三陸町

気仙沼から車を走らせ南三陸町へ。途中から被害が目に見えてわかります。バスの中でみんなが写真や動画を取り始めました。そして、防災庁舎前へ。

いつきてもぼくはここでは胸が苦しい。だけどやっぱり見てもらいたい場所です。

ここではぜひゆかりさんの動画を見てほしい。途中、ゆかりさんは涙が止まらない。やっぱりカナダに住んでても、同じ日本人。 やっぱり想いが溢れる、ここでみんなが感じたのはゆかりさんの動画に一番表れていると思います。ぜひ。

 

YouTube Preview Image

 

 

その後、近くのさんさん商店街へ。みんなで海鮮丼や天丼をいただきます。

せっかくなので、ぼくがここにきたら必ず買うかまぼこコロッケとタコ、マグロをみんなで食べました。いやー、やっぱり東北の海産物は美味しい!

 

 

大川小学校—女川—牡鹿半島

 

さて、ここからは急ぎ足。まずは大川小学校に向かう。バスの中で7割近くの小学生が無くなったことを説明。着いてみんなでお参りをしました。そして、ここから50分かけて女川へ。女川では横転したビルの前でジョンが撮影。 改めてビルを目の前にすると、ずっとカメラを回していました。

 

 

そこから牡鹿半島にいくと、イギリスから支援に入っているCarolineさんに会いに。彼女、ずっとこの大原浜で支援活動を続け、今は住民の方とも仲良し。行った時にはこんな素敵な塗装を施していました。( So cute!でした)

時間が押してたので少ししか話せなかったけど、バスは最終目的地のヤフー石巻復興ベースへ。

 

 ヤフー石巻復興ベース

 

ヤフーさんが東日本大震災の復興支援事業に取り組む拠点、ヤフー石巻復興ベース。昨年の7月にオープンし、そこから何度かお邪魔させてもらっていました。

今回のツアーの最後は、ここでヤフーさんの取り組みを世界に発信すること。復興支援室長の須永さんにインタビュー、 JohnとCaliの東北ツアーの感想をUstreamで配信させていただきました。

 

予想以上にインタビューが盛り上がり、ヤフーの社員さん全員がUstreamにも出演いただきました。 みなさま、本当にありがとうございました。

詳細は下記のUstream をぜひ。 18分ごろからがインタビューです。

Video streaming by Ustream
心に残ったJohnの感想を紹介したい。

 

すごいチャレンジだ。東北を回って予想以上に驚いた。普通、他の国でこんな被害があったら、「もういいや」と言って人は住むのを辞める。普通は諦める。


でも日本のやり方は違う。
日本人の精神は、もっかいやろう。前に戻そう。前よりもっと良くしよう。
私は被害に驚いたのではなく、日本人が震災にいかに立ち向かっているか。震災ではなく、震災への対応に最も驚いた。すごいチャレンジだ、そして、みんな諦めていない。
さすがは、日本人だと思ったよ。

 

そんな言葉をUstreamで熱く語ってくれている。正直に聞いた瞬間に嬉しくなって、泣きそうになった。よかったら40分ごろをみてほしい。
そんなこんなで一日のバスツアーは終了。仙台にて解散となった。

 

After the tour

ツアーの後、みんなで牛タンを食べに行った。ツアーの感想、復興の話、ソーシャルメディアの話、これからのテクノロジーの話、いろんなことを話ができた。

 

JohnとCaliは自分たちの動画チャンネルとソーシャルメディアが専門。

12人の社員を雇用し、それ以外にも50名ものメンバーが関わっているし、その会社を二人で経営している。ブロガー、ソーシャルメディアの活用としてはトップクラス。そんな二人から直接話が聞けたのは刺激的だった。ぼくは光栄にも松村太郎さんの隣に座らせていただき、アメリカの最新トレンドも聞けた。

John、Cali、松村さんの話の中ではDisruptive(破壊的)とか、traditional (これまでのもの)って単語がいっぱいでていた。アメリカでの破壊的イノベーションを目の当たりにしているし、これまでのやり方の企業が苦労しているのを知っているからだろう。彼らはやはり未来を見ていた。

社会がテクノロジーで変わっている最先端を体験している二人。
世界はもっとフラットに。人々はつながり、ソーシャルメディアがあることでもっともっと民主的になっていく。 いまはソーシャルメディアは特殊だと言われているけど、そんなのは5年後には当たり前の話で社会が変わっていく。ネットとリアルもない、社会がどんどん変わっていく。そして、個人が中心の世界になっていく。

そんな話ができた。

 

ボクが一番思ったのは、JohnとCaliは未来を信じている。ということ。

ソーシャルメディアの可能性を本気で信じているし、これからのテクノロジー、特に3Dプリンターやメディアの融合を本気で信じている。そして、その最先端で結果を出しながら進んでいる。

未来を信じる。 未来を自分たちで切り拓く。それが印象的な夜だった。

 

トップブロガーに「東北で」学んだことは?

