もうすぐ7年、東北に行ってきました!

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先日、久しぶりに東北に行きました。もうすぐ東日本震災から7年が経つが、九州に住む姉がどうしても一度行きたい、9歳の娘と一緒に大川小学校を見たい。ということでぼくが案内をして回ってきました。ぼくも4年ぶりの東北でした。

 

先に結論から書きます。

「復興は確実に進んでいる。でも、まだまだ道のりは長い。」

自分の目で見て、話を聞いて、この表現が一番適切だと思いました。復興計画の遅れや様々な課題はあります。しかし、復興は着実に進んでいます。それは事実。とはいえ、まだまだ先は長い。問題もたくさんあるけど、国や自治体、誰かが悪いわけでもありません。

 

ただ、311に大きな災害が起こった。そして、その復興には複雑なことが多く、時間がかかってる。そういうことなんだと思います。

では、まずは色々回ったので写真でどうぞ! 最後にまとめもあるので見てね!

 

大川小学校

今回、姉が一番行きたかったのが大川小学校。震災当時、姉は出産を終えたばかり。それから7年。子供を持つ親として、この場所で何が起こったのか見たかったそうです。

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学校の裏山

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大川小学校は、震災の時15時36分ごろ、津波が川を遡上。校庭にいた児童78名中74名が亡くなっている。当時、裏山になぜ逃げ切れなかったのか? 学校は何をしていたのか?と今でも裁判が続き、4月に判決がでます。

大川小控訴審、4月判決=防災への過失争点-仙台高裁

震災から7年経ちますが、大川小学校は当時のまま。周りも復興が進んでいるとはいいづらく、何もありません。車は工事のトラックばかりでした。

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当時の地域の様子

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一緒にいった姪は今、9歳。彼女と同い年の子も亡くなっています。姉も姪もただただ、目の前にある学校をみて、当時の津波がいかに大きかったかを実感していました。

親として感じること。同じ小学生として感じること。それぞれに違うけれども、これはやはり現場をみないとわからない。九州にいたら遠すぎてわからない。7年経っても、二人がこの場所に訪れてくれたことが嬉しかった。

 

道中ー南三陸町へ

大川小学校から石巻へ戻って朝ごはん。暖かいご飯と食べながら、大川小学校の話をしていました。姪っ子(つばきちゃん)は、ご飯食べると元気に。さすがは小学生、食事中や車の中はずっとうるさい笑

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次に向かった先は南三陸町。近くにつれて工事しているところが増えます。
IMG_20180223_130337335途中のコンビニ。仮設の店舗です。

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中はもちろん、普通のセブンイレブン。入り口付近にはお供え用のお花がありました。IMG_20180223_125848289

このお花は南三陸町以外にも気仙沼、陸前高田のコンビニにもありました。どの地域も被害が大きかったところです。

生活の中のコンビニにお供え用のお花。東京ではありえません。震災から7年と言っても、地域の方にとってはまだまだ続いています。家族や友人を亡くされ、家も流された。生まれ故郷がなくなる。その復興にはやはり時間がかかる。

7年という月日、コンビニという日常。その中で見たこのお花はぼくの中でインパクトが大きく、考えさせられた。

 

防災庁舎に向かうも、今は近づけない。遠くからの写真です。

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津波がきた場所も整備や盛り土が進んでいます。

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ぼくは震災当時からきてたので 、当時からすると色々すすんでるなー。というのが感想。だけど、完成にはまだまだかかる。7年経って着実に復興が進んでいる事実と、完成までの気の遠くなる道のり。この二つを感情的に整理するのには時間がかかった。

 

さんさん商店街

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せっかくきたから商店街でお買い物。現地のお魚屋、お土産が買えます!

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南三陸の志津川のタコは超有名! 西の明石、東の志津川と言われるほどの名産地です。超でかいw

 

 

IMG_20180223_135304501 そのタコをもじったオクトバスくん。置くとパスするということで、合格祈願で売られています。

カフェもあります。

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雑貨やポストカードに加えて、津波や防災の本も置いてあった。起こった後にどうするのか、東日本大震災を経て、どう防災意識を高めるのか。東北に行けば、必ずそのことを考えるようになります。復興からの防災意識の向上は、もっともっとやりたいと思った。

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牡蠣とホタテは姉のおごり(笑)  こういう時、弟って助かる!

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ぼくの好物はマルセンのかまぼこコロッケ。めっちゃ美味しいのです。4年ぶりに食べれてよかった!!

その他の写真はこちら。海に船がある。それだけで思わず感動してしまった。

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気仙沼

本当はここでは色々回りたかったんですが、車の運転に疲れてダウン笑港近くのシャークミュージアムでゆっくりしてました。

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大きな建物です。横の壁面にブルーの看板が見えると思います。

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この高さまで津波がきたことがわかります。

 

 

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中に入ると海産物が売ってます。魚、めっちゃ美味しそう。

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取れた魚を店内で食べることもできますよ。

気仙沼といえばホヤボーヤ。ショップもあれば、神社もあります。復興祈願しておきました!IMG_20180223_154257153

 

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気仙沼大島へ

この日の宿泊は気仙沼大島へ。

もともと、この気仙沼の復興横丁で「大漁丸」というお店をされていた菊池幸江さんと旦那さんが大島に引っ越し。気仙沼の復興横丁も去年なくなったしね。

ぼくは大島には初めて。船で行きました。車は気仙沼においていけば大人は一人400円。以外と安かった。

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この笑顔! 気仙沼に行ったことある人ならきっとわかると思います。

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民宿の一階はこんな感じ。ゆっくりくつろげました。

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こたつでみんなでご飯。気仙沼ならではの食材が多くてうまい!

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IMG_20180223_193008719 IMG_20180223_195914865 IMG_20180223_195500189お酒も飲んだけど、前日の夜からずっと運転してたので速攻酔った(笑) こどもにはお子様ランチも用意していただきました。ありがとうございます!

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大島から陸前高田へ

翌朝、しっかりと朝ごはんを食べて、出発。時間もなかったのだけど、幸江さんのご好意で大島をささっと観光。いろいろみせてもらいました。

 

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せっかくなので3人で写真も!

