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今年は12年ぶりに熱い夏になりそうです

 

今、仙台から新花巻に向かう新幹線の中です。朝は郡山から仙台へ。ミーティングを終えて、今から新花巻で明日からの「きっかけバス」の前入りです。

 

気づけば7月も、もう半ば。夏がそこまで来ています。
7月1日から助けあいジャパンの代表理事となり、おかげさまでいろんなお話をいただいています。毎日、おかげさまで一気に忙しくなっています。

5月までは会社を辞めたらゆっくり政治の勉強をする予定だったので、目まぐるしい毎日でびっくりですw あまりに変わりすぎてあっという間に一日が終わる感じです。(おかげさまでバタンキューで寝ています。 寝落ちともいいますがw)

 

今年の夏、熱いです。いろんな出来事があります。

 

一昨日、助けあいジャパンに有給職員が二人増えました。これまでボランティアでWebの編集を手伝ってくれていた新海綾子さん。福島を担当してくれる元サイバーエージェントの田中美咲ちゃんの入社でした。セブンイレブンの日に入社。 助けあいジャパン全体で懇親会もあって、少しはいい初日になったのかな?と思っています。

 

明日から助けあいジャパン きっかけバスツアーの第一回目がスタートです。 先週まで申し込みが3人だったのが、今週だけで一気に20名。おかげさまでバスがだせるようになりました。助けあいのメンバーのみんなにも告知をサポートいただき、現地のバス会社さんとは最後の最後まで調整です。明日の朝もムリ言って最終の打ち合わせです。間を取り持っていただいたIGPIの柴田さんにも何度も無茶ぶりしてしまいました(笑

おかげさまで明日、バスがでます。後はもう実際にバスをだしてみないとわかりません。第一回に申し込んでいただいた皆様とよいツアーになればと思っています。ありがとうございます。

 

来週の金曜日は復興庁さんから後援をいただき、イベントを実施します。その間も福島の事業の立上げが続きます。 全てが平行で一気に進んでいます。これまでのこともしっかりやりつつ、急ぎながらも丁寧に、しっかりやりたいと思っています。

 

 

気がつけばこの数年の夏は、ずっと仕事をし、オフィスにこもり、オフィスであっという間に夏が終わっていました。ただ、今年は違います。実は福島の事業が6月に決まってから、今年の夏は忙しくなると感じていました。熱い夏になるとおもっています。

毎日、チャレンジングなことばかりです。新しいことばっかりです。大変なんでしょうけど、毎日燃えている自分がいます。

 

振り返るとこんなに燃えている夏は12年ぶり。18歳のころ、インターハイ出場が決まり、日本一を目指してボートを漕いでいた夏以来です。何にも考えずにひたすら練習していた日々に似ています。インターハイが終わった後なんて何も考えず、そのことだけに集中していました。その感覚に似ています。 いやー、青春のフラッシュバック。懐かしいなw
今日宮城県庁で12年前の宮城国体のことも思い出しました。夏のインターハイが終わったあとの宮城国体。12年たって、また東北にいます。

 

18歳の夏から干支も一周まわって、ちょうど今年は30歳。
18歳の夏、インターハイでは決勝までいき、6位入賞という結果も残せました。結果がでたことで、人生が大きく変わった夏になりました。

節目の30歳の夏、この夏を乗り切ると自分の中でまた大きく変わる気がしています。 助けあいジャパンも組織が大きくなっていきますし。

 

18歳のころほど、体力もないし若さもないけど、今は目の前のことをバリバリやろうと思っています。少しでも復興に貢献できればと思っています。

 

 

今年の夏、お会いするみなさん。今年の夏は、熱苦しいやつですがどうぞ宜しくお願いしますね(笑

では、新花巻につきます。新花巻は新幹線の駅なのに、周りに何もないそうです。

今日の夜は、一緒に泊まるペーターさんと素敵な夜になりそうだなー(笑 ではでは

 

P.S

20日(金)に銀座でイベントを実施します。助けあいジャパンとしては初の復興庁から後援をいただいたイベントです。どうぞ会社帰り、仕事帰りにご参加ください! 詳細—>https://www.facebook.com/events/265665596867161/