 

前説が長くなりましたが、タイトルに戻ろう。東北のツアーを通じて、ボクが彼らに学んだのは下記のこと

1:徹底したプロフェッショナリズム
被災の風景を見て感情的になっても、カメラを向けると一瞬で顔が変わる。持っているカメラや機材は最小限。でも、それですごい動画やインタビューをあっという間にとってしまう。この人たちプロだなって誰もが思った。

 

2:いつもポジティブ
長旅で疲れているはずなのに、移動中もずっとジョークを言ったり、笑顔を絶やさない。Johnはいつも人を楽しませようとするし、Caliは常に笑顔を絶やさない。 さすがだと思った

 

3:感謝を忘れない
バスの中でみんなにお菓子を配ったり、撮影で遅くなったヤフーさんではきちんと全員にお礼を一人一人に伝えていた。 Caliが唯一覚えている日本語は「ありがとう」。そこにも彼女らしさが表れている。感謝をきちんと伝える。しかも二人ともとびっきりの笑顔で。

 

4:未来を信じる
先ほども書いたが、ソーシャルメディアは当たり前になるし、新しいテクノロジーから社会が変わると信じて活動している。少しも疑ってない。過去のやり方に捉われていないし、常に未来を見て活動している

5:助けたい人は世界中にいっぱいいる
JohnとCaliのように東北のために何かしたい人はたくさんいる。一緒に行った徳本さんも東北は初めて。何かやりたいけど、やり方がわからない。そんな人がまだまだたくさんいます。 もっとわかりやすく発信したり、関わり方を提示する必要があると思うのです。
あと、Johnからはアメリカから寄付集めしなさい。とのアドバイス。手伝ってくれるようで、ありがたいことです。

 

最後に

今回のツアー、プレスリリースも多くのところに取り上げていただき、みんなからもすごく評判がよかった。「助けあいジャパンっぽいね」 とか、「野田くんっぽいね」ってフィードバックが多かったのです。ありがたいことです。

多分、ブロガーとかソーシャルとかリアルタイムでの発信とか英語とか海外とかだと思っていたけど、よくよく聞くと「壁を超えてつながる」、「出来ることで協力する」ってことが良かったみたい。

壁を超える、人とつながる、できることで協力しあう。
これが助けあうということ。だから、助けあいジャパンっぽかったんでしょうね。

 

被災から2年。ガレキも片付きつつあり、ここから東北の未来を作って行くフェーズです。

もっと助けあって、もっと未来を信じて。

そんな活動を続けて行きたいと思っています。たった一日彼らと一緒にいただけですが、たくさんのことを学び、自分自身も変わりました。 このツアー実現できてよかったです。

最後の写真は去年と今年の集合写真。

去年

今年

同じ配置で撮ってみました。また、来年も同じ配置で写真を撮ると思う(笑

毎年も写真取ろうね! と言ってくれた、John, Cali, Yukariさん。そして調整いただいた徳本さん、本当にありがとうございました。超勉強になりましたー!

長い文書、お読みいただきありがとうございました。
さて、復興もこっからです。よろしくどうぞ! おしまい!
Special Thanks:
ゆかりPeerless/徳本昌大/ John Pozadzides/ Cali Lewis/松村太郎/菅原洋平/ /根岸浩一郎/澁谷敏/村井広宣/栗栖一郎/菊池幸江/加藤康祐/落合絵美/福原綾/ヤフー復興ベースのみなさま/Caroline Pover/ 南三陸バスの皆様/坂本恵一

おすすめ映画:「先祖になる」 

みんなに見てもらいたい映画がある。ボクは年間に相当の映画を見るけど、本当によかった映画しかブログには書かない。

今日はそんな映画のお話。しかも、ハリウッド映画が大好きなボクが、よりにもよって見たのは邦画の単館系の映画です。

 

先祖になる

その映画のタイトルは「先祖になる」 監督は池谷薫。 一言で言うと、おじいちゃんが被災した自分の家を建てるまでのドキュメンタリー。

「おはよー!今日も頑張りましょうー!」とメガホンで住民に呼びかけるところから始まる。主人公は陸前高田市気仙町荒浜地区、77歳の佐藤直志さん。このおじいちゃんの優しい性格もあってか、すごく柔らかい作品です。震災とか復興とか興味ない。 そんな人にもぜひ見てもらいたい映画です。

そして、見たら人にオススメしたくなる映画。

先日、映画を見終わったら、周りの人が「良かった。人に勧める」と口々に言っていた。映画館の待合室でほんとにみんな言ってた。
そして、ぼくも今ブログでおすすめしています。

 

生きるってなに?
人生ってなに?
仕事ってなに?
家族ってなに?
家ってなに?
先祖ってなに?

そんなことをふと考えさせられる映画です。

 

映画の冒頭のシーンは「おはよー、今日も頑張りましょう!」ってところから始まり、すぐに震災の話もでます。細かいところは言わないけど、ぼくは消防団の帽子が映ったとこから泣いてました。

泣けるし、笑える。そして、勇気をもらえます。
人間って強い。 そんな映画です。

東京は3月29日まで上映しています。 残り10日、ぜひ、映画館で見てほしい!

