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1年経った東北で、若者たちは何を見たのか? -クリエイティブの可能性 春合宿-

行ってきました、東北へ。

4月6日、夜11時に麻布十番を出発し、南三陸、陸前高田でボランティア。その間、現地の人たち、仲間との対話をくりかえす、3泊4日のクリエイティブの可能性 春合宿。

あの311から一年たった東北で42名の参加者が何を見て、何を感じたのかをまとめていきたい。長い文書だが、見やすいように写真をふんだんに使っている。読みづらい方はぜひ、写真と最後だけでも見てもらえるとありがたいです。

今回の合宿の背景についてはこちらの記事

4月6日 23:00  出発

今回の参加者は私を含めて合計 42名。(学生30 名、社会人12名:男女比はちょうど1:1)
南の端の鹿児島、西の端長崎の佐世保といった遠方からの参加者が多かったのが特徴的だった。最年少参加者は15歳。最年長は46歳と幅広いバックグラウンドをもつ参加者が集まった。

集合は22:30に麻布十番のドリームデザインラボ。 遅刻もなく、全員が時間通りに集合。見送りに夏、冬に参加したメンバーが数人が来てくれていた。これまでのみんなの思い、初めて東北へ行く不安、初対面同士のメンバーの緊張感と出会いへの期待。 参加者それぞれが、さまざまな思いを胸にバスは東北へ向けて出発した。

行きのバスでは合宿の全体像、そしてこの合宿の軸である

  • 対話
  • ありのまま
  • 一歩踏み出す勇気
  • 101%
  • 感謝
  • つなぐ

を最初に説明し、そこから自己紹介を兼ねた一人一人のチェックインをスタート。まだ、緊張しながらも一人ひとり参加のきっかけ、思いを話していた。「自分の目でみないとわからない」、一年たって初めていくメンバーからはこの言葉が多かった。

今回、ファシリテーターの私が一番力をいれたのが、この対話の設計。自分自身との対話。 現地の人との対話。 仲間との対話。 それぞれ、話をすることで見えてくるものがある。参加者一人ずつにノートを配り、気づいたことを書いてもらう。 横に座るメンバーを毎日変えて、話をしてもらう。そして、夜、みんなで話をする。

初対面の人が多いため、チェックインのあとはあえて時間をとり、横の人と話をしてもらう時間を作った。ふつうはすぐに終わるのだが、やはり人は話をしたい生き物。チェックインの後も、バスが静かになるまでは時間がかかったのが印象的だった。

夜は更け、次第とみんな休み始めた。 私はやはり緊張していたのか、4時くらいまで目をつぶっていても眠れなかったのを覚えている。

南三陸町:防災庁舎前 -> ボランティアセンター

朝、道の駅で着替えと朝食を済ませ、ボランティア活動をする南三陸町へ向かう。到着の時刻が早いため、途中で防災庁舎前に40分ほど立ち寄る。
初めて東北に来たメンバーは、ここではじめて震災の傷跡を見ることとなった。

「言葉がでない」、「胸が痛い」、「今の感情がわからない。だけど涙だけでる」 といった声がきけた。みんな思い思いに見て回り、写真をとっていた。

私も冬の合宿で同じ場所を訪れたが、今回のほうが見学する時間が長く、病院の上の舟、近くのガレキの山も見れた。 1年たってこの状況に、自分自身も改めてどう受け止めてよいかがわからなかった。

少しだけ参加者の言葉をブログより引用したい。

「なにもないのに、なにかがそこにある」。作業服に着替えた私たちは、見学という形で役場の防災(右の写真)の建物の前に立った

メンバーが声を失って驚いている中であたしは触れてみても何も感じなかった。目の前に”現実”が”存在”しているのにテレビのシーンのように感じた。まるで記念碑を見るような気分だった。手を合わせて考えようとしてみても、亡くなられた方へのメッセージを読んでもリアリティがちっとも浮かばず、波の音さえ、何も聞こえず何もなかった。あまりにも、実感がわかなさすぎて、一人周りを歩き始めた。ふっと見た先に、朱色のものが転がって目線を合わすと印鑑のケースだった。普段、私たちは汚さぬよう持っているもので名前を証明するものがこんなにも泥んこに、誰かのものと分からずぽつんと転がっていた。

触れてみようとした。でも、それより先に何かが心を揺らした。実感してしまった。

実感してしまった。 自分は違う場所で生きていたということを。

今回、添乗員として来ていただいたJTBの橋本さんは何度も東北に来られているが、初めてバスをおりて防災庁舎をみて感じることが多かったようだ。 「自分の目で見る、五感で感じる」 この重要性が、参加者全員がわかった時間だった。

その後、バスは南三陸町のボランティアセンターへと向かう。

団体受付を済ませ、全員で同じビブスを着る。団体受付だったので、この「今こそこの国の底力を見せるとき」というビブスではなかったが、ここで一度集合写真を撮った。

活動した場所は、志津川地区。高台に続く山間の場所で、瓦礫の撤去作業でした。 ボランティア中は写真がないため、言葉での説明にしたい。

ボランティアリーダーの言葉を借りると、、

近隣の人たちは目の前にガレキの大きな山があり、道にはまだガレキがある。まだ、震災がそこにはあるのです。その中で、少しでも違う景色をみてもらうために、がんばってガレキを拾いましょう。」という掛け声で活動がスタートした。

一年たってもガレキはたくさんあった。 今回の場所は、近くに民家があり、見た目だけでもキレイにするため、特に目につく大きなガレキや白いものを重点的に拾った。

掘れば掘るほど、瓦礫がでてくる。 その中には小学校のユニフォーム、通学カバン、ハイヒールがあった。ガレキ=ガレキではなく、ガレキ=誰かの思い出の品 ということがみんな改めて気づかされた。

あっという間に時間は過ぎ、ボランティアは終了。

最後に若いリーダー、キムさんの言葉を紹介したい。

「今日はガレキ拾いお疲れ様でした。ガレキいっぱいでてきます。こんなにいっぱいあって気が遠くなるかもしれませんが、現地の役に立っています。

私も立場上、活動中に現地の方とお話しする機会がよくあります。 現地の方は、ボランティアの方に勇気をもらえるそうです。 助けてくれてありがとう。私たちもがんばります。と私たちのボランティアの活動が現地の方の励みになっているそうです。 よかったらまた来てください。 ありがとうございました。 」

彼は20代前半。 メンバーと同じ世代ということもあり、みんなそのあとボランティアセンターでも話が弾んでいた。

陸前高田:キャンプファイヤーと安田さん

その後、バスは陸前高田へと向かう。7万本あった松が津波で流され、一本だけ残った高田松原の奇跡の一本松。車中から一本松を見、海岸線を歩く。海岸には津波の爪痕があり、いまだに松の一部が残っている。

波の音ときれいな海。 そこに壊された松原の松が横たわる。 不思議な光景だった。その静けさが、津波の威力を浮きだたせていた。

この松原の松を使って、キャンプファイヤーを実施。高田松原の小山副会長、裏部隊のメンバーが準備を進めてくれていた。

陸前高田、高田松原の復興の思いを込めて、希望の火と名付けた。 この希望の火、みんなを代表して最年少参加の加瀬安菜(15歳)が点火。火はいっきに燃えあがり寒さも和らいだ。このキャンプファイヤーを背景に現地の方にお話を伺った。

