12月22日23時 麻布十番駅近く、一台のバスが東北に向かって出発した。
43名を乗せたこのバスは、クリエイティブの可能性・冬合宿と題して、23-25日のクリスマスにかけて東北を周りボランティアと対話を繰り返す企画である。10名ほどの社会人枠を除き、ほとんどの参加者が10代後半から20代前半の若者だった。

今回の記事では、今回の冬合宿で感じたこと、学んだことを下記のようにまとめていきたい。長い文書になっているが被災地に行ってみたい学生の方、復興支援をしたい方に特に見ていただきたい内容になっている。

  1. 冬の東北でのボランティア
  2. 現地の方の復興への思い (23日)
  3. 奇跡の一本松とクリスマスのライトアップ (24日)
  4. 若者たちの思いとこれから (25日)
  5. 最後に

1.冬の東北でのボランティア

今回の企画に参加したメンバーの大半が、初めてのボランティア活動。震災後や夏には動けなかったが、今回の機会に友人の勧めもあり参加した人が多かった。メンバーの言葉を借りると「311のあの時にできなかったことではなく、今できることをやりたい」という思いをそれぞれが口にしていた。

冬の東北は寒い。私も初めてだったが、気温は三日間とも氷点下。三日間を通して、体調を崩すものはいなかったのが幸いだった。

冬のボランティアに行かれる方のために、どのような準備が必要か少しだけ説明したい。写真は陸前高田のボランティアセンターの掲示板より

準備事項
1.保険証とボランティア保険
保険証の携帯とボランティア保険は常に携帯しておく必要がある。保健証は念のためにコピーを持っておくとよい。ボランティア保険は全国の社協(社会福祉協議会)の窓口でのみ申請できる。仕事をしていると平日行くことが難しいので、個人的には今後はインターネットなどで気軽に申請できるようになればボランティアへ行きやすいので期待している。

2.マスク、ゴーグル
作業をしていると粉じんが舞うことが多い。身体を守るためにも必要。マスクよりは粉じん用のものだとなお良い

3.防寒着
バスから外に出ると、とにかく寒い。 動き出すと身体が温まるので、それほど寒さは感じなくなるが、ジャケット、すぐ脱げるフリース、ジャージ、厚手のズボンは必須だ。今回の参加者はほとんどがユニクロで暖パン、ヒートテックを購入していた。また、汚れることもあるため、どれだけ服を持っていくで荷づくりに迷った。あるメンバーが言った、「スノーボードに行く準備をすればいいんだ」という言葉が分かりやすかったので参考にしていただきたい。(実際にスノーボードのウェアで作業していたメンバーもいた)

4.手袋
当初軍手とゴム手袋を買って行ったが、現地に先にはいった友人より寒さがしのげないことをきいたため、急きょスノーボード用の手袋を購入。その上から軍手をして作業をしていた

5.長靴
作業によっては汚れるので長靴に鉄板入りのインソールが必要。特に冬の時期は寒いので、厚手の靴下もあると尚良い

これにレインコートがあれば雨が降った時も対応できるし、泥よけにもなる。実際に作業すると寒さは感じなくなるので、夏の炎天下は熱中症の心配があるが、体調管理をして風邪さえひかないようにすれば、冬のボランティアもおススメである。

 (南三陸町のボランティアセンターの受付の写真。 ビブスには「今こそ、この国の底力を見せる時」の文字が)

 

2.現地の方の復興への思い(23日)

今回まわったのは南三陸、陸前高田、気仙沼の三か所。現地の方ともお話する機会があったので一部をご紹介したい。

23日は南三陸町でボランティア。 津波がくる直前まで町民にアナウンスをされていた、遠藤未希さん(24歳)が働いていた災害対策庁舎前の片付け。 未だ庁舎前にはたくさんのガレキがあり、それをメンバー全員で片付けた。

そこでお会いしたボランティアリーダーを務めた宮城栗原市の後藤伸悦さんの言葉をご紹介したい。

テレビの取材も減った、寒さが厳しくなるにつれてボランティアも減った。ぜひ、今日来てくれたひとは家族、友人に感じたことを伝えてほしい。今日は50人以上のメンバーが参加。嬉しい限りです。最近は毎日、10人くらいのボランティアでやっています。震災、忘れないでほしい。