詳細は下記。 ぜひ、ダマされたと思って見に行ってほしい。
このおじいちゃんの覚悟、すごいよ。

 

イントロダクション (公式HPより)

 

男の名は佐藤直志。岩手県陸前高田市で農林業を営み、仲間から“親分”と慕われている。彼の家は1000年に1度の大津波で壊され、消防団員の長男は波にのまれた。生きがいを失った男に何ができるのか? 直志はひとつの決断をくだす。元の場所に家を建て直そうというのだ。自分はきこりだ。山に入って木を伐ればいい。友人から田んぼを借り、田植えもしよう。仮設住宅には何があってもいかない――。

土地に根ざし、土地に生きる人々の行く末をおもう彼の強さと優しさは、少しずつ周囲を動かし、生きることの本質を問いかけていく。忍び寄る病魔、耐えがたい腰の痛み、遅々として進まない市の復興計画……。数々の障壁を乗り越えて、77歳の彼は夢をかなえることができるのか――。

公式サイト:http://senzoninaru.com/index.html 

1年経った東北で、若者たちは何を見たのか? -クリエイティブの可能性 春合宿-

行ってきました、東北へ。

4月6日、夜11時に麻布十番を出発し、南三陸、陸前高田でボランティア。その間、現地の人たち、仲間との対話をくりかえす、3泊4日のクリエイティブの可能性 春合宿。

あの311から一年たった東北で42名の参加者が何を見て、何を感じたのかをまとめていきたい。長い文書だが、見やすいように写真をふんだんに使っている。読みづらい方はぜひ、写真と最後だけでも見てもらえるとありがたいです。

今回の合宿の背景についてはこちらの記事

4月6日 23:00  出発

今回の参加者は私を含めて合計 42名。(学生30 名、社会人12名:男女比はちょうど1:1)
南の端の鹿児島、西の端長崎の佐世保といった遠方からの参加者が多かったのが特徴的だった。最年少参加者は15歳。最年長は46歳と幅広いバックグラウンドをもつ参加者が集まった。

集合は22:30に麻布十番のドリームデザインラボ。 遅刻もなく、全員が時間通りに集合。見送りに夏、冬に参加したメンバーが数人が来てくれていた。これまでのみんなの思い、初めて東北へ行く不安、初対面同士のメンバーの緊張感と出会いへの期待。 参加者それぞれが、さまざまな思いを胸にバスは東北へ向けて出発した。

行きのバスでは合宿の全体像、そしてこの合宿の軸である

  • 対話
  • ありのまま
  • 一歩踏み出す勇気
  • 101%
  • 感謝
  • つなぐ

を最初に説明し、そこから自己紹介を兼ねた一人一人のチェックインをスタート。まだ、緊張しながらも一人ひとり参加のきっかけ、思いを話していた。「自分の目でみないとわからない」、一年たって初めていくメンバーからはこの言葉が多かった。

今回、ファシリテーターの私が一番力をいれたのが、この対話の設計。自分自身との対話。 現地の人との対話。 仲間との対話。 それぞれ、話をすることで見えてくるものがある。参加者一人ずつにノートを配り、気づいたことを書いてもらう。 横に座るメンバーを毎日変えて、話をしてもらう。そして、夜、みんなで話をする。

初対面の人が多いため、チェックインのあとはあえて時間をとり、横の人と話をしてもらう時間を作った。ふつうはすぐに終わるのだが、やはり人は話をしたい生き物。チェックインの後も、バスが静かになるまでは時間がかかったのが印象的だった。

夜は更け、次第とみんな休み始めた。 私はやはり緊張していたのか、4時くらいまで目をつぶっていても眠れなかったのを覚えている。

南三陸町:防災庁舎前 -> ボランティアセンター

朝、道の駅で着替えと朝食を済ませ、ボランティア活動をする南三陸町へ向かう。到着の時刻が早いため、途中で防災庁舎前に40分ほど立ち寄る。
初めて東北に来たメンバーは、ここではじめて震災の傷跡を見ることとなった。

「言葉がでない」、「胸が痛い」、「今の感情がわからない。だけど涙だけでる」 といった声がきけた。みんな思い思いに見て回り、写真をとっていた。

私も冬の合宿で同じ場所を訪れたが、今回のほうが見学する時間が長く、病院の上の舟、近くのガレキの山も見れた。 1年たってこの状況に、自分自身も改めてどう受け止めてよいかがわからなかった。

少しだけ参加者の言葉をブログより引用したい。

「なにもないのに、なにかがそこにある」。作業服に着替えた私たちは、見学という形で役場の防災(右の写真)の建物の前に立った

メンバーが声を失って驚いている中であたしは触れてみても何も感じなかった。目の前に”現実”が”存在”しているのにテレビのシーンのように感じた。まるで記念碑を見るような気分だった。手を合わせて考えようとしてみても、亡くなられた方へのメッセージを読んでもリアリティがちっとも浮かばず、波の音さえ、何も聞こえず何もなかった。あまりにも、実感がわかなさすぎて、一人周りを歩き始めた。ふっと見た先に、朱色のものが転がって目線を合わすと印鑑のケースだった。普段、私たちは汚さぬよう持っているもので名前を証明するものがこんなにも泥んこに、誰かのものと分からずぽつんと転がっていた。

触れてみようとした。でも、それより先に何かが心を揺らした。実感してしまった。

実感してしまった。 自分は違う場所で生きていたということを。

今回、添乗員として来ていただいたJTBの橋本さんは何度も東北に来られているが、初めてバスをおりて防災庁舎をみて感じることが多かったようだ。 「自分の目で見る、五感で感じる」 この重要性が、参加者全員がわかった時間だった。

その後、バスは南三陸町のボランティアセンターへと向かう。

団体受付を済ませ、全員で同じビブスを着る。団体受付だったので、この「今こそこの国の底力を見せるとき」というビブスではなかったが、ここで一度集合写真を撮った。

活動した場所は、志津川地区。高台に続く山間の場所で、瓦礫の撤去作業でした。 ボランティア中は写真がないため、言葉での説明にしたい。

ボランティアリーダーの言葉を借りると、、

近隣の人たちは目の前にガレキの大きな山があり、道にはまだガレキがある。まだ、震災がそこにはあるのです。その中で、少しでも違う景色をみてもらうために、がんばってガレキを拾いましょう。」という掛け声で活動がスタートした。