社会が変わる「きっかけ」の話 

はじめに

少し、夢のような大きな話をしようと思っています。
私は 社会を変える! って大声でギャーギャー叫ぶようなことはしたくないのですが、社会を変えたいという思いは常に持っています。アプローチはオバマさんのCHANGE! よりは控えめな感じですね(笑

 

多分中学生くらいから、社会に貢献したいと思っていました。地元が長崎なので戦争の話、原爆の話は毎年夏になると聞いていました。祖父、祖母、両親もこういう話には積極的だったからかもしれません。 物心ついたころから原爆のことが頭から離れませんでした。

「人を良くするのも科学、悪くするのも科学の力」そう思って、15歳から高専で化学を学び、つい最近まで世界最大の化学会社にいました。(科学と化学の漢字を間違えて入ったわけではありませんよw 15歳の自分には原爆=化学だったのです)

ヒトが作ったものは、ヒトが直せるはずだ。青いようですが、15歳のころからそう思っていますし、今もそう思っています。実際、世界最大の化学メーカーBASFにいて感じたのは、化学の力は偉大である。社会に貢献できる。しかし、それだけで今の社会は良くならないということです。

 

Material が変わったとしても、今の社会にはもうそれだけで解決できない問題が山積みです。貧困、格差、人口問題、高齢化、食料問題、原子力、政治 その他いろいろ。昔であれば、環境問題や医療、食料問題などは科学の力で解決できました。もちろん、Chemistory(化学)、Science(科学)は人類の発展に必要ですが、今の社会問題の解決にはこれ以外のものが必要です。

何があれば、社会は変わるのだろう? 青い私は、こんなことをずっと考えていました。そして、今社会を変えるには3つのことが変わる必要があると思っています。

 

1つ目はお金です。
評価の軸を経済中心・効率中心から変えることです。 これは分かりやすい例が、環境や社会によいことをすればお金がどんどん儲かるようになること。 そうすれば変わっていきます。もっとぶっちゃけてかくと、「結局金です」。電力の話も、ひょっとしたらここじゃないですか?「経済効率」これがあるから、新エネルギーはまだまだ普及しない。

社会によいことは誰でも分かっているけど、お金がない・効率が悪い。どんなによい研究も、どんなによいNPOも、社会がある日を境に変わることはありえないので、今の社会で通じる「お金」というものがないと、影響力を持ちません。寄付の制度、社会起業、そして経済性以外の軸での価値がお金に変わっていく必要があると思っています。

 

もう1つは組織・リーダーシップです。
これはいかに人を巻き込み、組織を動かしていくかです。組織だけでなく、関連のある人たちや企業を共同体として、どう運営していくかです。そこには悩みもあります、困難に立ち向かっていくリーダーシップと巻き込み力が必要です。

BASFで一番学んだのはここです。世界一の化学会社にいて、放っておいたら、世界を変える物質ができるわけではありません。組織を動かし時に社内政治をして、執念ともいえる想いがあって、みんなで新しい物質や製品を世に出すのです。予算や組織の在り方、自身の在り方と戦う人もいます。

Material が社会を変えるのではなく、人が社会を変えるのです。人の想いが社会を変える。 それが私が世界一の化学会社で学んだことでした。Materialではなく、人なのです。「政治が変わらないと。。。」とおっしゃる方、そう、政治の在り方、政治家のリーダーシップが変わるべきなのはここにあたります。

 

3つ目。最後の1つがあります。それは「参加」です。
分かりやすく書くと、人々です。

さきほどのリーダーシップは、ビジョン、熱意、それを実現する組織としましたが、組織の枠組みが決まろうと、人がそこにいないと始まりません。枠組みはできた。共同体や、仕組みができても、人がそこに参加していないと、その枠組みはうまくいかないのです。 もちろん、リーダーはその巻き込みが重要なのですが、ここに新しいリーダーシップの形が問われ、新しい参加の形が問われていると感じています。

新しいリーダーシップも必要、フォロワーシップも、みんなの参加も必要。ずっと参加する必要はないけど、少しだけ参加する。そんな参加の仕方があってもいいと今思っています。そして、ここが重要なのです。