 

帰りのフェリーではかっぱえびせんをカモメにあげました。これ、幸江さんに教えてもらったんだけど、めっちゃカモメ寄ってくる!!!IMG_20180224_094211129 IMG_20180224_093039714

陸前高田では語り部の釘子明さんを訪ねました。
釘子さんは陸前高田が被災したさいに、避難所の運営をされていた方。今はその経験を生かして、震災当時や今の復興の話をされる語り部をされています。

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釘子さんのご自宅から陸前高田が見えるので、それをもとにパネルを使って当時と今のお話をしてもらい、姉も姪も食い入るように聞いていました。

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現状の課題としてはやはり住宅の問題。復興住宅ができたが、今後の家賃の値上がりの問題や入居に際しての保証人の問題も多くあることを教えていただきました。家族を亡くされた方も多いので、入居したいけど、保証人がいない、と方もいらっしゃいます。

復興が進むにつれて、こういう目には見えづらい課題が多くあるとのこと。

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あと、個人的に嬉しかったのがこれ。
ぼくたちがやった「きっかけバス」のシールを今でもファイルに貼ってくれていました。ありがたい。全国とつながりできたからこそ、ぼくも復興・防災はまだまだやりたいとこの時思いました。

市内はこういう状況です。住宅もできているし、整備も進んでる。だけど、やっぱりまだまだかかる。

IMG_20180224_114553733 IMG_20180224_114225547 IMG_20180224_120504728奇跡の一本松!!

 

福島から帰路へ

本当は岩手を北上したかったんだけど、時間の関係で今回は陸前高田だけ。
ここから一気に福島まで車を走らせて、郡山の近くの宿に宿泊。

福島、すいません、写真とるの忘れてました(笑)唯一とったのがこの二枚。

 

IMG_20180224_175344759 宿に焼肉屋さんが隣接してて、姉におごってもらった(笑) さすが、持つべきものは家族。お姉ちゃん、ありがとう!!IMG_20180225_085949273

それと、もう一つがこれ。TOKIOの福島県応援ポスター。TOKIOは風評被害が多かった震災直後から、福島県のお米や桃、野菜のPRをしています。これ確か彼らノーギャラでやってるはず。

「7年経ってTOKIOもまだやってる」

それがぼくの第一印象。ぼくは2012年から14年に福島の復興にも携わっていて、かなり彼らのポスターや動画は見た。その当時の記憶や懐かしさ、久しぶりに見た驚きもあった。

当時と変わらずに、彼らはまだやってる。だから、ぼくもまだまだやろう。
そう思えるほどに、このポスターにはたくさんの勇気をもらった。

宿に一泊し、次の日に成田空港に姉と姪を送った。こうやって、ぼくの久しぶりの東北の小旅行は終わった。

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最後に

震災からもう7年。
最初に書いた通り、復興は確実に進んでます。でも、まだまだ道のりは長い。
それがぼくの感想です。

ぼく自身は4年前に助けあいジャパンの代表理事をやってて、ちょうどこの時期は「きっかけバス47」という全国47都道府県から東北三県を回るプロジェクトをやってました。このプロジェクトや団体経営のことで、ぼくはその後代表を辞めざるをえなかった。

実はそこから東北には関わりたくても関われなかった。それくらい、いろんなことがありました。

今回、いろんな方にお話を聞いたけど今の課題は「生活」です。住宅の問題もあるし、商売の問題もある。沿岸部に行く人は震災後に減っています。震災から1-2年はよかったけど、3年目以降は軒並み減少。どのお店に聞いても元気に対応してもらえるけど、ふとした時に寂しい顔やちょっとした不安を口にされていました。

このさき人が減ってどうなるかわからない、自分の仕事、生活どうなるんだろう。そんな先の見えない不安。ぼくも一時期、生活に苦しんだことがあったんだけど、その時と同じような感覚を覚えました。

みんな苦しくなっているけど、苦しいって言えない。地域全体が復興して頑張っている中で、自分だけ苦しいって言えない。それが7年目じゃないかと思いました。もちろん、ぼくも久しぶりに行ったからそう感じただけかもしれません。でも、多分、当たってると思う。

ただ、今さら、声だかに「復興支援!」って感じでもないし、みんな忙しい。東北の人も日々の生活に精一杯。でも、たまに東北に行って、立ち寄って、現地の物食べて、酒飲んで。そんなゆるーい関わり方でもいいと思う。それで喜んでくれる現地の人はいっぱいいると思う。東北に行く人、年々ほんとに減ってる。

今回、車で東北に来たけど、かかった費用は1人2万5千円くらい。たまの土日に東北に行く。4-5人で車で乗り合いして、コストを割れば2万円くらいで済みます。震災後に東北にボランティアに行かれた方は、ぜひ久しぶりに行ってほしいな。行けば感じることあるし、学ぶこと、考えることもいっぱいある。何より、東北に行くことはすごく現地の方の応援になります。

ぼくはこれまで父と妹と東北に行きました。今回が姉と姪っ子。家族で行っていないのは、母です。近いうち、長崎に住む母とまた東北を訪ねてみたい。まだ一度も東北を訪ねていない人も連れて行きたいし、久しぶりにいろんな方に声かけて行きたくもなりました。

 

国難と言われた東日本大震災。まだまだ、みんなの力が必要です。ぼくはまた復興と防災は関わろうかと思います。ご興味ある方はお気軽にFacebooktwitterにどうぞ!

読んでもらってありがとうございます。シェアも大歓迎です!
では、また!