一年たってもガレキはたくさんあった。 今回の場所は、近くに民家があり、見た目だけでもキレイにするため、特に目につく大きなガレキや白いものを重点的に拾った。

掘れば掘るほど、瓦礫がでてくる。 その中には小学校のユニフォーム、通学カバン、ハイヒールがあった。ガレキ=ガレキではなく、ガレキ=誰かの思い出の品 ということがみんな改めて気づかされた。

あっという間に時間は過ぎ、ボランティアは終了。

最後に若いリーダー、キムさんの言葉を紹介したい。

「今日はガレキ拾いお疲れ様でした。ガレキいっぱいでてきます。こんなにいっぱいあって気が遠くなるかもしれませんが、現地の役に立っています。

私も立場上、活動中に現地の方とお話しする機会がよくあります。 現地の方は、ボランティアの方に勇気をもらえるそうです。 助けてくれてありがとう。私たちもがんばります。と私たちのボランティアの活動が現地の方の励みになっているそうです。 よかったらまた来てください。 ありがとうございました。 」

彼は20代前半。 メンバーと同じ世代ということもあり、みんなそのあとボランティアセンターでも話が弾んでいた。

陸前高田:キャンプファイヤーと安田さん

その後、バスは陸前高田へと向かう。7万本あった松が津波で流され、一本だけ残った高田松原の奇跡の一本松。車中から一本松を見、海岸線を歩く。海岸には津波の爪痕があり、いまだに松の一部が残っている。

波の音ときれいな海。 そこに壊された松原の松が横たわる。 不思議な光景だった。その静けさが、津波の威力を浮きだたせていた。

この松原の松を使って、キャンプファイヤーを実施。高田松原の小山副会長、裏部隊のメンバーが準備を進めてくれていた。

陸前高田、高田松原の復興の思いを込めて、希望の火と名付けた。 この希望の火、みんなを代表して最年少参加の加瀬安菜(15歳)が点火。火はいっきに燃えあがり寒さも和らいだ。このキャンプファイヤーを背景に現地の方にお話を伺った。

今回、お話いただいたのは 安田留美さん。

安田さんは社会福祉協議会に勤められており、311日に現地で被災。津波で社協の幹部の方が全員流され、災害ボランティアセンターを急きょ立ち上げることとなった方です。大地震、津波、そしてボランティアセンターを立ち上げるにも、聞くことのできる上司はもういない。電話もつながらない。やり方がわからない、そんな中での立ち上げだったそうです。

3月24日にドコモの電波が復旧し、他の地区の社協のメンバーとともに立ち上げ。だが、当時、陸前高田のボランティアセンターは外部からのボランティア受入を拒否し、非難されたそうだ。 その理由が今回聞けたので紹介したい。

「四十九日。災害から四十九日たつまでは、外部の方の受け入れを拒否していました。批判もありました。だけど、四十九日経つまでは地元のみんなで遺体を探したかった。私たちの家族、友人、仲間。 地元の人は今回たくさんの人を亡くしました。四十九日経つまでは自分たちの手で探して、供養をしてあげたかったのです。」

キャンプファイヤーの灯りはあるものの、外は暗い。 安田さんのお話を聞きながら、私を含めみんな涙していたのがわかった。

その後、ボランティアセンターにはたくさんの人がくるようになる。日に1,200人を超える人が来たこともあったそうだ。ボランティアセンターの3つの約束(走らない、大声を張り上げない、すぐ言わない)や、陸前なじょにかすっぺ(陸前高田 みんなで何とかしようよ!の意味) のお話を伺った。 ボランティアセンターはつなぎやく。 現地の人とボランティアのつなぎ役でもあり、自分たちだけでは全部はできない。だからこそ、来ていただくボランティアを仲間と感じ、無理のないやり方やボランティアセンターの作りをしているとのこと。

みんなでなんとかしようよ!なじょにかすっぺ! 次の日に安田さんが着ていた、Tシャツをみんな買っていたのが嬉しかった。みんなでなんとかしようよ、東北も、陸前高田も。できることは限られる。微力だけど、無力じゃない。そう誰もが思ったお話、安田さんありがとうございました。

その後みんなで裏部隊が準備してくれたご飯と炊き出しを食べる。ご飯のおかずはシャケやメカブ。 東北では新芽のメカブを食べることが、春の訪れを感じることらしい。1年たって、春。 みんなで東北に来たよね。 本当に思い出に残る晩御飯でした。裏部隊のみんな、ありがとう。

この後、バスは宿泊先へ戻り、初日のダイアログへ。ダイアログの話はあとでまとめて書きたいので、そのまま2日目へ。

2日目:陸前高田での松の植樹

2日目のスタートは早かった。 5:30に起床し、6:00から朝食をとった。宿泊している旅館ではこんなに早い朝食は難しいのだが、今回無理をいって対応していただいた。朝からみんなで食べたご飯が本当においしかった。 ありがとうございました。

6:30に旅館を出発し、8:30に陸前高田のボランティアセンターへ。先日の安田さんのお話を聞いていたこともあり、自分自身も3回目のボラセン。朝から感慨深かった。ボラセンでは、ボランティアのシールをもらえる。 このシールをそれぞれ、作業着にはり、この日の活動のスタート。