今回、お話いただいたのは 安田留美さん。

安田さんは社会福祉協議会に勤められており、311日に現地で被災。津波で社協の幹部の方が全員流され、災害ボランティアセンターを急きょ立ち上げることとなった方です。大地震、津波、そしてボランティアセンターを立ち上げるにも、聞くことのできる上司はもういない。電話もつながらない。やり方がわからない、そんな中での立ち上げだったそうです。

3月24日にドコモの電波が復旧し、他の地区の社協のメンバーとともに立ち上げ。だが、当時、陸前高田のボランティアセンターは外部からのボランティア受入を拒否し、非難されたそうだ。 その理由が今回聞けたので紹介したい。

「四十九日。災害から四十九日たつまでは、外部の方の受け入れを拒否していました。批判もありました。だけど、四十九日経つまでは地元のみんなで遺体を探したかった。私たちの家族、友人、仲間。 地元の人は今回たくさんの人を亡くしました。四十九日経つまでは自分たちの手で探して、供養をしてあげたかったのです。」

キャンプファイヤーの灯りはあるものの、外は暗い。 安田さんのお話を聞きながら、私を含めみんな涙していたのがわかった。

その後、ボランティアセンターにはたくさんの人がくるようになる。日に1,200人を超える人が来たこともあったそうだ。ボランティアセンターの3つの約束(走らない、大声を張り上げない、すぐ言わない)や、陸前なじょにかすっぺ(陸前高田 みんなで何とかしようよ!の意味) のお話を伺った。 ボランティアセンターはつなぎやく。 現地の人とボランティアのつなぎ役でもあり、自分たちだけでは全部はできない。だからこそ、来ていただくボランティアを仲間と感じ、無理のないやり方やボランティアセンターの作りをしているとのこと。

みんなでなんとかしようよ!なじょにかすっぺ! 次の日に安田さんが着ていた、Tシャツをみんな買っていたのが嬉しかった。みんなでなんとかしようよ、東北も、陸前高田も。できることは限られる。微力だけど、無力じゃない。そう誰もが思ったお話、安田さんありがとうございました。

その後みんなで裏部隊が準備してくれたご飯と炊き出しを食べる。ご飯のおかずはシャケやメカブ。 東北では新芽のメカブを食べることが、春の訪れを感じることらしい。1年たって、春。 みんなで東北に来たよね。 本当に思い出に残る晩御飯でした。裏部隊のみんな、ありがとう。

この後、バスは宿泊先へ戻り、初日のダイアログへ。ダイアログの話はあとでまとめて書きたいので、そのまま2日目へ。

2日目:陸前高田での松の植樹

2日目のスタートは早かった。 5:30に起床し、6:00から朝食をとった。宿泊している旅館ではこんなに早い朝食は難しいのだが、今回無理をいって対応していただいた。朝からみんなで食べたご飯が本当においしかった。 ありがとうございました。

6:30に旅館を出発し、8:30に陸前高田のボランティアセンターへ。先日の安田さんのお話を聞いていたこともあり、自分自身も3回目のボラセン。朝から感慨深かった。ボラセンでは、ボランティアのシールをもらえる。 このシールをそれぞれ、作業着にはり、この日の活動のスタート。

この日は、先日に続き高田松原を守る会のみなさんとの活動。

7万本の松を復活させる、松の苗をみんなで植えるという作業だった。 鈴木会長のお話に始まり、みんなで苗を植え始める。7万本の松の復活の第一歩。この日植えた松は701本。 その一歩に自分たちが関われたことがうれしかった。

この松の植樹、実はこのまえには畑を耕す作業があった。 これは冬に行った合宿で行っており、今回は冬に参加したメンバーも東京からはるばる植樹に参加してくれた。つながっている。 仲間がいる。松の復活にはいろんな人の思いがあることを改めて感じた。

作業の途中。サックス奏者の小林洋平さんの曲を聞かせてもらったり、横浜のありあけハーバーを販売されている上原淳一郎さんより、お菓子での復興支援のお話を伺う。最後にお菓子の差し入れを全員分いただいた。 本当にありがとうございました。

南三陸、武田雄高さんのお話

陸前高田を通り、再び南三陸へ。震災後、地元の復興のために活動を続けられている武田さんのお話を伺った。震災後にすぐにランドクルーザーを買い求め、各地に物資を届けまわる。仕事が薬剤師のため、薬を車につんで避難所を訪ね、それがきっかけで現地入りした救急チームの道案内を務められたそうだ。これまで緊急時の救護班の活動は医師が中心となっていたのだが、今回の武田さんの行動をきっかけに緊急災害時の薬剤師の同伴の有効性が認められ、今後に生かされているそうだ。

武田さんは仲間とNango BASEといった基地を作り、仲間と一緒に復興の活動をされている。そこには東京でIT企業を務められた方が参加されていたり、ボランティアについての心構えや都会での復興支援と貴重なお話を伺えた。

復興はこれまでの通りにすることではない。それは復旧。復興は気仙沼に新しい産業を作り、町をまた作り盛り上げていくこと。

こんな熱い 思いを最後に武田さんに伺うことができた。

実はこの講演の時、ちょっとしたことを裏で進めていた。(裏部隊もしらない、裏の裏です)安田さんにお話しを聞き、裏部隊にキャンプファイヤーを準備してもらう。 松の会の方には笑顔をもらい、おみやげにお菓子ももらう。「貰いすぎだよね」という参加者の言葉が表すとおり、自分たちはいろんなものをもらいすぎていた。 せめてものお礼をしたい。 そう思って、急きょお礼の歌をみんなで歌うことを進めていた。

陸前高田から南三陸に向かう道中。 全員でスピッツのチェリーを練習し、武田さんの会の後に全員で合唱。 武田さんとそのスタッフの方、そして今回準備をしてくれた裏部隊のみんなに対しての感謝を込めて42人で歌ったスピッツのチェリー。指揮者は小さいころから音楽をやっていた、寺尾くん。彼の指揮のおかげで全員でうまく合唱ができた。

帰る間際、お茶をだしていただいたスタッフの方がここぞとばかりに声をかけてもらえた。「私、スピッツ好きなんです。みんなで歌ってくれてありがとう。すごく元気をもらいました。また、ぜひ来てくださいね」

もらうものばかりの合宿だけど、少しだけ自分たちもお返しができたのかな? とうれしくなった。 また、絶対会いに行きます。
その後、急いでバスを走らせ旅館へ。

この最終日の夜が参加メンバー全員がそろって「いただきます」してご飯を食べる、最初で最後のタイミング。裏部隊のメンバーも一緒だった。 学生幹事の山下雄登が代表して、いただきますの挨拶。 早くご飯たべさせろー! 長いー!(笑 との声もあったが、良い「いただきます」の挨拶。あたたかいご飯にみんなが笑顔だった。

夜のダイアローグ

初日の夜、そして二日目の夜と全員でダイアローグを実施。初日は東北にきての感想やボランティアについての話をみんなで対話した。 一日目は会ったばかりだということもあって、みんな固かった。

でも、二日目の夜は全く違った。長い間一緒にいたこともあり、対話にもなれたこともあって、それぞれの思いを言葉にしていく。二日目の感想に始まり、ボランティアについての思いも話す。

二つ目の対話のタイミングで、あえてアドリブで「絆」についての対話をした。今回の参加者には、チェックインの時、「絆」や「つながり」について飽きた、とか、興味がない。 というメンバーもいた。確かに震災が風化してそういう声が出ている、「絆」という言葉だけになってしまっている感は否めない。 そういうこともあって、あえてこのテーマで話をしてもらった。

松の会の方の笑顔の話、自分の家族の話、友達の話。 「絆」をテーマにしたことで、初めて自分の思いを話始めた。 思いが溢れ、涙するメンバーもいた。メンバー全員が本気で話をしていたからなのか、絆のテーマが響いたのか、添乗の橋本さんまでが座りこんでノートに自分の思いを書き始めたほどだった。

9時40分に始めたダイアローグはこの時点で11時。残り一時間は、自分自身の人生について話をしてもらった。
テーマは「あなたが人生の中で成し遂げたいことはなんですか?