 

今の社会 -1%の話-

ふとあることをきっかけに、「社会を変える」という、社会貢献活動をしている「人々」がどのくらいいるのかが気になりました。

例として日本にあるNPOは約4万。4万とかくと多いですが、従事している人は一団体20人としても80万人。多く見積もって100万人としておきましょう。多分、数字だけ見るとこんな感じです。 100万って書くと多いけど、人口の1%です。NPOってよく聞くようになったけど、まだ人口の1%しか活動に関われていないと感じています。

社会貢献に興味がある人は1%。99%は興味があっても活動に参加できていない。 この数字、肌感覚だけどあたっていると思っています。

実は調べてみると1%と99%というのはいろんなところで起きている現象のようです。

  • アメリカのOccupy wall street は1%の裕福な人に富が集中していることを、99%の市民が抗議した活動
  • 日本の政治は国民の1%の政治家が動かしている(実際には数万人レベルで1%以下)
  • 日本の市民活動参加者(NPO参加者)は人口の1 % (上述の通り)

 

どうでしょう、先ほどの社会を変える お金、政治、人々の3つ。それぞれに影響力を持っているのは、たったの1% なのです。たった1%の人のなかで、あーでもこうでもないって話が繰り広げられています。

貧困の解決も、格差問題も、食料問題も、原発の問題も、政治も、関わっているのはたった1%。 いつからか私はそう思っていますし、世間一般でみたら、ヒトのために必死で活動できる人は、100人で1人くらい。多分この感覚で当たってると思います。

だけど、これだと、社会は変わらないと思いませんか?

 

これからの社会 99%の人々の話

私がこの1%に気づいたのが、東北にいくボランティアについて考えた時です。背景はこちらの記事を。  続けること、伝えること:1%の1歩先へ

事実、これまで東北にボランティアにいった人の数を調べると、6月末で1,025,900人。 やっぱり人口の1%の100万人です。もちろん被災した東北3県の方やNPOでのボランティア考慮すべきでしょうが、そんな細かいことはどうでもいいのです。1%が2%であろうとそう変わりはありません。

 

復興支援、東北のために、よく聞く言葉です。 でも、こういうのって、実は活動している人はいつも同じで、
同じような人たちが、
同じような活動を
同じようにやっている
だけなのかな? って思ってしまいました。 いつも同じメンバー、同じ内容だったら、やることはそう変わらないでしょう。

それが悪いとは思いません。否定しているわけでもありません。これが現実ですから。

でも、冷静に考えてみると、
「ひょっとすると残りの99%の人にはもっといいアイデアや面白い人がいるんじゃないの? みんな、1%の枠のなかで考えているのじゃないだろうか?」

青いままの私は、こんな変なことを考え始めています。昔から、Think outside the box(既成概念に捕われるな)と教えられていましたので(笑

 

これまでの1%の人の考え、枠組みではなく、99%の人、普通の人たちと一緒に社会を変えていくにはどうしたらいいのか? のヒトが、必死になって関わるだけでなく、99%のヒトも気軽に少しだけ関わる。 そんな形もあっていいと思っています。事実、99%の人たちが社会貢献などに関心がないか?というと、そうではなく、みんな何かに貢献したい人は多いのです。 でも、そのきっかけがない。関わるとボランティアなどが毎日大変。。。 というジレンマを抱えているのです。

 

3年前だったら、夢のような話です。だけど、今はこれが現実味を帯びています。一つの例がソーシャルメディアです。これまで情報発信は一部のマスメディアの役割でした。これがソーシャルメディアがあることで、誰もが情報発信できるようになったのです。1%の強力な従来のマスメディアとは違う、99%の人たちのためのソーシャルメディア。日々の情報をつぶやくだけ。対して影響力もありません。

だけど、そこで人々がつながり、協力しあうことで、エジプトでは革命が起きました。世界中でソーシャルメディアを使って、大量の寄付が集まり始め、新しいムーブメントが起こり始めています。変えているのは1%の人ではなく、99%の人たちです。 名もない個人。ちょっとの貢献、ちょっとの寄付、仕事をしながら、何か少しだけ時間を作る。そのちょっとのアクションが今、社会を変え始めているのです。