この日は、先日に続き高田松原を守る会のみなさんとの活動。

7万本の松を復活させる、松の苗をみんなで植えるという作業だった。 鈴木会長のお話に始まり、みんなで苗を植え始める。7万本の松の復活の第一歩。この日植えた松は701本。 その一歩に自分たちが関われたことがうれしかった。

この松の植樹、実はこのまえには畑を耕す作業があった。 これは冬に行った合宿で行っており、今回は冬に参加したメンバーも東京からはるばる植樹に参加してくれた。つながっている。 仲間がいる。松の復活にはいろんな人の思いがあることを改めて感じた。

作業の途中。サックス奏者の小林洋平さんの曲を聞かせてもらったり、横浜のありあけハーバーを販売されている上原淳一郎さんより、お菓子での復興支援のお話を伺う。最後にお菓子の差し入れを全員分いただいた。 本当にありがとうございました。

南三陸、武田雄高さんのお話

陸前高田を通り、再び南三陸へ。震災後、地元の復興のために活動を続けられている武田さんのお話を伺った。震災後にすぐにランドクルーザーを買い求め、各地に物資を届けまわる。仕事が薬剤師のため、薬を車につんで避難所を訪ね、それがきっかけで現地入りした救急チームの道案内を務められたそうだ。これまで緊急時の救護班の活動は医師が中心となっていたのだが、今回の武田さんの行動をきっかけに緊急災害時の薬剤師の同伴の有効性が認められ、今後に生かされているそうだ。

武田さんは仲間とNango BASEといった基地を作り、仲間と一緒に復興の活動をされている。そこには東京でIT企業を務められた方が参加されていたり、ボランティアについての心構えや都会での復興支援と貴重なお話を伺えた。

復興はこれまでの通りにすることではない。それは復旧。復興は気仙沼に新しい産業を作り、町をまた作り盛り上げていくこと。

こんな熱い 思いを最後に武田さんに伺うことができた。

実はこの講演の時、ちょっとしたことを裏で進めていた。(裏部隊もしらない、裏の裏です)安田さんにお話しを聞き、裏部隊にキャンプファイヤーを準備してもらう。 松の会の方には笑顔をもらい、おみやげにお菓子ももらう。「貰いすぎだよね」という参加者の言葉が表すとおり、自分たちはいろんなものをもらいすぎていた。 せめてものお礼をしたい。 そう思って、急きょお礼の歌をみんなで歌うことを進めていた。

陸前高田から南三陸に向かう道中。 全員でスピッツのチェリーを練習し、武田さんの会の後に全員で合唱。 武田さんとそのスタッフの方、そして今回準備をしてくれた裏部隊のみんなに対しての感謝を込めて42人で歌ったスピッツのチェリー。指揮者は小さいころから音楽をやっていた、寺尾くん。彼の指揮のおかげで全員でうまく合唱ができた。

帰る間際、お茶をだしていただいたスタッフの方がここぞとばかりに声をかけてもらえた。「私、スピッツ好きなんです。みんなで歌ってくれてありがとう。すごく元気をもらいました。また、ぜひ来てくださいね」

もらうものばかりの合宿だけど、少しだけ自分たちもお返しができたのかな? とうれしくなった。 また、絶対会いに行きます。
その後、急いでバスを走らせ旅館へ。

この最終日の夜が参加メンバー全員がそろって「いただきます」してご飯を食べる、最初で最後のタイミング。裏部隊のメンバーも一緒だった。 学生幹事の山下雄登が代表して、いただきますの挨拶。 早くご飯たべさせろー! 長いー!(笑 との声もあったが、良い「いただきます」の挨拶。あたたかいご飯にみんなが笑顔だった。

夜のダイアローグ

初日の夜、そして二日目の夜と全員でダイアローグを実施。初日は東北にきての感想やボランティアについての話をみんなで対話した。 一日目は会ったばかりだということもあって、みんな固かった。

でも、二日目の夜は全く違った。長い間一緒にいたこともあり、対話にもなれたこともあって、それぞれの思いを言葉にしていく。二日目の感想に始まり、ボランティアについての思いも話す。

二つ目の対話のタイミングで、あえてアドリブで「絆」についての対話をした。今回の参加者には、チェックインの時、「絆」や「つながり」について飽きた、とか、興味がない。 というメンバーもいた。確かに震災が風化してそういう声が出ている、「絆」という言葉だけになってしまっている感は否めない。 そういうこともあって、あえてこのテーマで話をしてもらった。

松の会の方の笑顔の話、自分の家族の話、友達の話。 「絆」をテーマにしたことで、初めて自分の思いを話始めた。 思いが溢れ、涙するメンバーもいた。メンバー全員が本気で話をしていたからなのか、絆のテーマが響いたのか、添乗の橋本さんまでが座りこんでノートに自分の思いを書き始めたほどだった。

9時40分に始めたダイアローグはこの時点で11時。残り一時間は、自分自身の人生について話をしてもらった。
テーマは「あなたが人生の中で成し遂げたいことはなんですか?