自分のこれまでを話すもの、夢を話すもの。その中でも社会人の大塚さんのお話が若い学生には大変参考になったようだ。 大塚さんのブログより抜粋。

はたして、自分の思いが伝わるのか?
そこで、一人一人、全ての人と話すことは出来なかったが、時間が許す限り、じっくり時間を取って話すように心がけた。実際に、合宿の時に、夢を共有する場があり、自分の経験もプレゼンする機会の幸運があった。

アメリカでの幼少期の経験。帰国後日本に適応するのに苦労したこと。長い研究生活と大きな挫折。偶然決まった転職先。その結果として、チャレンジすることの大切さ、20代でも30代でも人生のやり直しがきくこと、を学んだこと。また、趣味を通じて広がった縁。その結果として、すぐに行動することの大切さを学んだこと。等。

自分の人生は、試行錯誤の連続だったが、今や一つ一つの経験が大きな財産になっている。そう考えると、ありのままを出せば伝わるはず。だから、自分が41年間、生きていた経験を正直に、弱い部分を含めてさらけ出すこと

あっという間に1時間はすぎ、時計は12時を回る。まだ前にでて話をしたいものも多数いたが、あえて12時で終了した。終了した理由は、物事には終わりがあること、人生には終わりがあること。その終わりがいつくるかはわからない。だから、思ったことは待たずにすぐやって欲しい。その意図を込めて、時間通りでダイアログは終了した。

この合宿も残り一日。みんな疲れているにも関わらず、夜の懇親会が盛り上がったことは容易に想像がつくはずなので写真のみで!

最終日:朝から大遅刻と気仙沼

前日までのボランティアと移動の疲れ、そして夜中までの懇親会。 みんな眠い目をこすりながら、最終日の朝を迎える。 ここまでこの合宿はほとんど時間通り。 集合時間も遅れたことがなかったのだが。。。最後に大遅刻!!!

出発時間をすぎても全員が揃わない。受付に全ての鍵は返却してあるが、4人まだいない。宿の人も一緒にお風呂やトイレを探し、電話をするもだれもでない。 まさか、散歩にいって何かあった???と思ったところで、部屋でみんな寝ていたところを見つける(苦笑 出発は30分遅れの8時でした。

待っている間にみんなで飲んだ差し入れのレッドブル。 美味しかったです。原田さん、ありがとうございました!

最終日は気仙沼をガイドさんと回る。 気仙沼漁港の311当時のお話や15年連続で水揚げ高日本一のお話を伺った。私のグループを案内してくれたのは、内海悦子さん。

「去年、大変だったんだけど15年連続で漁獲高一番だったのよ」
「それは嬉しいですね」 と返すと
「そうなの、嬉しいのよ!!!」 っとお茶目な笑顔がステキだった。

「急いで、急いで。みんなにこれみてもらいたいのよ」 と言って、早足で漁港を周り、311当日津波が押し寄せたところを案内してくれる。みんなに伝えたい。気仙沼漁港はみんなの誇り。 そんな思いがお話を伺いながら、ひしひしと伝わるステキな時間だった。

その後、市内をまわり船が打ち上げられた場所、岩井崎を回る。陸に船。見たのは二回目だが、目の前でみると津波のパワーに改めて圧倒されてしまった。

岩井崎には辰の形をした木があるのだが、当日は風がすごい。 ガイドさんの声が聞こえないほど、風邪がビュービュー吹いて、みんな変なテンションに。 みんなでマイケルジャクソンの真似したりと、もう岬のどうの、というのは全くないはず。 なんか、最後に風が強いところに行ったよね? 多分、その印象しかないくらい、風が強かった。

ガイドさんと別れを告げ。最後に復興屋台村にて昼食とおみやげを買う。私がご飯を食べたのは大漁丸というお店。 冬の時にもよって、マグロ丼をいただいた。 嬉しい事におばちゃんが覚えていてくれて、おにぎりのサービスとおみやげにキャラメルまでいただいた。このおばちゃん、笑顔がすっごいステキ!

おばちゃんの話だと、今年の夏、漁港の近くで夏祭りがあるそうだ。去年はみんな花火どころじゃなかった、だけど今年はみんな見に来てくれると思うのよ。 手伝いに来てよ! ともう一回会いに行く理由ができた。

あの人に会いたい。そのためにもう一回会いに東北に行く。 そんなつながりがあって、復興に少しでも協力できればと思った。

屋台村を去る時、ほかのお店のおばちゃんにも声をかけられた。 若い人が多人数で来たから何事かと思ったらしい。「若い人が来てくれて嬉しい!活気があったよ!」 とそのおばちゃん。 来るだけで元気がもらえるようだ。夏の花火の日、絶対復興屋台村にいかなくちゃ。 そう思った

時間通りにバスは復興屋台村を出発し、帰路へ。 ここから東京へ戻るまで、最後のチェックアウトが待っている

最後のチェックアウト

休憩をとり、東京へ向かうバスの中。チェックアウトは16:30から。 このチェックアウトがこの合宿の最後の締めだ。ファシリテーターとしては、この時間のために全ての準備と日程があったと言っても過言ではない。ファシリテーターとして最後にどんな言葉を発するのか? 考えに考えた。

最後の最後。16:20分から胃が痛くなったのを覚えている。緊張で胃が痛くなるなんて、10年前のインターハイの決勝直前以来。 10年ぶりにすごく緊張した。4月6日の夜からファシリテーターとしてのこの最後の瞬間。 最後の最後に自分の本気が出せたと思う。

16:30ちょうどにみんなに声を掛け、全員で背伸びをして体を起こす。三日間を振り返り、ここから5時間かけての1人ひとりのチェックアウトが始まった。(写真中央は、バスの中に張っていた支援者の顔つきのリスト)

三日間を振り返る者、自分の過去を話した者、これからの夢、会社に戻ってやること、辛い過去、誰にも言えなかった悩み、家族への想い。

チェックアウトの言葉を少しだけ書ける範囲で紹介したい。

参加するまで仕事がイヤだった。でも、参加してみて働いてお金を納めるのも支援の一つ。私達の義務。明日からまたがんばって働きます。

今って、0か100の支援しかない。行政や政治もそう。もう少しその間の関与の仕方があってもいいと思えてきた。

過去が辛かった。でも今回、参加してその辛い過去が、必然のようにも思えてきた。そうしなければ、自分自身が今回、本当に自分と向き合えなかった。一歩踏み出せたと思います。