一人ではできないけれど、みんなではできる。そのためにソーシャルメディアがあり、社会を変えるためにはそういうコラボレーションの形、参加の形が必要だと思っています。

 

最後に

さて、最後にきっかけの話です。これまでの話をふまえて読んでみてください。私は震災後、助けあいジャパンの活動をしています。7月からはご縁があって、代表理事になりました。

今、震災復興の活動をやっていて感じるのは、この1%の壁です。同じ人たちが、これまでと同じようなやり方で復興をしているように感じます。 現地の人も、現地の人たちだけで復興をやっています。現地以外でも関わっている人はいますが、同じような人たちです。ボランティアに参加した人も上述の通り1%なのです。

ボランティアが1%ということは、実際に被災地を訪れたのもその人数だとも言えるのです。
99%の人にとっては、震災はテレビとインターネットを通じてのものでしかないのです。

テレビで東北の話が減ると同時に関心も薄れています。1年たって、命に関わる緊急時は確かに終わったように感じています。 だけど、復興というともっと時間がかかるのです。 これから10年はかかるのです。

 

この10年間を一部の人、被災地の人だけががんばるだけでいいのだろうか?
みんな疲れちゃうんじゃないの? もっと、ほかの関わり方ってないのかな?
そんなことを考え始めました。

先日、岩手、宮城、福島を周り、そのとき現地の人がおっしゃっていたのは、「私たちのことを忘れないでほしい」、「東北に遊びに来てほしい」。 忘れないことこれが、現地の方の力になるのです。 ボランティアはしないけど、行くだけで現地の人に勇気を与えることになるのです。

色んな人が少し関わってみると、ひょっとすると新しい復興のアイデアが湧くかもしれません。新しい活動が東京や大阪、各地で起こるかもしれない。 ひょっとすると、その活動がきっかけに社会を変えるのかもしれない。

 

そのためには99%の人に関わってもらう、きっかけが必要です。1%かかわるには、覚悟が必要です。いろんなこともしなきゃならない。それこそ、東北にボランティアに行くには、装備も揃え、働かなきゃいけない。 そんなマッチョな関わり方ではなく、気軽に関われるきっかけ。

そんなきっかけが、2年目の復興支援には必要だと思っています。 支援と書くと上からですね。 気軽にかかわるきっかけが、2年目の助けあいには必要なのです。

いろんなヒトに関わってもらうきっかけ。そんな思いで、助けあいジャパンは東北でバスをだします。ボランティアはちょっと。。。と思っていた方も、体力に自信のない女性や若い方、ご高齢のかたにもいってもらいたいバスツアーです。

 

現地のバス会社の方とやることで、参加費のほとんどが東北に周る仕組みにしました。ツアーに行くことで、復興支援になるバスツアーです。

東北に行くきっかけ。
東北の人々と会うきっかけ。
復興支援をするきっかけ。
みんなで東北のこれからを考えるきっかけ。
そして、いっしょに考える仲間ができるきっかけ。

助けあいジャパン きっかけバスツアーです。

ちょっと関わるきっかけ、99%の人が東北に少しだけ関わり始めたときに、そこからひょっとすると社会が変わるかもしれない。東北から日本が変わるかもしれない。 そんな思いで私はやっています。

みんな、一人で変えることはできません。だからこそ、みんなでバスに乗って東北を周り、一緒に何か考えるきっかけになればと思っています。一人で参加していただいても全然大丈夫です。

 

1%の先の新しい関わり方。 私にとっても大きなチャレンジです。
よかったら一緒にどんな形になるのか、見てみませんか?  みんなでこれから支援の形、そして少しだけこれからの社会が形が見えればいいなと思っています。

きっかけバス詳細はこちら。ロゴもかわいくないですか?
とにかく今、東北を自分の目で見てほしいと思っています。

 

さて、気づいたら、長い文書になっていました(笑

最初に書きましたが私はオバマさんのようにChangeを叫ぶことはしませんが、今自分にできることで社会を少し変えるには、このバスを出すことだと心の底から思っています。そして、これからも99%のヒトが関わる、新しい形を創れればいいなと思っています。 きっかけバス、どうぞ宜しくお願いします。

->きっかけバス詳細

P.S
今回は数字の部分を乱暴に1%としていたり、「これまでのやり方」と書いていますが、活動を否定している訳ではありません。これまでのやり方をふまえて、みんなで何か新しい支援の形ができればと思って書いています。Think outside the box です!