自分のこれまでを話すもの、夢を話すもの。その中でも社会人の大塚さんのお話が若い学生には大変参考になったようだ。 大塚さんのブログより抜粋。

はたして、自分の思いが伝わるのか?
そこで、一人一人、全ての人と話すことは出来なかったが、時間が許す限り、じっくり時間を取って話すように心がけた。実際に、合宿の時に、夢を共有する場があり、自分の経験もプレゼンする機会の幸運があった。

アメリカでの幼少期の経験。帰国後日本に適応するのに苦労したこと。長い研究生活と大きな挫折。偶然決まった転職先。その結果として、チャレンジすることの大切さ、20代でも30代でも人生のやり直しがきくこと、を学んだこと。また、趣味を通じて広がった縁。その結果として、すぐに行動することの大切さを学んだこと。等。

自分の人生は、試行錯誤の連続だったが、今や一つ一つの経験が大きな財産になっている。そう考えると、ありのままを出せば伝わるはず。だから、自分が41年間、生きていた経験を正直に、弱い部分を含めてさらけ出すこと

あっという間に1時間はすぎ、時計は12時を回る。まだ前にでて話をしたいものも多数いたが、あえて12時で終了した。終了した理由は、物事には終わりがあること、人生には終わりがあること。その終わりがいつくるかはわからない。だから、思ったことは待たずにすぐやって欲しい。その意図を込めて、時間通りでダイアログは終了した。

この合宿も残り一日。みんな疲れているにも関わらず、夜の懇親会が盛り上がったことは容易に想像がつくはずなので写真のみで!

最終日:朝から大遅刻と気仙沼

前日までのボランティアと移動の疲れ、そして夜中までの懇親会。 みんな眠い目をこすりながら、最終日の朝を迎える。 ここまでこの合宿はほとんど時間通り。 集合時間も遅れたことがなかったのだが。。。最後に大遅刻!!!

出発時間をすぎても全員が揃わない。受付に全ての鍵は返却してあるが、4人まだいない。宿の人も一緒にお風呂やトイレを探し、電話をするもだれもでない。 まさか、散歩にいって何かあった???と思ったところで、部屋でみんな寝ていたところを見つける(苦笑 出発は30分遅れの8時でした。

待っている間にみんなで飲んだ差し入れのレッドブル。 美味しかったです。原田さん、ありがとうございました!

最終日は気仙沼をガイドさんと回る。 気仙沼漁港の311当時のお話や15年連続で水揚げ高日本一のお話を伺った。私のグループを案内してくれたのは、内海悦子さん。

「去年、大変だったんだけど15年連続で漁獲高一番だったのよ」
「それは嬉しいですね」 と返すと
「そうなの、嬉しいのよ!!!」 っとお茶目な笑顔がステキだった。

「急いで、急いで。みんなにこれみてもらいたいのよ」 と言って、早足で漁港を周り、311当日津波が押し寄せたところを案内してくれる。みんなに伝えたい。気仙沼漁港はみんなの誇り。 そんな思いがお話を伺いながら、ひしひしと伝わるステキな時間だった。

その後、市内をまわり船が打ち上げられた場所、岩井崎を回る。陸に船。見たのは二回目だが、目の前でみると津波のパワーに改めて圧倒されてしまった。

岩井崎には辰の形をした木があるのだが、当日は風がすごい。 ガイドさんの声が聞こえないほど、風邪がビュービュー吹いて、みんな変なテンションに。 みんなでマイケルジャクソンの真似したりと、もう岬のどうの、というのは全くないはず。 なんか、最後に風が強いところに行ったよね? 多分、その印象しかないくらい、風が強かった。

ガイドさんと別れを告げ。最後に復興屋台村にて昼食とおみやげを買う。私がご飯を食べたのは大漁丸というお店。 冬の時にもよって、マグロ丼をいただいた。 嬉しい事におばちゃんが覚えていてくれて、おにぎりのサービスとおみやげにキャラメルまでいただいた。このおばちゃん、笑顔がすっごいステキ!

おばちゃんの話だと、今年の夏、漁港の近くで夏祭りがあるそうだ。去年はみんな花火どころじゃなかった、だけど今年はみんな見に来てくれると思うのよ。 手伝いに来てよ! ともう一回会いに行く理由ができた。

あの人に会いたい。そのためにもう一回会いに東北に行く。 そんなつながりがあって、復興に少しでも協力できればと思った。

屋台村を去る時、ほかのお店のおばちゃんにも声をかけられた。 若い人が多人数で来たから何事かと思ったらしい。「若い人が来てくれて嬉しい!活気があったよ!」 とそのおばちゃん。 来るだけで元気がもらえるようだ。夏の花火の日、絶対復興屋台村にいかなくちゃ。 そう思った

時間通りにバスは復興屋台村を出発し、帰路へ。 ここから東京へ戻るまで、最後のチェックアウトが待っている

最後のチェックアウト

休憩をとり、東京へ向かうバスの中。チェックアウトは16:30から。 このチェックアウトがこの合宿の最後の締めだ。ファシリテーターとしては、この時間のために全ての準備と日程があったと言っても過言ではない。ファシリテーターとして最後にどんな言葉を発するのか? 考えに考えた。

最後の最後。16:20分から胃が痛くなったのを覚えている。緊張で胃が痛くなるなんて、10年前のインターハイの決勝直前以来。 10年ぶりにすごく緊張した。4月6日の夜からファシリテーターとしてのこの最後の瞬間。 最後の最後に自分の本気が出せたと思う。