P.S
3月11日に東京で東北のご飯を食べる会をやる予定です。日曜日だし、集まりやすいしね。興味ある方はこちらにどうぞ!https://www.facebook.com/events/480124979048222/

復興×新卒採用の話

いやー、嬉しかった。 とにかく嬉しかった。

久しぶりに心から嬉しくなり、なおかつ、1つの節目を超えた気がしています。

昨日、復興に関わる大学生と新卒採用のイベントを開きました。
プレスリリースはこちら⇒新卒採用の新しい形~復興に関わる大学生の逆求人イベント 第1回目は5月23日に麻布十番にて開催

このイベントはひょんなご縁からはじまりました。ちょうど1ヶ月ほど前、就活サービスをされているi-plugの中野社長と打ち合わせ。「東北復興に取り組む大学生の就活を応援したい」。そんな話をしたところから、復興にとりくむ大学生と企業をマッチングすることが2社でスタートしました。

背景には、きっかけバスに関わってくれた大学生たちです。
昨年の9月から3月まで全国のリーダーとしてがんばった子たちが、3月まで復興に本気で取り組んだからこそ、就活のスタートが遅れてしまっています。(すべての子がそうではないけれど)

特に一生懸命やっていた子こそ、本気だったし、そこから得たものも大きい。就活の準備も忘れるくらい、復興に関わったからこそ見えた物があり、大きく成長した子がたくさんいます。普通の大学生とは全然違う。やる気も志も、行動力もすごくある。こんな大学生だから、就活したらすぐに内定が決まるもんだと思っていました。でも、これがちょっと違ったんです。

遅れて就活し始めた子が、全然内定が決まらない。東北のために一生懸命やって、リーダーシップもものすごく発揮した子が、1ヶ月も2ヶ月経っても決まらない。その間、彼らの覇気が消えていってる。

「えっ、あんなに元気だったのに! こんなに優秀なのに!」って、ぼくがビックリするくらい、元気な彼ら、彼女たちが就活生になり、内定が決まらず、日々元気がなくなっていってる。

それには2つ理由がありました。

1つは既存の就活では、説明会⇒エントリーシート⇒1次面接⇒2次面接⇒最終面接とプロセスが決まっているため、最初の説明会やエントリーが遅れた子は、どんなに優秀でも企業の採用プロセスにのってこない。 この仕組み、スゲー残念。

そしてもう1つは、きっかけバス47で大きなチャレンジををやったからこそ、大学生の既存の発想やこれまでの価値観とは変わってきている。
本来、就活は社会にでるために、既存のやり方、既存のキャリアにあわせて、内定をとる。ある意味、学生が企業にあわせて、内定をとる。だけど、彼らはそうじゃない。 東北復興という活動、きっかけバス47という誰もやったことないことを達成したからこそ、もう、既存の就活という枠では収まらない。というより、彼らにピッタリの企業ややり方が、周りにない。だから、自分自身がこれからの道をどういっていいかわからない。どんなキャリアが自分にあっているかが、分からない子が多いからこそ、本当に悩んでる。 彼らが特異で優秀であるからこその悩みだと思う。

でも、そんな大学生が既存の就活をしちゃうと、企業からは
「就活の準備をしていなかった大学生」
「自己分析ができてない大学生」
「復興ボランティアをやった、ただの大学生」
「やりたいことを夢見たいに語ってる大学生」
そんな風にみえていたのだと思う。 これ、もう、まったくよろしくない!

そんな中で、企業が優秀な学生を「指名」というやり方で評価する、「逆求人」というスタイルで就活の事業をやっていたのが i-plugさん。学生時代に一生懸命やった大学生を、 既存の就活ではなく、企業がスカウトしちゃう。 まー、新卒のヘッドハントみたいなもんだよね。 それを今回、きっかけバス47のリーダーたちに適応してくれました。

 

きっかけバスの大学生が持つ、志、行動力、未知へのチャレンジ精神と彼らの特性をきちんと評価してくれ、i-plugの中野社長自ら大手からベンチャーと企業を集めてくれました。

昨日のイベントでは、集まっていいただいた企業の方も本当によかった。
きちんと彼らがやった、きっかけバス47を評価してくれているし、リーダーシップがあり、新しいことを作る人材を評価してくれていました。 企業の方のコメント1つ1つ、接し方1つにとっても、きちんと大学生を認めてくれているのが表れていました。

「優秀な大学生ですね」、「みんなプレゼンが上手い」「ユニークで芯がある」と私は何度、人事担当の方に言っていただいたことか。 本当に嬉しかったです。
そして、そんな企業の方が来ていただいたからこそ、就活で覇気のなくなった大学生たちに本来の良さが戻ってきていました。 熱意があり、元気で芯がきちんとある、そんないつもの彼らの良さがきちんと引き出してもらっていました。

 

 

がんばった学生たちが、ちゃんと評価してくれてもらっている。
その結果として、イベントの後には参加者全員にいろんな企業から次のオファーがでていました。参加した大学生、本当に全員にです!これが、嬉しかった。がんばった大学生をきちんと評価していただいた企業の方に、本当に感謝しています。

 

ぼくがずっと、企業さんに彼らの良さを熱く語ってるもんだから、「野田さんは彼らの親御さんみたいですね」って企業さんにも言われてました(笑

でも、これはそうだと思う。 学生たちのがんばったところを知ってるからこそ、就活でその良さをきちんと評価されていないのが 辛かった。その分、昨日は彼らが評価されていると嬉しくて、嬉しくて。ぼくは結婚もしてないし、子供もいないけど、ちょっとだけ親心というのが分かった気がしています。(←そして、今日朝から両親に電話してしまったw) 親心って、なんか納得。

そんなこともあり、最後に挨拶するときに、 1人勝手に泣けそうになってきて。
一緒にやってくれた i-plugさん、参加していただいた企業さん、遠方からも来てくれた大学生。学生も忙しい子もいて、直前に参加してくれたり、協力してきてくれた子もいて。 本当にみんなに感謝でした。

誰かが欠けても昨日のイベントはできなかったし、そこにみんな「想い」があったからこその雰囲気でした。改めて、心から感謝しています。

日本は東日本大震災を経て、少しずつ、少しずつ変わってきています。大学生が復興に関わり、それをきちんと評価する企業がいる。 既存の形ではなく、新しい就活の仕組みもある。そんな枠組みの中で、これからを担う若者には思い切って、チャレンジしてほしい。東北に関わり、それがきっかけで日本の未来をつくってほしい。 それが東北を元気にするし、日本を元気にすると信じて続けていきます。