 

 

 

今回の記事いかがでしたか?
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縁尋機妙 多逢聖因:30歳になりました

 

今日、5月30日に30歳になりました。

朝起きると、Facebookやツイッター、メールにメッセージをいただき、朝から素敵な誕生日を迎えることになりました。
おかげさまでFacebookはずーっとupdateマークが真っ赤の状態です(笑   改めてみなさまありがとうございました。

 

30歳という節目の年なのですが、5月29日 29歳最後の日のお話を。
すでにご存じの方もいらっしゃいますが、BASFは6月末に辞め、30代のうちに政治家を目指しています。 震災やさまざまなことが重なり、日本のためにという思いで、これからは日本の地域、社会のために働きます。

昨日は私が通う政経塾の入塾式。その政経塾の最初の授業の始まりが、タイトルの「縁尋機妙」でした。(えんじんきみょうと読みます) これは昭和のリーダー教育で有名な安岡正篤師のお言葉。「よい縁がさらによい縁を尋ねていく仕方が実に機妙である」 という意味です。

昨年の誕生日には、政治家になることは考えてもいませんでした。まさかBASFを辞めることも思っていませんで、私は一年以内に香港に行くと思っていたのです。 ただ、この1年、震災の影響とお会いした方とのご縁がやはり大きかったのですが、結果として選んだ政治家という道。 その最初の授業で教えていただいた、「縁尋機妙」。言葉の通り、縁が縁を尋ねて、その場に座っている自分がまさに機妙でした。そして、その政経塾の塾長が政治を志したきっかけが、自分の生まれ故郷である 佐世保での出来事だったことも何かご縁を感じました。

もう一つ安岡正篤師が言われていた言葉が、多逢勝因(たほうしょういん) です。こちらは、「よい人に交わっていると、気づかないうちに、よい結果に恵まれる」 という意味です。振返ると、良い師に恵まれ、良い先輩の皆様、仲間にも恵まれた30年でした。 大変ありがたいことに周りによい人が多く、よい結果にも恵まれます。 (失敗もいっぱいしますがw)

たくさんの方のご支援があるからこそ、今日の30歳を迎えられました。 ご縁に恵まれるのは、「人のため、社会のため」と口酸っぱく、(ほんとに口酸っぱくw) 私に教えてくれた両親のおかげだと思っています。 家族、師、先輩、仲間と、皆様にあらためて感謝をしています。

これからの30年は私もお会いする皆様によいご縁をいろんな方にお返しできるように頑張りたいと思っています。29歳の最後に会ったのは、写真にあるクリスマスに東北に一緒にいったメンバーです。(自分が撮った写真だから自分は写ってませんがw)全員、20代、私が一番年上でした。

30代というと、若い世代、先輩の世代のつなぎ役。 二つの世代のつなぎやくとして、時には師や先輩に学び、後輩には少しは何か私から学んでもらえるようにがんばろうと思っています。 しっかりできるかなーとちょっと心配していますが(笑

少々、固い文書になりましたが、30歳の誕生日くらいは (笑 は少なめのマジメな文書でいいかな? と思っています。  こう書いてると、もう20代じゃないんだー!!! と、ふざけたことができなくなりそうで、ちょっと、さびしくなってきましたが(笑

では、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

これまでの30年を振りかえってみる 後編 -BASF入社-

 

前回に続き、振返りの話です。 意外なことに前回の記事、1,000人以上の方に読んでいただいています。イロイロとコメントもいただき、予想以上の反響で今回は長めに書いてみました。
前回の記事では、5歳から柔道をはじめ15歳まで続け、佐世保高専に進学するとボートを20歳まで続けるという、部活しかやっていない10代の話を書きました。