話す方も涙を流しながら、本気で話す。 聞く方も涙を流しながら、本気で聞く。バカにするものは誰ひとりいない。 3日前まで赤の他人だったのに、これほどまで自分自身をさらけ出せるものかと、誰もが思った。

もう、このメンバーで話すことは二度とない。東京が近付くにつれて、車内もヒートアップしていく。対話、ありのまま、一歩踏み出す勇気、101%、感謝、つなぐ。 クリエイティブの可能性の全てがこのチェックアウトに詰まっていた。学生幹事のスージーを最後にみんなのチェックアウトはおしまい。

到着予定の21:30までちょうど10分ほど残っていた。今回、一番お世話になったJTBの橋本さんにもチェックアウトをお願いし、最後の最後、自分自身のチェックアウトでちょうど麻布十番近くに到着。

残り3分で、みんなからTシャツとメッセージのプレゼントをもらう。 もう、このサプライズ本当に知らなくて本当に嬉しかった。 最後にみんなで、スピッツのチェリーを歌い21:30 ちょうどに クリエイティブの可能性 春合宿は幕を閉じた。

最後に

さて、ここから自分の思いを書いていきます。
バスを降りる最後、スージーと少し話をした。 今回、彼女が来てくれて本当に助かった。ありがとうスージー。

冬と春を客観的に見れたのは彼女だけ。 スージーも今回は色々と大変だったみたい。 でも、最後にバスを降りる彼女の顔をみて、スージーも一歩踏み出したと思う。 そして、自分自身も一歩踏み出した、と同時にいろんな人の顔が浮かんできた。 支援をいただいたたくさんの方、お話を伺った現地の方、応援してくれた仲間、石川さん、辰濃さん、裏部隊のみんな、中島明さん。

バスを降りて、一番最初に石川さんが待っていてくれた。思わずハグして、涙が少しこぼれた。一緒にいったメンバーもそうだし、裏部隊のみんなの顔が見えた。 辰濃さんの顔が見えた時に、もう涙がとまらなかった。辰濃さんには本当にお世話になりました。一回りも若い自分に本気で接していただけました。石川さん、辰濃さん、本当にありがとうございました。

大変な中、中島明さんは近くまできてくれたみたいだった。 中島さん見たら、もっと泣いてたと思う。最後のみんなの写真で目が腫れてるのは、こういうことなので勘弁してください(笑

さて、最後にタイトルに戻ろう。今回、1年経った東北で、若者達は何を見たのか?

上の写真にもある通り、片付かないガレキ、震災の傷跡、自然の脅威、生と死。それに加えて復興への想い、希望の光、仲間との絆、ありがとうの意味、一歩踏み出す勇気、一歩踏み出したあとの新しい日常。

書きだすと止まらない。写真で伝えられる事実の部分と、目に見えづらい想いの部分。その2つが合わさって、今も何を見たのか不思議な感覚です。

多分、参加したみんなは見る世界が変わったと思う。震災を五感で受け止め、改めて生きることや人生を考え、一人一人が一歩踏み出した。踏み出したからこそ、新しい景色が見え、新しい日常があります。少なくとも私はそうです。

今回の合宿、あえて人の顔の写真を多く載せています。見る人によっては、ボランティアして、話して、みんなで飲んで、楽しんだだけか? と思われるかもしれません。

そうじゃないんです。人の顔がある。笑顔がある。だから、お互いに勇気をもらえるんです。被災地、復興支援というけれど被災地=東北と場所の話じゃないんです。そこにはいろんな人の顔と想いがある、復興支援は人と人の話なんです。想いの話なんです。

人の顔があるからこそ、この合宿に行った人はまたその人に会いに東北にボランティアにいきたくなります。東北の人も、自分達も一人じゃできない。だから、仲間が必要。互いに続ける仲間と勇気が必要だと私は感じています。

正直に、1年経っても被災地の現状を見るのは勇気がいります。辛いし、涙する人もいる。 東北に一人で行くのも一人で見るのも大変。だから、みんなで一緒に行こうよ。 バスに乗ってさ。  みんなで東北に行って一歩踏み出してみたら、必ず見えるものがあります。それが東北の復興のため、これからの日本を担う若者のためになると、私は信じています。

2年目になった復興支援。未だに家の無い方は30万人以上、仕事の無い方は20万人以上。そして、現地には数十年分の瓦礫が積んであります。
東京でできることは何かな? そう思って息長く、支援を続けたいと思っています。良かったら一緒にやりましょう。少しでも輪を広げたいと思っています。助けあいジャパンの活動も続けます。

東北でボランティアと対話を繰り返す。その先に何が見えるのか? 良かったら、あなたも一歩踏み出してみてください。これまで見えなかった色んなものが見えてきます。 次は夏合宿。一緒にクリエイティブの可能性、続けましょう!復興支援、がんばりましょう!

みなさん、ありがとうございました。

Credit:クリエイティブの可能性 春合宿

参加者(42名):浜中 圭助/武田洋之/杉本はるか/高岡忠宏/加瀬安菜/カツメエリナ/大塚英文/市川祐介/池田寛子/小野崎真一/多田宗平/桜井雄基/砂川玲奈/白井宏美/山崎貴史/出口綱子/田崎里美/伴 眞澄/洪知鈴/黄 天佑/石黒恒/宮本智美/野村謙次/岡孝一郎/佐々木茉莉/中郷智/御手洗玲子/奥村貴子/寺尾淳一/太田大樹/山本拓磨/藤野美和/高山奈々/木下知美/金子翔太/林 佑悟/古賀菜津美/山下良美/飯島 聡和子/山下雄登(学生幹事)/ 中村 菫(学生幹事)/野田祐機(ファシリテーター)

支援者(支援金総額:1,156,709円)
山内 一剛/瀧澤奈美/天野 正浩/大山 毅/北野 佳子/森山 たつを/カツメエリナ/野田 賢一/伊藤 隆広/佐藤 正之/小松 史朗/伊藤 正晃/鴨川 明日香/石川 淳哉/武村 達也/島田 義久/野田ゆりこ/阿部 哲也/ 森井志津江/イケガミアツコ/コンドウマサヨ/ネモトミサコ/シラカワアケミ/ゴトウユミコ/オオシマユウイチ/オオハタミユキ/サカグチヒデユキ/カトウマサオ/カネコレイコ/ゴトウトモミ/タムラヤスヒロ/国常 秋穂/星野 陸夫/平井ゆうき/松村 光芳/後藤 たくひろ/ 板谷 慎司/Saki Matsubara/野上信子/星野料代/武田洋之/小林大地/佐藤信敏/藤野 美和/ 津留崎 幸子/サノタカアキ/川本正仁/坂本美奈/鈴木 康慎/Akihisa Hoshino/原田典和/中江 隆史/辰濃二郎/角児太郎/鹿江央聖/秀島正章/野田厚子/林雄一郎/野田麻里亜/橋村隆明/永田優/寺田薫/ヒラヤマトヨコ/イケガミアツコ/コンドウマサヨ/ネモトミサコ/マツノランコ/ヤマシタハルミ/ムラカミマサヨ/オオノミキ/シンメトリージャパン/サトウマモル/4月1日蕎麦の会の参加者