 

最後に
参加してくれた大学生のみんな・きっかけバスのリーダーたちへ。
みんな活き活きと、そして、堂々として嬉しかったです。 君たちのことをちゃんと見ている人はいます。企業も社会も君たちのことをちゃんと評価してくれています。きっかけバスで新しいことをやったからこそ、人と違う。これまでと違う。そこに迷い、悩むかもしれないけれど、自分自身を信じて、胸を張ってください。

観光庁を巻込み、47都道府県で復興の活動をしたのは君たちが初めてです。みんながちゃんと評価してくれています。そして、今の東北、日本に必要なのは、きみたちのような新しいことにチャレンジし、行動する人材なのです。 困ったときに助けてくれる大人は必ずいます。 未来を信じて、堂々と、君たちらしく進んでほしいと思っています。

困ったらピロやぼくに相談ください。ピロは今回のイベントはずっと想いをもってやってました。誰かのために、仲間のために、東北のために。その想いでやってます。だからこそ、困ったらみんなで助けあいましょう。日本中に仲間がいるんだしね。本当、すげーよ、君たち。 みんな、本当にありがとう。

3人の創業者

 

いつの間にか日付は5月13日。少しだけ報告がおくれましたが、ブログを書いていきます。今日は助けあいジャパンの創業者の話、タイミングもあって、あえて3人の創業者というタイトルです。

 

昨日、5月12日に助けあいジャパンの理事が変更になりました。立上げ当初から関わっていた、会長の佐藤尚之(通称、さとなおさん:写真右)、副会長の石川淳哉(写真左)が退任し、新しい組織体制になります。あわせて、事務所も引っ越しました。

 

プレスリリースはこちら
「公益社団法人 助けあいジャパン」 理事変更・東京事務所移転のお知らせ 

 

今回の理事変更ですが、本当は2012年の8月に私が代表になった時から予定はしていました。組織の若返りで、新しい体制での助けあいジャパンにすることはさとなおさんも石川さんともずっと話をしており、震災から3年が経ち、団体としても一区切りがついて、今回の変更です。

 

会長と副会長。 2人は助けあいジャパンを作った創始者。
この2人が今回、理事から抜けます。これまで通り、会長、副会長という関わりはあるものの、理事権のない顧問という立場で団体運営に関わります。

 

さとなおさんと石川さん。この2人から助けあいジャパンは始まりました。震災の夜、本当に3月11日の夜から、出来ることを模索し、情報発信のプラットフォームである、tasukeaijapan.jpを立上げます。 日本で初めて民と官が連携し、情報発信をするという、これまでにない新しい枠組みでのスタートでした。

 

市民やインターネットができること、民が主導で官と連携してできること、そんな形でスタートした助けあいジャパンは、設立から1年という早さで公益法人に認定。その後は、宮城、福島、岩手で30名近い雇用を生み出し、今年の3月には47都道府県の大学生、1711名が被災地を訪れるきっかけバス47も実施しました。

 

今ではたくさんの方が関わっていただき、きっかけバスの活動でメディアにも取り上げられ、大学生や若い層にも「助けあいジャパン」の名前は広がったと思う。新しい人からするとちょっと会長、副会長の影が薄れてるけど、あのきっかけバスをつくったのも2人なんです。

 

きっかけバスの名前をつけたのはさとなおさん。きっかけバスの元となる3県縦断ツアーを考えたのは、石川さん。ぼくが代表になってすぐ、大学生をなんとか被災地に連れて行きたくて、最初に3人でつくったプロジェクトはきっかけバスだったんです。 だから、きっかけバスが日本全国に広がった時、やっぱり嬉しかった。会長と副会長と一緒に最初のバスをだしたのがすごく懐かしいです。

 

 

そんな2人とあわせて、助けあいジャパンの創始者ともいえるのが、松村光芳さん。通称、marcさん、または松村先生(先生はお医者様)。今日はちゃんと先生のことも書いておきたい。

 

松村先生はさとなおさんの主治医でもあり、助けあいが発足した当初からサポートいただき、団体の監事も引き受けてもらっていました。助けあいジャパンが最初にいただいた大口の寄付は、実は松村先生。この寄付がなかったら、今の助けあいジャパンはない。 それくらい、最初に勇気をくれたのも先生でした。

 

そんな松村先生、2012年から脳腫瘍が見つかり、そんなに長くないことをおっしゃっていました。闘病の中も助けあいのイベントに来ていただいたり、ぼくが相談にいったら快く引き受けていただいたり、いつも助けあいのことを気にかけてくれていました。

 

そんな先生は5月10日に亡くなり、今日はそのお通夜でした。動画や先生の記念の品がたくさんあって、すげー泣けてきました。

そして、先生が亡くなられたのと、会長、副会長の退任のタイミングがほとんど同じで、なんだか意味があるようにも思えてきています。

 

終わり、そして始まる。少し勝手にかくけど、そんなことなのだとふと思った。

 

佐藤尚之さん、石川淳哉さん、松村光芳さん、そして、ぼく。

「人生の全ての出来事がご縁で繋がっている」、これは松村先生の最後の講演会での言葉。震災前だったら知り合うことの無かった先輩の3人。 ステキなご縁でぼくは今、その3人が作った団体の代表になっています。

 

そんな3人の創始者から始まった助けあいジャパンも、2014年の5月で一区切り。理事が代わり、団体も、そして、私自身も新しくメンバーと活動していきます。新しい理事は野村謙次さんと長谷川雄介さん。2人とも若く、復興の現場で熱意をもってリードしていきます。

今の理事や中心のメンバーで震災当時、本当に311からの立ち上がりを知っているのは、もうぼくだけ。震災当時に大変な中、立上げた助けあいジャパンの創業者の想いを、ぼくはこれからもみんなに伝えていく使命があります。

 

松村先生の言葉に下記のものがある。

 

若い君たちに
未来を信じて労を厭わない
迷ったらチャレンジしろ
ほとんどのことは何とかなる
善の力を信じよう

 