本当に部活しかやっていなかった自分が20代になって、いろんな事を学び、凹み、就活もあって変わっていきます。side storyとして恋愛の話もいれました。  良かったら続きをどうぞ

 

佐世保高専専攻科時代・英語時代 (20-22歳)

佐世保高専は5年制で、20歳の時に卒業します。 就職か他の大学に編入か決める必要がありましたが、 20歳の夏までボートをやっていたので進路を全く考えていませんでした(笑

当時流行り出したTOEIC の点数が520点と当時としては高い点数だったので、これからは英語だ! と、英会話に通い始めます。 あっちなみに専攻していたのは化学です。

イーオンに40万くらいのローン組まされて入学し、英会話の勉強。親に借りるのもイヤだったので、自腹で40万支払いました。 この、お金のない学生の時期に40万の借金したことで、英語以外にもお金の価値、時間の価値を学ぶことになりました。これは英語以外にも大事なことを学べて良かったと思っています。

イーオンの後は米軍基地でネイティブに英語を学ぶことになります。 この英会話を通じて仲良くなった、ジョンさんたちとは今でも友達。 彼らについてはこの記事こちらの記事を見てみてください。

(写真は英会話を習っていたジョンさんファミリー。今でも家族ぐるみで仲が良いです)

 

さて、本題。進路を本当に考えてなかったのと、佐世保特有の米軍基地があること。その二つで佐世保高専の専攻科という同じ敷地内にある学校に進学します。当時付き合っていた彼女も専攻科に進学したので、別れたくなかったというのも理由にあります。多分、本当に部活しかしてなかったので、急激な変化に対応ができなかったのだと思う。

なので、結局佐世保高専には、高専の5年+専攻科の2年と、7年同じ場所に通いました。高校の3年+大学の4年と同じの7年ですので、普通の大学に行った人にはあまり馴染みがない話なので、とりあえず大卒だ! ということだけ覚えておいてください(笑

さて、ここから就活の話になるけど、この専攻科~就活までは結構、イヤな時代です。黒歴史というほどでもないのですが、ちょっと書きます。

凹んでた時期(20-22歳)

実はこの佐世保工専の専攻科の時期が実は、一番辛かった。これまで部活をずーっとやっていたせいか、その目標が無くなった時にどう過ごしていいかがわからない。 そして、研究は忙しく、バイトするヒマもない。 英会話のローンは払わないといけないし、お金もない。

当時、実験と称して学校で一人でいることが多かった。あえてボッチだったのと、ちょっと浮いてたと思う。実験で結果も出したかったし、英語も必死で勉強していました。 なので、余裕がなかったと思う。常に何かに勝たなきゃ! みんなよりよい成果をださなきゃ!っていう、焦り。インターハイ6位、国体3度出場っていう過去の栄光を引きずって、人の目を気にしすぎていたんだと思います。

今考えると本当にこの時期は凹んでいたと思うし、しょっちゅう食べてました。 ストレスで結構太った時期でもありました。

あっあと、黒歴史ということでもう一つ。

これは書くか迷いましたが、15歳のころ、柔道も全国大会にいって絶頂のころ、ある事件をおこしました。ここで親にも先生方にも迷惑をかけました。一歩間違っていたら、今の自分はありません。これ以降、親の悲しむ顔は見たくないと思ったほどの事件でした。タバコとかのレベルじゃない話なので詳細は秘密ですが。

 

就活⇒最後までかかりBASFを受けることに

さて、就活の話にいきましょう。本当は大学院に行きたかったのだけど、実験をやっている間に研究職は向いていないということに気づきます。化学もあんまり興味なかったことに気づいて、(早く気づけよって思いましたが笑) 就活をすることに。

最初、学校推薦で日本企業の技術職を受けたのですが、集団面接ではっきり言いすぎたのか落ちます。ここで落ちたことで、ある意味ふっきれます。国体も出てるし、成績もそんなに悪くないし、学校推薦だし、落ちるわけがないと思っていたので。自分自身が否定されたみたいで超ショックでした。