裏部隊:辰濃二郎/鈴木信也/小林大地/福田恭子/松本友香
企画・添乗:橋本彩・菅原剛 (JTB 法人東京)
バスドライバー:マエカワ・シダ
現地でお会いした方:安田留美/金奉永/鈴木善久/ 小山芳弘/永田宗義/渡辺雅史/坂井/小林洋平/上原淳一郎/三浦佳恵/鴨井雄一/伊藤隆広/佐藤晃子/浅岡晃平/武田雄高/清水隼人/内海悦子/サイトウ/ウツミ
Special thanks: 石川 淳哉・辰濃二郎・中島明(Inadzuma.co.,ltd)/辰濃哲郎/夏合宿のメンバー/冬合宿のメンバー

関連記事:4月9日を終えて
東北春合宿、支援金が100万円を突破しました
続けること、伝えること:1%の1歩先へ

参加者の記事一覧:https://www.facebook.com/note.php?note_id=338768466183252

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4月9日を終えて-東北から帰ってきました-

帰ってきました。4月6日に東北に出発したクリエイティブの可能性 春合宿。

今日のうち、家に帰る前にいまの思いを記しておきます。

ありがとうございます。今、色んな人の顔が浮かんできます。参加してくれた41名のメンバー、
支援をいただいたみなさま、JTBの橋本さん、菅原さん。粋な運転手さん。

石川さん、辰濃さん、裏部隊の
しんやくん、大地くん、ふっきょん、ゆかちゃん。一緒に来てくれたスージー、そして中島明さん。

みなさん、本当にありがとうございます。

伝えること。続けること。大事ですね。

今回のことを書くのは時間がかかります。少し休んできちんと書きます。

去年のクリスマスに冬合宿が終わって、この春合宿をやることが決まって、この4月9日が不安でもあり、楽しみでした。
一つの節目であるこの合宿から
どんな思いで自分は帰ってくるのかな?って

今日、その4月9日が終わるにあたって、やっぱり色んな人の顔が浮かびます。
色んな人に助けてもらって今回の合宿ができていること、自分が生かされてること、自分が本当に大事にしていたことが見えてきました。

自分のことだけですいません。

少しゆっくり休んで、また走りだします。きちんとまとめます。

参加者のみんな、無事に帰れたかな? みんな、最後のチェックアウトで伝えきれなかったとこもあっただろうけど、ブログやFacebookで続きはまた。集まれる人は集まりましょうね

クリエイティブの可能性、伝えましょう、続けましょう。
みんなでがんばって伝えて、夏につなげていきましょう。

今日までみなさま、本当にありがとうございました。少し休んで、また走りだします。

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写真は最後にバスを降りる直前の車内。みんなとこのバスで行けて本当によかったです。

一年経って東北へ -ボランティアバスを出します-

4月6日から9日まで東北に行ってきます。前回記事にも書いたとおり、ボランティアと対話を繰り返す クリエイティブの可能性 春合宿にリーダーとしてです。

クリエイティブの可能性について

このクリエイティブの可能性は、デザインやプロモーションなどの幅広い広告、クリエイティブな事業を展開されている石川淳哉さんから始まりました。広告やデザインなどの経験を「クリエイティブの可能性」と題して京都の学生に講師として教えられていた石川さん。 震災の後、その京都の学生から連絡があり、「この震災に対して、私たちに何かできませんか?」 という思いで、教え子の方と夏のボランティアに出発されました。

現地でボランティアをし、現地の方にお話を聞き、夜はみんなと対話を繰り返す。 東北で何を感じるのか? 五感全体で感じることを一生懸命受け止め、言葉にしていきます。 言葉にできないことも、感情を抑えきれずに涙する人もいます。 ボランティアを通じて、被災地そして自分自身と本気で向き合う合宿。夏合宿が終わり、そこでの出会いで会社を作った人もいます、新しい活動をはじめた学生もいます。

 夏合宿の参加者でもある、中島明さんは冬に同じ合宿を実施しました。夏に参加したみんなの、「もっと東北に行ってほしい、この合宿に参加してほしい」という思いを受けて。

私は夏合宿のことは知っていました。行きたかったけど、都合があわずに冬合宿に参加。そこで学んだこと、出会った仲間、そして、もっと他の人にも東北を自分の目で見てもらいたい、この合宿を体験してもらいたい。 その思いで、夏の石川淳哉さんから、冬合宿の中島明さんへ。 そして今回、春合宿のバトンは私が受け継ぐことになりました。

ボランティアに行く。 それだけではありません。

若い人にいろんなことを感じてもらい、自分自身と向き合い。これから何ができるのか? 同じバスにのり、同じボランティアを体験する。夜には本音で全員が語り合って、これからの復興、そして日本のためにできることを考える内容です。参加した学生は変わります。 一人一人が被災地を五感で感じ、自分自身と向き合うことで心を動かされます。自分達でできる活動を始め、東北、日本のために自分達ができることを一生懸命に取り組んでいるのです。

夏合宿に参加した小林大地。合宿のあと毎週のように東北に通い、7万本あった松が津波に流され、奇跡的に残った一本の松。この奇跡の一本松を鎮魂のためにクリスマスにライトアップ。テレビにも取り上げられ、新聞の一面にも掲載されました。
東北で出会った、あの人のために何かやりたい! その純粋な思い、それが彼を変えていったのです。

冬合宿に参加した福田恭子。 本当におとなしかった女の子です。彼女は冬合宿の帰りのバスで、東北のために行動することを宣言しました。 本当におとなしかった女の子が、みんなを巻き込んで今度の春に東北の人のために場作りをします。大人しかった子が変わっていくのです、いつのまにかリーダーシップをとりはじめるのです。

一緒にいった学生はそんな二人のようにアクションをとれずに悩む子もいます。 何であの子にできて、自分にはできないのだろうか? と。 でも、そう悩みながらも、顔つきが変わっていきます。みんな少しずつ前に進んでいるのです。できることをやりはじめているのです。

いきなりChange する子もいれば、少しずつ変化する、Shift していく子もいます。一人ではできない。だからみんなで助け合って、励ましあって、少しずつ自分ができることを進めています。少しずつ若い人みんなが変わっていくのを目の当たりにし、大人達も変わっていくのです。

同じ時代に生まれ、同じ国に育つ。

その時、生まれ育った国で震災という、これまでにない出来事が起きました。多くの人の生き方、価値観、多くのものを変えてしまった3月11日の地震と津波。

何が変わったのか? 自分に何ができるのか?
このことに真正面から向き合うこと。 それがこれからの明日を担う若者に大きな意味を持つと信じています。 テレビやネットでは伝わりきれません。現地に行って、五感でもっと感じてほしい。その思いで私は今回、3回目の合宿のバトンを受け継ぎました。 未来を担う若い人に東北に行ってほしい、ボランティアをつうじてありのままを受け止め感じてほしい。 それが必ず、明日の復興、しいては日本のためにもなる。 そう信じて企画しています。

今回の春合宿、最年少は中学校を卒業したばかりの女の子です。九州の長崎から参加してくれる子も、アメリカから日本に帰省して参加する子もいます。若い人たちにとって、参加費の3万5千円というのは安い金額ではありません。