これは、松村先生最後の講演会での言葉でした。
「野田君、チャレンジしろ、日本の復興を諦めるな。そして、助けあいを頼む」松村先生はいつもそんな言葉をかけていただいていました。

 

その想いは会長、副会長も同じ。
若い世代が、復興をリードする。それから新しい日本を作る。そんな2人の想いもあって、今回理事がかわるのです。そうやって、ぼくがいつか次の世代へバトンを託す時もくるのでしょう。

 

さとなおさん、石川さん、そして、松村先生、これまでどうもありがとうございました。

終わり、そして、始まる。 そんな震災から3年2ヶ月の2014年の5月。
助けあいジャパン創業者の想い、いつまでも伝え続けていきます。 心からの感謝を込めて。

左:故 松村光芳(元監事)、右 佐藤尚之(会長) 2012年6月11日助けあいジャパン懇親会にて

 

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松村先生の最後の講演会のお話  人生の全ての出来事が「ご縁」で繋がっている

会長のさとなおさんの松村先生の記事  虫の知らせって本当にあるんだなぁ
副会長の石川さんの松村先生の記事       最後の患者

今、復興に新しい風が必要です。みんなの力、貸して下さい 

 

長い、長い、トンネルをやっと抜けました。ずっとずっと苦しかったけど、それが誰にも言えませんでした。

私は震災の次の日から、復興にかかわりました。3月12日から助けあいジャパンの立上げに関わり、今はその団体の代表として岩手、宮城、福島、東京で復興にずっと関わってきました。

被災地に行けばいくほど、課題は多く、大変。被災した場所での事業も本当に大変でした。行政の縦割りやこれまでのルールに挟まれ、組織としての助けあいジャパンも未熟で、資金力もネットワークも公益法人としてのノウハウもありませんでした。

そんな中で復興を続けていくと、さまざまなことが起こります。いやー、大変。超大変。もう、本当にダメかと思ったけど、やっとトンネルを抜けました。覚悟が決まりました。

 

最初に少しマジメな話をさせてください。今度の3月11日で震災から3年を迎えます。この3年が東北にとっても、日本にとっても、大きな節目だと思って私は去年からずっとやってきました。

 

3年が節目。それには理由があります。昨年の3月末、さまざまな支援団体が東北から撤退しました。理由は国のNPO向けの助成金が2年で打ち切られたのが大きい。あわせて、風化が進み、寄付も集まらなくなり、資金面、運営面で撤退せざるをえない団体が相次ぎました。

NPO向けというのは語弊があるのでちゃんと書きます。いわゆるソフト事業のお金が無くなりました。分かりやすくいうと、国や行政の予算は大きく二つに分かれます。

 

1.建物や道路などコンクリートを使う「ハード事業」
2.人材育成や支援、観光、ITなどの「ソフト事業」
この中でも分かりやすく、成果が見えるのは「ハード事業」。建物や道路を作るっていうのに、誰も文句言う人はいません。やったことが見えるからです。(いわゆる建物作っておわり、ハコモノ行政って言われるのは、このハード事業)

 

でも、人材育成、支援事業、観光、IT、などの「ソフト事業」は成果が一年では見えづらい。特に復興予算の使い道が問題になると、成果がわかりづらいものは敬遠されます。

 

なので、復興ではハード事業が重用しされ、いわゆるソフト事業のお金や支援が2年で大幅になくなり、復興の支援団体も激減しました。でも、いろんな活動をやればやるほど、このソフト事業が本当に大事なのです。 復興に関わる人材育成や被災者の支援事業、などなど。一年で分かりやすい成果はでないけど、本当に必要なことがソフト事業にはあります。そして、国の単年度での予算編成では、中長期的な視点での復興が国や行政には難しいと実感していました。

 

そんな中で、2年目が終わる頃に、NPOの大御所のみなさんが国にお願いしていました。「何とかソフト事業にお金を。。。」と復興庁や政治家を通じて、ちゃんとやったみたいですが、結局ダメだったみたい。ぼくはそれを準備の時から聞いていたので、結局、国ってそんなもんか。と落胆しました。

国や行政は縦割り、既存の枠組みを変えられない。国難と言えども、国や行政に頼っていては新しいことは日本に起こらないと実感しています。そんなことを現場や東京で見ていると、3年を迎える時に、これまでのやり方でははっきり言って復興が終わると思っていました。

人の関心も薄れ、予算やサポートもなくなる。そして、結局残されるのは、仮設住宅に住む27万人のひとたち、東北で復興をがんばっている仲間。

 

誰もが被災地を見放し、ただ、道路や建物が復旧していく。ハコモノだけに予算がついて、建設関係は儲かるけれど、そこに人の元気や笑顔、新しい町の活気はない。新しい仕組みもできてない。

 

これは、阪神大震災でも起こったことだそうです。

「町は時間をかけて元にもどったけど、その間に人は離れ、町に人の活気はない。ただのコンクリートの町だけが残った」

と神戸の方から何度も聞きました。

 

それをやっちゃ、絶対いけない。阪神大震災の経験も活かさず、町だけが元に戻る。だけど、人の活気は全くない。人が残っていても、高齢者の方だけ。 そんなのはハッキリ言って、衰退し、滅びていく町と同じです。

 

そして、同じようなことは被災地でなくても、起きはじめます。過疎化が進む全国の地方で同じことが起き始めます。少子高齢化、過疎化が進む、日本の地方。 そこに地震と津波、放射能の影響まである東北の被災地。そんな被災地は、今、日本で一番困っている場所とも言えます。

 

そこに国も行政も、市民も、なす術なかったら、これから他の地方も衰退する。復興で国をあげて、新しい仕組みができないんだったら、日本の地方も衰退していきます。少子高齢化も産業の空洞化も解決策がいま、本当にない。だから、それを東北の復興からつくる仕組みが必要。 だから、「政治家も東北の復興が日本の復興」って言ってる。けど、ほんと国だけではもうムリ。今までのやりかたじゃムリです。痛感しています。

 