今、現地ではわかめの種付け、ほたて、カキ、ホヤを養殖をしています。ボランティアに来れない方、スーパーでみたらよかったら買ってあげて下さい。それだけでも現地にお金が落ちます。よかったらどうぞよろしくお願いします。私は南三陸の人間ではなく、近くの栗原市から来てます。南三陸ではないが、地元の人間です。何とかしたいと思っています。今後もどうぞよろしくお願いします。」

 

東京にいるとやっぱり震災が風化している。しかし、現地はまだこの状況。自分にできる情報発信を続けたいと思った。

 

その後、復興のシンボル「オクトパス君」を見に、南三陸復興ダコの会の方とYes工房へ移動。西の明石、東の志津川といわれるほど、南三陸志津川はタコが有名。復興のシンボルとしてゆめ多幸鎮(たこちん)、愛称をオクトパス君という。
置くと(オクト)試験にパス するという意味で、合格祈願のグッズとしても販売。Yes工房の近く八幡神社にはかわいいタコが祭られている。

 

神社にこのタコ。自然と参加メンバーに笑顔がこぼれた。現地ガイドの方、南三陸復興ダコの会 会長 高橋さんに津波の体験、命の大事さ、準備の重要さを学ぶ。

帰りがけ、高橋会長の言葉が心に残ったので紹介したい。

「現地の人は被災し、家もない。そんな中で日本中から物資が届き、みんながボランティアに来てくれる。折れそうな心が何度も助けられました。いまはみんな、人と話すことが励みになります。また、よかったら南三陸に遊びにきてください。」と

人の顔がある。関わりがある。それはやっぱり勇気を与えてくれるのだと、自分も勇気をもらった言葉だった。

 

3.奇跡の一本松とクリスマスのライトアップ (24日)

24日は、陸前高田へ。私は7月に陸前高田を訪ねたこともあり、今回どうなっているのかを見たかった。(当時の記事はこちら)  前にみたガレキの山は少しは片付いていたが、まだまだガレキはある。7月を思いだした。長くなるので自分の想いは最後にまとめよう。

 

さて、陸前高田でのボランティアは畑を耕すこと。

7万本あった高田の松、高田松原。津波で一本だけ残った奇跡の一本松を希望に、また高田松原を復活させるため、苗を植える。 その苗を育てる畑を耕した。松原復活の最初の一歩に参加できたことが嬉しかった。

 

作業のあと、高田松原を守る会のみなさんと懇親会。これまでの活動の経緯をうかがう。会長含め、みなさんの想いがひしひしと伝わる。 言葉が熱い。何が何でも松原を復活させる。 その想い、覚悟に涙するものも多かった。

会の最後、ある方の言葉が心に響いた。

「一本松は残念ながら枯れてしまう。だが、その命をもった苗は少しではあるが育ちつつある。あの松原が復活するには、何十年もかかる。この会のメンバーはこの先長くない。もう見ることはできん。だが、理屈はどうでもいい。ぼさっとしてられん。松原を復活させるために、今できることをやる。それが明日の高田を作るのだから

陸前高田の人の一本松に掛ける想い。復興への希望。
想いが人を変え、みんなを動かす。そうやって地域や国が変わるのだと思った一言だった。

 

この日はクリスマスイブ。この一本松がライトアップされていた。

夏にこの企画に参加したメンバーが中心となり、守る会の人といっしょにライトアップを実施。雪の舞う東北、クリスマスイブに本当にステキな光景だった。 一生忘れられないクリスマスイブとなった。

次の日の新聞で産経新聞で一面トップを飾り、メディアでも大きく報道されていた。この光景を生で見れたことに企画していた方皆さまに感謝したい。

 

4.若者たちの思いとこれから (25日)

最終日、25日は朝から雪が積もっていた。クリスマスということもあり、おはようのあいさつと合わせて、メリークリスマスの言葉が温かかった。

バスで気仙沼に向かい、現地を見て回る。この日ボランティア活動はなく、ガイドの方のツアーでさまざまな場所を見て、お話を伺った。

 