16:30ちょうどにみんなに声を掛け、全員で背伸びをして体を起こす。三日間を振り返り、ここから5時間かけての1人ひとりのチェックアウトが始まった。(写真中央は、バスの中に張っていた支援者の顔つきのリスト)

三日間を振り返る者、自分の過去を話した者、これからの夢、会社に戻ってやること、辛い過去、誰にも言えなかった悩み、家族への想い。

チェックアウトの言葉を少しだけ書ける範囲で紹介したい。

参加するまで仕事がイヤだった。でも、参加してみて働いてお金を納めるのも支援の一つ。私達の義務。明日からまたがんばって働きます。

今って、0か100の支援しかない。行政や政治もそう。もう少しその間の関与の仕方があってもいいと思えてきた。

過去が辛かった。でも今回、参加してその辛い過去が、必然のようにも思えてきた。そうしなければ、自分自身が今回、本当に自分と向き合えなかった。一歩踏み出せたと思います。

話す方も涙を流しながら、本気で話す。 聞く方も涙を流しながら、本気で聞く。バカにするものは誰ひとりいない。 3日前まで赤の他人だったのに、これほどまで自分自身をさらけ出せるものかと、誰もが思った。

もう、このメンバーで話すことは二度とない。東京が近付くにつれて、車内もヒートアップしていく。対話、ありのまま、一歩踏み出す勇気、101%、感謝、つなぐ。 クリエイティブの可能性の全てがこのチェックアウトに詰まっていた。学生幹事のスージーを最後にみんなのチェックアウトはおしまい。

到着予定の21:30までちょうど10分ほど残っていた。今回、一番お世話になったJTBの橋本さんにもチェックアウトをお願いし、最後の最後、自分自身のチェックアウトでちょうど麻布十番近くに到着。

残り3分で、みんなからTシャツとメッセージのプレゼントをもらう。 もう、このサプライズ本当に知らなくて本当に嬉しかった。 最後にみんなで、スピッツのチェリーを歌い21:30 ちょうどに クリエイティブの可能性 春合宿は幕を閉じた。

最後に

さて、ここから自分の思いを書いていきます。
バスを降りる最後、スージーと少し話をした。 今回、彼女が来てくれて本当に助かった。ありがとうスージー。

冬と春を客観的に見れたのは彼女だけ。 スージーも今回は色々と大変だったみたい。 でも、最後にバスを降りる彼女の顔をみて、スージーも一歩踏み出したと思う。 そして、自分自身も一歩踏み出した、と同時にいろんな人の顔が浮かんできた。 支援をいただいたたくさんの方、お話を伺った現地の方、応援してくれた仲間、石川さん、辰濃さん、裏部隊のみんな、中島明さん。

バスを降りて、一番最初に石川さんが待っていてくれた。思わずハグして、涙が少しこぼれた。一緒にいったメンバーもそうだし、裏部隊のみんなの顔が見えた。 辰濃さんの顔が見えた時に、もう涙がとまらなかった。辰濃さんには本当にお世話になりました。一回りも若い自分に本気で接していただけました。石川さん、辰濃さん、本当にありがとうございました。

大変な中、中島明さんは近くまできてくれたみたいだった。 中島さん見たら、もっと泣いてたと思う。最後のみんなの写真で目が腫れてるのは、こういうことなので勘弁してください(笑

さて、最後にタイトルに戻ろう。今回、1年経った東北で、若者達は何を見たのか?

上の写真にもある通り、片付かないガレキ、震災の傷跡、自然の脅威、生と死。それに加えて復興への想い、希望の光、仲間との絆、ありがとうの意味、一歩踏み出す勇気、一歩踏み出したあとの新しい日常。

書きだすと止まらない。写真で伝えられる事実の部分と、目に見えづらい想いの部分。その2つが合わさって、今も何を見たのか不思議な感覚です。

多分、参加したみんなは見る世界が変わったと思う。震災を五感で受け止め、改めて生きることや人生を考え、一人一人が一歩踏み出した。踏み出したからこそ、新しい景色が見え、新しい日常があります。少なくとも私はそうです。

今回の合宿、あえて人の顔の写真を多く載せています。見る人によっては、ボランティアして、話して、みんなで飲んで、楽しんだだけか? と思われるかもしれません。

そうじゃないんです。人の顔がある。笑顔がある。だから、お互いに勇気をもらえるんです。被災地、復興支援というけれど被災地=東北と場所の話じゃないんです。そこにはいろんな人の顔と想いがある、復興支援は人と人の話なんです。想いの話なんです。

人の顔があるからこそ、この合宿に行った人はまたその人に会いに東北にボランティアにいきたくなります。東北の人も、自分達も一人じゃできない。だから、仲間が必要。互いに続ける仲間と勇気が必要だと私は感じています。

正直に、1年経っても被災地の現状を見るのは勇気がいります。辛いし、涙する人もいる。 東北に一人で行くのも一人で見るのも大変。だから、みんなで一緒に行こうよ。 バスに乗ってさ。  みんなで東北に行って一歩踏み出してみたら、必ず見えるものがあります。それが東北の復興のため、これからの日本を担う若者のためになると、私は信じています。

2年目になった復興支援。未だに家の無い方は30万人以上、仕事の無い方は20万人以上。そして、現地には数十年分の瓦礫が積んであります。
東京でできることは何かな? そう思って息長く、支援を続けたいと思っています。良かったら一緒にやりましょう。少しでも輪を広げたいと思っています。助けあいジャパンの活動も続けます。

東北でボランティアと対話を繰り返す。その先に何が見えるのか? 良かったら、あなたも一歩踏み出してみてください。これまで見えなかった色んなものが見えてきます。 次は夏合宿。一緒にクリエイティブの可能性、続けましょう!復興支援、がんばりましょう!