特に3年という月日が過ぎると、人々の関心がなくなり、風化は一気に進みます。 そんなこともあって、今度の3月11日が本当に東北の復興、日本のこれからにとって大きな節目だと思って一年やってきました。これで復興が新しい局面にいかないと、もう、日本もダメだなって思ってやってます。 既存のやり方を変えないかぎり、本当にムリです。

そんなこともあって、必死にやってきたけど、何か全然ダメ。もう、本当に必死、がむしゃら。何か変えなきゃ、何とかしなきゃーっ、もがいて、もがいて。昨日「あっそうか」って思ったんですよ。やっと、トンネルを抜けました。

 

それはある人に聞いた「お祭り」についての話がきっかけでした。

 

日本人は昔から祭りが大好き。感謝や祈りのために神仏や祖先をまつるのが本来のお祭り。でも、本当に日本人が好きなのは、そういう儀式的な祭りもだけど、あの、神輿かついで、ワイワイ、ガヤガヤしたお祭り。

出店もいっぱいあって、誰か友達にあうかな? 行ったら何かあるかな!? そんなワクワクしたお祭りが大好きじゃないですか。

 

復興もそんなお祭りでいいんじゃない? 何か参加したらわくわくして、何か起こるんじゃない? 新しい出あいもあるんじゃない? 未来変わるんじゃない?

そんなワクワク感。ポジティブな感じ。

 

今の復興はワクワクしない。だから、人が去っていく。興味が無くなっていく。風化していく。 「支援、助けて、辛い、大変、被災、孤立、孤独」という言葉が多いのが今までの復興。だから、みんな関わるのを避けます。だって、ネガティブワードばっかりだもん(笑 

 

ネガティブをポジティブに。 復興には今、転換が必要です。誰かが何か変えないと、復興は間違いなく風化して終わりをむかえます。

 

今回、改めて色んな漢字を調べてみました。

 

復旧:壊れたり、傷んだりしたものを、もとの状態にすること。また、もとの状態にもどること。
復興:衰えたものが再び盛んになること。

マイナスをゼロに戻すのが復旧。ゼロをプラスにするのが復興。
復興は盛んになること。そう、元気になることなんです。ネガティブをプラスにするこの転換が必要。それが本当の復興です。復旧から復興へ。この転換するきっかけが必要なんです。

「興」という漢字の意味には、おこる、おこす、楽しむ、楽しみ。の意味もあるんです。

 

そうだ、復興をお祭りにしよう。みんなで楽しむものにしよう!復興には、その発想と関わり方の転換が必要だったのです。

そう思ってから、すごく気が楽になりました。 復興はやっぱり今からなのです。

今まではマイナスをゼロにした復旧。今からがゼロをプラスにする、本当の復興の始まりなんです。

 

日本は災害大国、その中でも、東日本大震災は国難と言われています。その国難を打破するには、日本人が大好きなお祭りの力が必要です。

 

岩手、がんばれ!
宮城、がんばれ!
福島、がんばれ!

みんなでわっしょい、わっしょい!

そんなわくわくするお祭りの力が必要です。 神輿を担いで盛り上げる人、それをみて応援する人が必要です。

悩んで悩んで、この一年ぼくはみんなの復興のみかたや関わり方を変えたくて、動いてきました。そこには、この「お祭りの力」、新しい風が必要だったんです。
そして、それには国や行政だけではなく、誰かがリーダーシップをとる必要があるのです。そのリーダーシップを取るのは、自分。  今、何かを変えないと!、そう一番、感じている自分から、もっと、もっと声を上げていくべきなんだと改めて気づきました。

 

これから復興は大きく3つを変えていく必要があります。全然違う発想とアプローチが必要です。バカじゃない、お前。って言われるかもしれませんけど、復興とはそれくらい大きなこと。今のやり方やっても変わらないんです。そして、誰も今、正解をもっていません。

 

1つが復興の「空気」。 ネガティブなものを少しずつポジティブにしていく必要があります。楽しくないとみんな離れていってしまいます。だから、お祭りの考え、新しい風が必要です。

2つめは新しい人。これまでの人と一緒に、新しいものを考えてチャレンジしていける人や団体が必要です。既存の考え方やルールに縛られている限り、復興は難しい。全く違う人が復興に関わる必要があります。

3つめは自由な民間資金。中長期に復興のために自由に使える資金が必要です。国や行政のルールに縛られず、単年度予算ではなく、中長期で使える資金。仕事を作る、産業をつくる資金。しかも、ソフト事業などの目に見えづらいけれど、大事な活動への資金提供が必要です。

 

この3つを変えるために、今年はとにかく動いてきました。特に1と2、復興の空気とプレイヤーを変えるために、きっかけバス47をやっています。3の資金は今、企業や財団に話をしている状態です。これも空気を変えていかない限り、本当に難しい。でも必ず資金集めて実現させます。

 

特に3年と言うのは1つの区切り。これまで復興に関わっていた人も、3年を区切りにやめたり、関わり方を考えるタイミングです。そして、実は大人が忙しくなって、関わりづらくなっています。だけど、学生や若者はまだまだ復興に関わりたい。 新しい復興へのプレイヤーとしての未来を担う若者。新しい発想をもつ若い世代が復興に関わることで、東北で新しいものが起こり始めます。若者が積極的に関わり、それをサポートする大人。そういうお互いにムリの無い関わり方が、これからの復興には必要です。

 

こんな背景から今年、私はきっかけバス47に懸けてました。きっかけバスの目的は、全国47都道府県から学生が被災地へ応援のバスをだすことです。

3年を前にもっかい東北盛り上げよう、日本中で応援しよう! そして、風化、風評の二つの逆風に苦しむ被災地に、復興の「旋風」を巻き起こすことです。そう、旋風という名の、新しい風。お祭りのようなワクワクする感じが必要なのです。

 

復旧から復興へ。
マイナスからプラスへ。
ネガティブからポジティブへ。

そんな復興が転換する「きっかけ」が3年を迎える今、本当に必要です。

実は今、きっかけバスが本当にピンチです。学生たちが被災地に行くための、資金が全く集まってません。

このままだと、半分以上のバスが出せません。全国の大学生が被災地の復興に関わる「きっかけ」が無くなってしまいます。復興が転換するきっかけが作れません。

 

集めきれてないのは、私の力不足です。これはもう、正直に書きます。ただ、必死にやっても、必死に頼んでもダメなのはわかりました。なので、ここから空気を変えます。良かったら一緒に寄付集めに関わってほしいです。特に大人のみなさん、ぜひ関わってほしいです。

 

きっかけバスを出す、寄付集め。 ここから復興の空気を変える、お祭りにさせてください。

47都道府県の助けあい寄付祭りです。お祭りでわっしょい、わっしょいで、みんなで資金を集めて、バスを全国から出したいです。寄付を集めることで、復興の空気を一緒に変えてもらえませんか?