お話のあと、バスの車内でそれぞれが感じたことをまとめる。合宿の最後のチェックアウトだ。22日の東北へ向かうバスでの自己紹介を兼ねてのチェックイン。23,24日のホテルでの講義、対話。そして最後のチェックアウト。

(写真は三日間の対話の風景)

 

みんな3日間で感じたことを話す。初めて東北へ行ったメンバーはいろんな想いがあり、考えがまとまらない。でも、話す。思ったことを自分の言葉でしっかりと伝えていた。

「テレビと見ていた状況と違った、ガレキがまだまだあった」
「自分の目で見ることの重要性がわかった。肌で感じることがたくさんあった」

と今回の感想はもちろん、これからの生き方についても熱く語る。この対話の中で、次に自分たちで何か新しい活動をしようという提案もあった。

できることをやろう、仲間でやろう。 若い人の言葉に学ぶことが大変多かった。クリスマスということもあり、普段口にできない家族への想い、人への想いを思ったままに伝えていく。

みんな、来て良かったと口をそろえて言う。3日たって、みんなの顔が変わっていた。10代後半~20代前半の多感な時期に、東北をみて何を感じたのか、そして彼らがどう変わっていくのか、熱い思いを胸にがんばってほしい。これからのリーダーになる子もたくさんいるはずだ。 そんな熱いみんなと過ごせて本当に良かった

5.最後に

「友達にこの合宿のことを話す。みんなに伝えて、次回絶対行って欲しい」 ほとんどの人がこのことを口にし、一眼のカメラやi phoneを片手に写真をとっていた。 情報を伝えること、私自身も助けあいジャパンを3月12日から参加させてもらっている。

そして、このブログもみんなに伝えたい、その想いで今書いている。

もっと現地からみんなへ情報を。そう思って、助けあいジャパン・情報レンジャーは現地から情報発信をし続けている。 「情報はライフラインだ」と3月12日にさとなおさんのこの言葉で始まった助けあいジャパン。 私は参加していた三日間助けあいのTシャツをずっと着ていた。

「助けあうっていい言葉ですよね。今の日本に必要ですね。」という学生の声が嬉しかった。
「助けあいジャパン、私も何かやりたいです。」 という子が何人もいてくれてありがたかった。

東京ではもう震災は風化している。でも、現地はまだ震災から2-3カ月という感覚ではないのか? 遅いというわけではなく、まだガレキも多く、震災の傷跡が多く残っている。時間だけがたっているという状況ではないのか。この差を埋めるには、情報を発信するのが大事だと思う。風化することは避けられない、だけどみんなに忘れてほしくはない。

 

仮設住宅に大きなクリスマスツリーがあった。見た瞬間に目が熱くなった。現地の人はどんな想いでクリスマスを過ごし、お正月を迎えられるのか。私には被災された方の気持ちはわからない。だけど、情報発信をしていこうと思った。それが今、自分にできることだから。

 

最後にお礼を

企画していただいた石川淳哉さん、中島明さん、ライトアップをされた辰濃二郎さん、ありがとうございました。 イナズマという会社、社会を変えると思いました。 かっこいいです。みんな言ってたけど、かっこいい大人です。これからもついていかせてください。

一緒に参加した皆さま、そして今回の企画をしてくれた学生ボランティアの鈴木 伸也さん、松村 紗仁子さん、小林大地さん、高橋万里菜さん、ありがとうございました。一緒に過ごせて本当によかったです。仲間と過ごしたクリスマス、一生忘れません。

松村 光芳さん、野村 謙次さんをはじめとする寄付をいただいた皆様、ありがとうございました。皆さまのおかげでたくさんの学生が現地に行くことができました。

この合宿に参加するきっかけとなった、助けあいジャパンでのチャリティーセミナーの一こま。助けあいジャパンのTシャツを着た自分と今回のリーダー中島さんの後ろ姿。このあと、中島さんと石川さんに誘われ、今回の冬合宿へ。

中島明さん、改めて本当にありがとうございました。続けましょう。そして、変えましょう。

 

読んでいただいたみなさん、長文お読みいただきありがとうございました。

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