読んでいただいているみなさま、どうか、この合宿に共感していただけましたら、学生に支援の寄付をお願いいたします。東北は遠いです。そして、学生に3万5千円は大金です。もしよければ交通費のサポート、参加費のサポートの寄付をお願いします。 参加した学生にはきちんと報告をしてもらいます。次につなげてもらいます。 お金が余ったら、必ず次回の合宿も実施します。

若い人を東北に。 仕事で東北に行くのが難しい社会人のみなさま、どうかみなさんの思い、復興への思いを、未来を担う若い人に託していただけますと幸いです。この活動に共感していただけましたら、一口5000円からの寄付をどうぞ宜しくお願いいたします。私が責任をもって連れて行きます。

 みなさまのご支援、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

※寄付は下記の口座で受け付けております。入金頂けましたら、確認のため、Facebookの野田 祐機宛までメッセージを頂くか、info@learnbydoing.jp にメールいただければ幸いです。

三菱東京UFJ銀行・笹塚支店(138)・普通 0122475

名義:ノダユウキ

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復興を続けること、東北の今を伝えること

今回は個人的な想いを書きます。 良かったら最後まで見ていただけるとありがたいです。

さっそくですが、私は4月6日(金)~ 4月9日(月)まで、東北にボランティアに行きます。 クリスマスに参加した、クリエイティブの可能性 冬合宿。今回は2泊4日の春合宿です。企画は私、野田祐機がJTB東京の方とともに実施しています。 少しでも多くの若い人に東北に行ってもらいたい、そんな思いで企画しています。前回、冬合宿の内容はこちら

この春合宿の説明の前に想いを

私は昨年の7月に1人で陸前高田に行ってきました。 震災から4ヶ月も経っているのに、片付いていないガレキ、崩壊している家屋、仮設にも入れない人たち。 一言でその時の状況を表すと、「ここは本当に日本なのか?」という目を疑う状況でした。

現地の状況はあまりにも自分が予想していたものを超え、自分の認識の甘さ、無力さを知りました。その帰りの新幹線、ずっと考え続けたことが、今、自分が東北にできることはなんだろう? これからの日本のためにできることは何だろう?ということ。

しばらくして出た自分の答えは、復興を続けること。東北の今を伝えること。
とにかくこの状況を知ってもらいたい、できることで貢献したい。そこから情報発信の助けあいジャパンでのボランティア、東日本大震災チャリティーセミナー HOPE100のお手伝いと、自分のできる範囲で復興支援に関わってきました。

そんな、震災からもうすぐ1年。

東京では震災の話はもうありません。 風化するのは仕方ないこととは思っています。東北も復興に向かっています。だけど、東北に積まれているガレキは数十年分のものです。家の無い方は30万人以上、仕事の無い方は20万人以上いらっしゃいます。東北にはまだ支援が必要なのです。 これからも東北のために私たちみんなの力が必要なのです。

今回の震災、寄付をした人は国民の4人に3人と言われています。集まった寄付金は、総額4,400億円。 国民一人あたり4,000円の寄付です。なんとなくイメージがつく数字です。
では、ボランティアはどうでしょうか?これまでの累計のボランティア数は 約100万人です。(2012年1月末累計:920,900人)100万人と書くと多いのですが、1億2千万人いる国民の1%です。日本人のたった1%の人しか東北でボランティアに参加できていません。日本人のたった1%の人しか被災地を自分の目で見れていないのです。

参加できないことが悪いとは思いません。ある専門の方に聞くと、ボランティアに行く機会がない、背中を押してくれる人がいないという理由が大きいそうです。そして、東北という距離の問題、原発の問題、仕事や学校の都合の問題があると思っています。だけど、マグニチュード9.0 というかつてない地震が襲い、巨大な津波がきた今回の大震災です。日本人の誰もにとってこれまでの価値観、やり方、すべてを見つめ直すきっかけとなった大震災。でも、日本人の99%はテレビやネットのニュースを通じてしか、東北の現状を知れていないのです。

私はこの1%の事実を知ってショックでした。99%の人にとって震災はテレビとネットを通じてのものということ。 そして、ずっと考えています。 本当にこれでいいのかな?って。先ほど書いたようにボランティアにいったことが良いことだとも、行けていないことが悪いという問題ではありません。

でもやっぱり思います。 自分はこれでいいのかな?って。
先ほど書いたように私は7月に東北に行って、続けること、伝えることを決めました。 私が今伝えたいのは、特に若い人。若い人にリアルで感じてもらいたい。これからの日本を語るときに、避けては通れない「311」。
ぼくはもっと生で被災地を見てもらいたい、未だに片付かないガレキの前に立ち、対話を通じて被災地の方の言葉を聞く。
命の尊さ、人の弱さ、人の強さ、つながりの力。そこで必ず感じるものがあります

ボランティアを通じて、必ず感じることがあります。 特にこれからの日本を引っ張っていく、若い人には東北に行ってほしい。ボランティアにいってほしい。テレビやネットをではなく、自分の目で東北を見てほしい 五感全体で感じてほしい。それが必ず、これからの日本のためになる。 絶対、若い人にボランティアを通じて感じてほしい。 これが今回、私がツアーを担当する思いです。

ガレキはまだたくさんあります。人の話を聞く、楽しい活動を一緒にするといったボランティアもあります。女性でもできることはたくさんあります。今の時期にボランティアというのは、現地の仕事の問題やいろんな意見があるのも承知しています。 でも、私は東北に行ってほしい。 ボランティアを通じて、震災を自分の目で見てほしい、感じてほしい。 これは夏に参加したメンバー、冬のメンバー全員が口をそろえていう言葉です。 そして、みんな言います「友達にも合宿に行ってもらいたいと。

 

 

読んでいただいているみなさま、よかったらボクといっしょに東北に行きませんか?これまで東北に行く機会の無かった方、ぜひ、この機会に実際に東北に行ってみませんか?

ボランティアと対話を繰り返す。 これまでにないボランティアツアーです。2泊4日の非日常の中で、年齢も立場も住んでいる場所も違うメンバーと、 感じ、語り、泣き、もちろん現地の人、参加する人の笑顔もある、そんなボランティアーツアーです。

五感で感じるボランティア、自身との対話、新しい仲間との出会い、これからの自分、東北、日本について考えるこれまでにないボランティアツアー 「クリエイティブの可能性 春合宿

これまで行く機会のなかったみなさん、よかったらボクといっしょに東北に行ってみませんか?  ボランティア参加者は1%。みんなで1%の1歩先へ、一緒に行ってみませんか?