 

お祭りにすることで批判もあるかもしれません。ですが、きっかけバスの学生たちを見ていると、本当に楽しそうに復興に関わっています。全国の若者の元気と笑顔が被災地に届けば、間違いなく空気が変わります。今、メディアがいっぱい取り上げてくれます。きっかけバスからメッセージを、復興への関わり方を変えたいんです。そして、若い人たちの頑張る姿に、日本の未来を感じてお祭りみたいにワクワクするはずです。そして、これに共感してくれる学生たちは47都道府県全てに合計2000名、集まっています。あとは資金なのです。今、大人のみなさんの協力が本当に必要です。

 

この活動、ぼくは1人になっても、やりきります。東北の復興も、日本のこれからも諦めたくありません。国難といわれる東日本大震災、3年を迎える、今、ここで変えていかないといけない。今、全国を巻込んで新しい風を起こす、きっかけが必要なんです。今度の3月11日を逃すと、復興が風化して収束していきます。日本の地域が変わるきっかけもなくなります。それくらいの国難です。復興にはチャレンジが必要。誰も復興の答えをもっていないのなら、誰かが何かを言わないといけない。新しい復興の在り方を誰かが声をあげてやり始めないと変わらないのです。

 

ぼくは「お前、バカじゃない!?」 って言われるのが怖かった。何より、自分にできるのか。。。 っていうのにビビってました。 ただ、やっぱり誰かが声を上げないといけないんです。復興を進めるには、全然違うやり方、発想で変えないといけないんですよ。答えなんて誰も持ってない、それは復興が未来を創る話だから、正解なんて今はないのです。だから、最後の最後、覚悟を決めてブログ書いています。批判されても多いに結構。ぼくはやりきります。日本全国、きっかけバスに巻込みます。新しい風が必要なんです。誰かがビジョンを示さないとダメなんです。

 

良かったら、みなさんもこの祭りに参加してみてください。

あなたの5000円からの寄付が、復興の空気を変え、勢いを作り、祭りを盛り上げます。全国47都道府県から被災地に元気な学生たちが訪れます。 そのムーブメントを作って、復興がかわるきっかけ、日本が変わるきっかけをみんなで作りたいです。 アクションはたった1つ、5000円からの寄付です

1人1人のアクションは小さいけれど、それが集まれば集まるほど、風が吹きます。そうやって、みんなで風を起こして変えていきます。

ぜひ、みなさんも一緒にこのお祭りの神輿担いでもらえると嬉しいです。ぼくは復興をかえる「きっかけ」を若い世代、学生たちと一緒に必ず作ります。そこから、日本中が助けあう仕組み、人生懸けて創り上げますのでよろしくお願い致します。

 

47都道府県、きっかけバス寄付祭り

 目的:47都道府県から被災地へ応援のバスをだす、きっかけバス47の資金を全国で集めること。あわせて、みんなの小さなアクションで復興に新しい風を起こすこと。
目標金額:各都道府県 400万円、合計 2億円
期限:2014年3月11日
寄付の使い道:きっかけバス47の活動費用に充てます。集まりすぎた場合は、来年度のきっかけバスの活動に使います

主催:公益社団法人 助けあいジャパン
責任者:代表理事 野田祐機

 

寄付は銀行振込、クレジットカード、JALマイレージから可能です。
寄付はこちらからhttp://kikkakebus.tasukeaijapan.jp/donate/

きっかけバスについての実績はこちら

お願い

合計2億円と書くと突拍子もありませんが、各都道府県で400人、1万円寄付いただける方を募集しています。 5000円の寄付だと800人です。 都道府県で大人が400人以上集まれば、復興の新しい風は絶対起きます。人が集まり始めれば、必ず大きな旋風が起き始めます。
共感頂ける方は、寄付とぜひ、地元のお友達にぜひお声かけお願いします。

 

進捗は  下記のサイトにてアップデートしていきます。
1. kikkakebus.tasukeaijapan.jp
2. きっかけバス47 公開グループ

応援、ご批判は、直接、私、野田祐機までお願い致します。
Facebookコメントまたは  mailで yuuki[at]tasukeaijapan.jp まで

 

Facebook、Twitter、google+の拡散もぜひお願いします。ぼく、インターネットの力、人の力、やっぱり信じてます。共感してくれる人は日本に必ずいると信じてます。

僕と一緒にこのお祭りの神輿、一緒に担いでもらえると本当に嬉しいです。復興には今、新しい風が必要です。 どうか、みんなの力、ぼくに貸して下さい。

助けあいジャパンの代表理事になりました 

いつもブログを見ていただいているみなさん、こんにちは。
今日は7月1日。いきなりなんですが、私、本日をもって公益社団法人 助けあいジャパンの代表理事に就任しました。

 

これまで代表理事だったさとなお(佐藤尚之)さん、理事だった石川淳哉さんが辞めるわけでもないですし、私が乗っ取ったわけでもないですw お二人とも創始者兼会長、創始者兼幹事長として、これからも関わっていただきます。
組織の若返り・新体制ということで、詳細はこちらのプレスを。