みなさん、ありがとうございました。

Credit:クリエイティブの可能性 春合宿

参加者(42名):浜中 圭助/武田洋之/杉本はるか/高岡忠宏/加瀬安菜/カツメエリナ/大塚英文/市川祐介/池田寛子/小野崎真一/多田宗平/桜井雄基/砂川玲奈/白井宏美/山崎貴史/出口綱子/田崎里美/伴 眞澄/洪知鈴/黄 天佑/石黒恒/宮本智美/野村謙次/岡孝一郎/佐々木茉莉/中郷智/御手洗玲子/奥村貴子/寺尾淳一/太田大樹/山本拓磨/藤野美和/高山奈々/木下知美/金子翔太/林 佑悟/古賀菜津美/山下良美/飯島 聡和子/山下雄登(学生幹事)/ 中村 菫(学生幹事)/野田祐機(ファシリテーター)

支援者(支援金総額:1,156,709円)
山内 一剛/瀧澤奈美/天野 正浩/大山 毅/北野 佳子/森山 たつを/カツメエリナ/野田 賢一/伊藤 隆広/佐藤 正之/小松 史朗/伊藤 正晃/鴨川 明日香/石川 淳哉/武村 達也/島田 義久/野田ゆりこ/阿部 哲也/ 森井志津江/イケガミアツコ/コンドウマサヨ/ネモトミサコ/シラカワアケミ/ゴトウユミコ/オオシマユウイチ/オオハタミユキ/サカグチヒデユキ/カトウマサオ/カネコレイコ/ゴトウトモミ/タムラヤスヒロ/国常 秋穂/星野 陸夫/平井ゆうき/松村 光芳/後藤 たくひろ/ 板谷 慎司/Saki Matsubara/野上信子/星野料代/武田洋之/小林大地/佐藤信敏/藤野 美和/ 津留崎 幸子/サノタカアキ/川本正仁/坂本美奈/鈴木 康慎/Akihisa Hoshino/原田典和/中江 隆史/辰濃二郎/角児太郎/鹿江央聖/秀島正章/野田厚子/林雄一郎/野田麻里亜/橋村隆明/永田優/寺田薫/ヒラヤマトヨコ/イケガミアツコ/コンドウマサヨ/ネモトミサコ/マツノランコ/ヤマシタハルミ/ムラカミマサヨ/オオノミキ/シンメトリージャパン/サトウマモル/4月1日蕎麦の会の参加者

裏部隊:辰濃二郎/鈴木信也/小林大地/福田恭子/松本友香
企画・添乗:橋本彩・菅原剛 (JTB 法人東京)
バスドライバー:マエカワ・シダ
現地でお会いした方:安田留美/金奉永/鈴木善久/ 小山芳弘/永田宗義/渡辺雅史/坂井/小林洋平/上原淳一郎/三浦佳恵/鴨井雄一/伊藤隆広/佐藤晃子/浅岡晃平/武田雄高/清水隼人/内海悦子/サイトウ/ウツミ
Special thanks: 石川 淳哉・辰濃二郎・中島明(Inadzuma.co.,ltd)/辰濃哲郎/夏合宿のメンバー/冬合宿のメンバー

関連記事:4月9日を終えて
東北春合宿、支援金が100万円を突破しました
続けること、伝えること:1%の1歩先へ

参加者の記事一覧:https://www.facebook.com/note.php?note_id=338768466183252

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4月9日を終えて-東北から帰ってきました-

帰ってきました。4月6日に東北に出発したクリエイティブの可能性 春合宿。

今日のうち、家に帰る前にいまの思いを記しておきます。

ありがとうございます。今、色んな人の顔が浮かんできます。参加してくれた41名のメンバー、
支援をいただいたみなさま、JTBの橋本さん、菅原さん。粋な運転手さん。

石川さん、辰濃さん、裏部隊の
しんやくん、大地くん、ふっきょん、ゆかちゃん。一緒に来てくれたスージー、そして中島明さん。

みなさん、本当にありがとうございます。

伝えること。続けること。大事ですね。

今回のことを書くのは時間がかかります。少し休んできちんと書きます。

去年のクリスマスに冬合宿が終わって、この春合宿をやることが決まって、この4月9日が不安でもあり、楽しみでした。
一つの節目であるこの合宿から
どんな思いで自分は帰ってくるのかな?って

今日、その4月9日が終わるにあたって、やっぱり色んな人の顔が浮かびます。
色んな人に助けてもらって今回の合宿ができていること、自分が生かされてること、自分が本当に大事にしていたことが見えてきました。

自分のことだけですいません。

少しゆっくり休んで、また走りだします。きちんとまとめます。

参加者のみんな、無事に帰れたかな? みんな、最後のチェックアウトで伝えきれなかったとこもあっただろうけど、ブログやFacebookで続きはまた。集まれる人は集まりましょうね

クリエイティブの可能性、伝えましょう、続けましょう。
みんなでがんばって伝えて、夏につなげていきましょう。

今日までみなさま、本当にありがとうございました。少し休んで、また走りだします。

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写真は最後にバスを降りる直前の車内。みんなとこのバスで行けて本当によかったです。