クリエイティブの可能性 春合宿 について

【期間】2012.4.6(金)〜2012.4.9(月)
【対象】「クリエイティブの可能性」を信じている人、学生、社会人、全員。
【目的】日本の未来、自分の未来を考える機会とする
【ツア—概要】
①ボランティア|小さな小さな一歩でもいい、あなた自身の手で。
②被災地見学|この冬の被災地を、あなた自身の五感で感じとる。受けとる。
③移動教室|移動中のバスの中、被災地での経験者談話、旅館での対話(ダイアログ)。一緒にいる時はすべて講義。
④温泉宿泊|現地のビジネスの循環にも寄与する。
⑤東北観光|復興への一歩を踏み出した東北の観光を少しだけ。

【費用】社会人:36,000円
学生 :10,000-28,000円
※どちらも1日2食付
※学生は寄付状況により費用が変動します。

申し込みページhttps://www.facebook.com/events/376118839083693/

【夏合宿のツア—の様子はこちら】
→ http://efg-cafe.com/tsuduke-you/index.html
【冬合宿の記事はこちら】
https://www.facebook.com/note.php?note_id=230637433679011

寄付のお願い

色々な理由があったにせよ、東北に行こうと思いながら、まだ足を踏み出せていない学生、若者たちがいます。

次代を担う若者に、同じ次代、同じく国で起きた震災を、五感をフルに使って感じて欲しい、そんな強い願いを込めて、このツアー合宿は2011年の夏、冬、そして今回の春と企画されました。 石川淳哉さんの企画に始まり、冬の企画は中島明さんへバトンが渡る。そして今回の春は私、野田祐機がバトンを受け取りました。春、夏参加した83名のメンバーの熱い思いも一緒に。

未来ある若者を東北に送り込むのは、きっと未来の日本のためになると、信じて疑いません。

元々は京都の大学の授業から昨年夏に始まったこのツアー。
第2弾からはより広く募集しているものの、京都や関西から参加する学生も多数います。高校生で参加表明してくれた人もいます。

きっと行ったメンバーの何人かは、また訪れる決意をすることでしょう。できるだけ費用負担を少なくしてあげたいのです。

どうか共感して下さる方がいらっしゃれば、
このプロジェクトに一口:5,000円〜でお力添え頂けたら嬉しいです。

参加した学生メンバーには、必ず、ツアーの報告をさせます。
みなさんが被災地へ足を運べない分、どうか、学生に託して頂けたら嬉しいです。私が責任を持って連れて行きます。

※寄付は下記の口座で受け付けております。入金頂けましたら、確認のため、Facebookの野田 祐機宛までメッセージを頂くか、info@learnbydoing.jp にメールいただければ幸いです。

三菱東京UFJ銀行・笹塚支店(138)・普通 0122475
名義:ノダユウキ

P.S
ボランティアというと偽善っぽかったり、今の時期に行くことに疑問がある方もいらっしゃいます。良かったら前回参加者のこちらのブログをご一読下さい

また、今回の記事の書き方が不快に感じられる方がいらっしゃった場合は、先にお詫びを(事実ではあるのですが特に99%の部分)

クリスマス 東北へボランティアに行った 若者たち

12月22日23時 麻布十番駅近く、一台のバスが東北に向かって出発した。
43名を乗せたこのバスは、クリエイティブの可能性・冬合宿と題して、23-25日のクリスマスにかけて東北を周りボランティアと対話を繰り返す企画である。10名ほどの社会人枠を除き、ほとんどの参加者が10代後半から20代前半の若者だった。

今回の記事では、今回の冬合宿で感じたこと、学んだことを下記のようにまとめていきたい。長い文書になっているが被災地に行ってみたい学生の方、復興支援をしたい方に特に見ていただきたい内容になっている。

  1. 冬の東北でのボランティア
  2. 現地の方の復興への思い (23日)
  3. 奇跡の一本松とクリスマスのライトアップ (24日)
  4. 若者たちの思いとこれから (25日)
  5. 最後に

1.冬の東北でのボランティア

今回の企画に参加したメンバーの大半が、初めてのボランティア活動。震災後や夏には動けなかったが、今回の機会に友人の勧めもあり参加した人が多かった。メンバーの言葉を借りると「311のあの時にできなかったことではなく、今できることをやりたい」という思いをそれぞれが口にしていた。

冬の東北は寒い。私も初めてだったが、気温は三日間とも氷点下。三日間を通して、体調を崩すものはいなかったのが幸いだった。

冬のボランティアに行かれる方のために、どのような準備が必要か少しだけ説明したい。写真は陸前高田のボランティアセンターの掲示板より

準備事項
1.保険証とボランティア保険
保険証の携帯とボランティア保険は常に携帯しておく必要がある。保健証は念のためにコピーを持っておくとよい。ボランティア保険は全国の社協(社会福祉協議会)の窓口でのみ申請できる。仕事をしていると平日行くことが難しいので、個人的には今後はインターネットなどで気軽に申請できるようになればボランティアへ行きやすいので期待している。

2.マスク、ゴーグル
作業をしていると粉じんが舞うことが多い。身体を守るためにも必要。マスクよりは粉じん用のものだとなお良い

3.防寒着
バスから外に出ると、とにかく寒い。 動き出すと身体が温まるので、それほど寒さは感じなくなるが、ジャケット、すぐ脱げるフリース、ジャージ、厚手のズボンは必須だ。今回の参加者はほとんどがユニクロで暖パン、ヒートテックを購入していた。また、汚れることもあるため、どれだけ服を持っていくで荷づくりに迷った。あるメンバーが言った、「スノーボードに行く準備をすればいいんだ」という言葉が分かりやすかったので参考にしていただきたい。(実際にスノーボードのウェアで作業していたメンバーもいた)

4.手袋
当初軍手とゴム手袋を買って行ったが、現地に先にはいった友人より寒さがしのげないことをきいたため、急きょスノーボード用の手袋を購入。その上から軍手をして作業をしていた

5.長靴
作業によっては汚れるので長靴に鉄板入りのインソールが必要。特に冬の時期は寒いので、厚手の靴下もあると尚良い

これにレインコートがあれば雨が降った時も対応できるし、泥よけにもなる。実際に作業すると寒さは感じなくなるので、夏の炎天下は熱中症の心配があるが、体調管理をして風邪さえひかないようにすれば、冬のボランティアもおススメである。

 (南三陸町のボランティアセンターの受付の写真。 ビブスには「今こそ、この国の底力を見せる時」の文字が)

 

2.現地の方の復興への思い(23日)

今回まわったのは南三陸、陸前高田、気仙沼の三か所。現地の方ともお話する機会があったので一部をご紹介したい。

23日は南三陸町でボランティア。 津波がくる直前まで町民にアナウンスをされていた、遠藤未希さん(24歳)が働いていた災害対策庁舎前の片付け。 未だ庁舎前にはたくさんのガレキがあり、それをメンバー全員で片付けた。

そこでお会いしたボランティアリーダーを務めた宮城栗原市の後藤伸悦さんの言葉をご紹介したい。

テレビの取材も減った、寒さが厳しくなるにつれてボランティアも減った。ぜひ、今日来てくれたひとは家族、友人に感じたことを伝えてほしい。今日は50人以上のメンバーが参加。嬉しい限りです。最近は毎日、10人くらいのボランティアでやっています。震災、忘れないでほしい。

今、現地ではわかめの種付け、ほたて、カキ、ホヤを養殖をしています。ボランティアに来れない方、スーパーでみたらよかったら買ってあげて下さい。それだけでも現地にお金が落ちます。よかったらどうぞよろしくお願いします。私は南三陸の人間ではなく、近くの栗原市から来てます。南三陸ではないが、地元の人間です。何とかしたいと思っています。今後もどうぞよろしくお願いします。」

 

東京にいるとやっぱり震災が風化している。しかし、現地はまだこの状況。自分にできる情報発信を続けたいと思った。

 