昨年の震災後「情報はライフラインだ」をミッションにさとなおさんを中心に立ち上がった、助けあいジャパンは今年の3月から公益社団法人になりました。 公益認定というのはざっくり言うと、内閣府にきちんと認められた世のため、人のためにある非営利組織です。ある方の言葉をお借りすると公益の事業を民間の組織で行う「国」みたいなもんだそうです。 公益の事業を民間の組織おこなっていくということで、いろんな人から寄付をいただきます。これは税金と同じ。 みんなの税金を使って、公共の事業を進めていくことが求められる組織です。

 

背景と公益について書きましたが、組織としてのご挨拶はプレスをみていただくとして、個人として書きます。
多分プレスリリースを見た方、私を知っていて今ブログを見ていただいている方が思っているのは。。

「えーー!!! お前、政治家なるって言ってたやーん!」

ってことだと思いますw(30歳の時のブログにもそう書いてましたしねw)

いや、政治家になるのは諦めていません。全然諦めていません。
4月から政経塾にも通っていますし、30代の間に政治家になります。それは理事のみなさんも了承してくれています。むしろ、政府や省庁とのやりとりが増えたり、公共についても勉強させてもらっている感じです。

 

ちょっとだけ背景を

話せば長くなるのでざっくりですが、実はこの代表理事のお話は5月9日にいただきました。ちょうどGWも終わり、ブログでこの30年の振り返り記事を書いた日です。

「野田くん、代表理事やらない? 政治家になるのを準備しているのを知ってて、あえてムリを頼んでるんだけどw」
って人生がマルっと変わるようなことを、理事の石川淳哉さんにさらっと言われましたw

 

本当は、来年から実家帰って政治活動する予定だったのですが、

  • 仕事を辞めるタイミングだったこと
  • 復興支援はずっと続ける予定だったこと
  • これまでの30年振り返って、次に行く準備ができていたこと

そして、

  • さとなおさんと石川さんのバトンをこのタイミングで自分に渡してもらうこと

が決め手になりました。 政治の道と悩んだ結果、これは「ご縁」だなということで、お受けさせてもらいました。

 

さとなおさんと石川さん。311前はお会いしたことがなかったのですが、助けあいジャパンがきっかけでプロジェクトの発足時から今までずっと関わらせてもらっています。 そのお二人が作った組織のバトンを自分が仕事をやめるこのタイミングで受け取ります。年も20歳ほど離れています。お二人とも大先輩、世間的にもすごいお二人です。これまでの業界も違います。このバトンを引き継ぐのは相当、プレッシャーでした。

 

本当にできるのか? という不安ももちろんありましたが、自分自身を信じると同時に、さとなおさん、石川さんを信じる、仲間を信じようと思って受けることにしました。

震災、そしてソーシャルメディアがきっかけで始まった、助けあいジャパン。私が活動を通じて学んだのは、「一人一人は小さな力。だけど、そのつながりがパワーを持つ」ということです。その言葉を今はすごく実感しますし、私はとことんつながりの力を信じようと思っています。
「ご縁とタイミング」。これが、政治家の道を一度遠回りしても、代表理事を務めさせていただく理由です。そして、きちんと成果を出して10年以内に政治家になります。

 

少し話は変わりますが

助けあいジャパンという公益社団法人は世間的にも珍しいポイントがあるそうです。

①わずか一年程度で公益社団法人として認められたボランティア団体は日本で初めて。
②99%のスタッフが無給のプロボノが集うオンライン上のクラウド組織が公益社団法人(もしくは同等の扱い)となるのは世界でも初めて。

そして今回
③公益社団法人の代表理事が51歳から30歳へのいっきに21歳の若返り(30歳の公益社団法人の代表理事は最年少)

だと聴いています。ひょっとすると少し違う部分があるかもしれませんが、極めて珍しい事だと言えると思うのです。これほどの新しい可能性を持って生まれて来た団体(プロジェクト)をどう進化させていくのかが私の使命です。若いからこそできること、社会を変える政治家になる!と覚悟を決めていたからこそ、できることがあると思っています。

私はとにかく動きます。さとなおさん、石川さんやほかの理事、メンバーのみんなで新しい可能性を形にしていきます。世界にも「Tasukeai」を展開していきます。

 

助けあう という言葉がもとになった助けあいジャパン。一人ではできないことをみんなで助けあって実現していきます。 そして、それを実現するための新しい形のリーダーシップが私には求められていると感じています。
(ここはさとなおさんと石川さんのプレッシャーがかなり大きいですwそのための刷新の人事ですので)

俺が!俺が!のトップダウンのリーダーシップではなく、みんなで対話して、助け合って進めるチーム(組織)を作ります。 現地の被災地の方の声、個人のボトムアップの声、それを実現できる助けあいジャパンにしていきます。

 

これまでサポートいただいた、たくさんの企業の皆様、現地の皆様、ボランティアの皆様、応援していただいている皆様、 これまでありがとうございました。そしてこれからも助けあいジャパンをどうぞよろしくお願い致します。

 

最後に

最後になりますが、私はもちろん公益法人の経営をやったことはありません。分からないからこそ、とにかく動きます。分からないからこそ、これまでの非営利組織とは少し違う感覚を大事にしていきます。ActionとPassion、そしてブログのタイトルと同じ、「習うより慣れろ-Learn by doing-」で前に進んでいきます。

震災復興、今年で二年目。 二年目も。助けあおう。が私たち助けあいジャパンのテーマです。良かったら、助けあいの輪に参加してみてください。 最初の一歩は、こちらにいいね!からご参加くださいね。

新体制になった助けあいジャパン、これからもどうぞよろしくお願い致します。復興支援、がんばります!がんばりましょう!

 

P.S
写真は2011年11月、 チャリティーイベントでのさとなおさんとの一コマ。 まさか、このとき代表理事やるなんて思ってもなかったなーw さとなおさん、私にバトンを渡していただいてありがとうございました。しっかりと頑張ります!

 

(Photo by Kumadaiworks 友人の山本大介くんが撮り、中島明さん、野村謙次さん、加藤たけしくんも少しずつ映っているのが感慨深い。なんで自分が超笑ってるかは覚えていませんw)