その後、復興のシンボル「オクトパス君」を見に、南三陸復興ダコの会の方とYes工房へ移動。西の明石、東の志津川といわれるほど、南三陸志津川はタコが有名。復興のシンボルとしてゆめ多幸鎮(たこちん)、愛称をオクトパス君という。
置くと(オクト)試験にパス するという意味で、合格祈願のグッズとしても販売。Yes工房の近く八幡神社にはかわいいタコが祭られている。

 

神社にこのタコ。自然と参加メンバーに笑顔がこぼれた。現地ガイドの方、南三陸復興ダコの会 会長 高橋さんに津波の体験、命の大事さ、準備の重要さを学ぶ。

帰りがけ、高橋会長の言葉が心に残ったので紹介したい。

「現地の人は被災し、家もない。そんな中で日本中から物資が届き、みんながボランティアに来てくれる。折れそうな心が何度も助けられました。いまはみんな、人と話すことが励みになります。また、よかったら南三陸に遊びにきてください。」と

人の顔がある。関わりがある。それはやっぱり勇気を与えてくれるのだと、自分も勇気をもらった言葉だった。

 

3.奇跡の一本松とクリスマスのライトアップ (24日)

24日は、陸前高田へ。私は7月に陸前高田を訪ねたこともあり、今回どうなっているのかを見たかった。(当時の記事はこちら)  前にみたガレキの山は少しは片付いていたが、まだまだガレキはある。7月を思いだした。長くなるので自分の想いは最後にまとめよう。

 

さて、陸前高田でのボランティアは畑を耕すこと。

7万本あった高田の松、高田松原。津波で一本だけ残った奇跡の一本松を希望に、また高田松原を復活させるため、苗を植える。 その苗を育てる畑を耕した。松原復活の最初の一歩に参加できたことが嬉しかった。

 

作業のあと、高田松原を守る会のみなさんと懇親会。これまでの活動の経緯をうかがう。会長含め、みなさんの想いがひしひしと伝わる。 言葉が熱い。何が何でも松原を復活させる。 その想い、覚悟に涙するものも多かった。

会の最後、ある方の言葉が心に響いた。

「一本松は残念ながら枯れてしまう。だが、その命をもった苗は少しではあるが育ちつつある。あの松原が復活するには、何十年もかかる。この会のメンバーはこの先長くない。もう見ることはできん。だが、理屈はどうでもいい。ぼさっとしてられん。松原を復活させるために、今できることをやる。それが明日の高田を作るのだから

陸前高田の人の一本松に掛ける想い。復興への希望。
想いが人を変え、みんなを動かす。そうやって地域や国が変わるのだと思った一言だった。

 

この日はクリスマスイブ。この一本松がライトアップされていた。

夏にこの企画に参加したメンバーが中心となり、守る会の人といっしょにライトアップを実施。雪の舞う東北、クリスマスイブに本当にステキな光景だった。 一生忘れられないクリスマスイブとなった。

次の日の新聞で産経新聞で一面トップを飾り、メディアでも大きく報道されていた。この光景を生で見れたことに企画していた方皆さまに感謝したい。

 

4.若者たちの思いとこれから (25日)

最終日、25日は朝から雪が積もっていた。クリスマスということもあり、おはようのあいさつと合わせて、メリークリスマスの言葉が温かかった。

バスで気仙沼に向かい、現地を見て回る。この日ボランティア活動はなく、ガイドの方のツアーでさまざまな場所を見て、お話を伺った。

 

お話のあと、バスの車内でそれぞれが感じたことをまとめる。合宿の最後のチェックアウトだ。22日の東北へ向かうバスでの自己紹介を兼ねてのチェックイン。23,24日のホテルでの講義、対話。そして最後のチェックアウト。

(写真は三日間の対話の風景)

 

みんな3日間で感じたことを話す。初めて東北へ行ったメンバーはいろんな想いがあり、考えがまとまらない。でも、話す。思ったことを自分の言葉でしっかりと伝えていた。

「テレビと見ていた状況と違った、ガレキがまだまだあった」
「自分の目で見ることの重要性がわかった。肌で感じることがたくさんあった」

と今回の感想はもちろん、これからの生き方についても熱く語る。この対話の中で、次に自分たちで何か新しい活動をしようという提案もあった。

できることをやろう、仲間でやろう。 若い人の言葉に学ぶことが大変多かった。クリスマスということもあり、普段口にできない家族への想い、人への想いを思ったままに伝えていく。

みんな、来て良かったと口をそろえて言う。3日たって、みんなの顔が変わっていた。10代後半~20代前半の多感な時期に、東北をみて何を感じたのか、そして彼らがどう変わっていくのか、熱い思いを胸にがんばってほしい。これからのリーダーになる子もたくさんいるはずだ。 そんな熱いみんなと過ごせて本当に良かった

5.最後に

「友達にこの合宿のことを話す。みんなに伝えて、次回絶対行って欲しい」 ほとんどの人がこのことを口にし、一眼のカメラやi phoneを片手に写真をとっていた。 情報を伝えること、私自身も助けあいジャパンを3月12日から参加させてもらっている。

そして、このブログもみんなに伝えたい、その想いで今書いている。

もっと現地からみんなへ情報を。そう思って、助けあいジャパン・情報レンジャーは現地から情報発信をし続けている。 「情報はライフラインだ」と3月12日にさとなおさんのこの言葉で始まった助けあいジャパン。 私は参加していた三日間助けあいのTシャツをずっと着ていた。

「助けあうっていい言葉ですよね。今の日本に必要ですね。」という学生の声が嬉しかった。
「助けあいジャパン、私も何かやりたいです。」 という子が何人もいてくれてありがたかった。

東京ではもう震災は風化している。でも、現地はまだ震災から2-3カ月という感覚ではないのか? 遅いというわけではなく、まだガレキも多く、震災の傷跡が多く残っている。時間だけがたっているという状況ではないのか。この差を埋めるには、情報を発信するのが大事だと思う。風化することは避けられない、だけどみんなに忘れてほしくはない。

 

仮設住宅に大きなクリスマスツリーがあった。見た瞬間に目が熱くなった。現地の人はどんな想いでクリスマスを過ごし、お正月を迎えられるのか。私には被災された方の気持ちはわからない。だけど、情報発信をしていこうと思った。それが今、自分にできることだから。

 

最後にお礼を

企画していただいた石川淳哉さん、中島明さん、ライトアップをされた辰濃二郎さん、ありがとうございました。 イナズマという会社、社会を変えると思いました。 かっこいいです。みんな言ってたけど、かっこいい大人です。これからもついていかせてください。

一緒に参加した皆さま、そして今回の企画をしてくれた学生ボランティアの鈴木 伸也さん、松村 紗仁子さん、小林大地さん、高橋万里菜さん、ありがとうございました。一緒に過ごせて本当によかったです。仲間と過ごしたクリスマス、一生忘れません。

松村 光芳さん、野村 謙次さんをはじめとする寄付をいただいた皆様、ありがとうございました。皆さまのおかげでたくさんの学生が現地に行くことができました。

この合宿に参加するきっかけとなった、助けあいジャパンでのチャリティーセミナーの一こま。助けあいジャパンのTシャツを着た自分と今回のリーダー中島さんの後ろ姿。このあと、中島さんと石川さんに誘われ、今回の冬合宿へ。

中島明さん、改めて本当にありがとうございました。続けましょう。そして、変えましょう。

 

読んでいただいたみなさん、長文お読みいただきありがとうございました。

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