凹みに凹んだあとに、もう、自分のやりたいようにやろう!ということで、若いうちから自分のやりたいことができるベンチャー企業と外資を受けます。しかも、化学や技術に関係ない、営業という職種でです。 やるならとことんビジネスやろう!ということで営業志望でした。

当時、佐世保の片田舎の高専から、ベンチャー企業やら外資を受けた学生は皆無。もちろん、営業職なんて、技術が強い理系の高専ではありえません。営業のえも分からないし、ビジネスのビも分からない中でやったから、無謀な挑戦でした(笑

普通理系の学生はみんな学校推薦で日本の大手企業の技術系やら研究職に内定をもらいます。なので、就活が友人と違って、最初やり方が分からなかった。 この分からなかったのと、周りと違う事をしたのが結果的に良くって、ここからいろんな本を読み漁り、読書をする習慣つきました。

結果、ベンチャーから1社、外資から1社内定を得ます。悩んだ結果、化学は飽きたのに何を間違ったかドイツに本社がある、BASFという化学業界最大手の会社に入社することになりました。(正式には、BASFと日本合弁の会社に内定したら、入社前にBASFが100%の株式を取得した形です)

ちなみに就活は同級生で一番初めに始めて、学年で一番最後に決まりました。 絶対、最初に決まると思って自信あったので、みんな就職先が決まっていく中で、決まらない自分が否定されてるみたいで辛かったし、イヤな夢はいっぱいみました。 今考えるといい思い出ですけど、仕事があるって本当にありがたいって実感するよい機会でした。

写真は、凹んでたときによくいってた佐世保バーガーのお店。ハンバーガーとかジャンクフードと酒ばっかり飲むから、すぐ太ってました(笑

 

BASF – The Chemical Company- に運よく入社して

BASF – The Chemical Company- って、自分でThe(世界で一つのTheね) というほど、BASFは世界で一番でかい、世界中でビジネスをやっている化学会社です。そこの塗料事業部に入社します。

そんなグローバル企業に入社してみると、同期の人はほとんど院卒。しかも 東大、京大、東工大、阪大、コーネル大とかなんか有名校ばっかり。上の人はロンドンやオックスフォードのMBA持っていたりで、 高専の専攻科卒業です! っていうのが場違いすぎて笑えるほど。BASFにほんとによく受かったな!って高専の先生に言われたのが、ここでようやく分かります(笑  佐世保の田舎の変な学校から出てきた、不思議な新入社員でした。

 

もちろん、学歴は大事で最初は相当気にしていました。ちゃんと編入して大学に行っておけばよかったなーっとも思ったし、浪人してでも東大行けばよかったと思いました。正直に、学歴コンプレックスめちゃくちゃありました。(さらっと書いてますが、相当ありましたよ)

でも、評価は結局は実力主義。就活を通じて本を読むようになっていたので、本はめちゃくちゃ読んで勉強しました。入社2-3年したら、大学名で話をする人なんていなくなりました。 やっぱり評価は結果なんです。 このころから、あんまり学歴は気にしなくなっていました。

仕事は営業志望なのに任されたのはマーケティング。ここ4年はプロダクトマネージメントを担当し、海外に行かせてもらったり、経営も少しはわかるようになってきました。イロイロと大変だったのだけど、就活が決まらなかったことで仕事のある幸せと、世界一の会社でチャレンジできること。この二つがあって、楽しかった。ボートの時に日本一を目指したこともあって、世界一の企業が何をしているのか? どうすればそのレベルについていけるか? を身をもって体験できることは、はっきり言って幸せでした。 もちろん、イロイロと納得いかないこともあったし不満はあったけれど、これが世界一のレベルかー! みたいなノリで結構大変なことも楽しんでやっていました。この辺りはやっぱり体育会系のノリです(笑

 

実はこのBASFを6月に退職するのですが、辞めてももう一回入りたいくらいいい会社です。化学業界で世界最大手というのは、化学を通じて世界が見えてきます。 世界の産業の基本を支える原料、化学製品を通じて、さまざまなことが学べたのは本当にありがたかったです。 そして、ここで社会が変わりつつあることも身をもって学べたのはよかったです。 ちなみにそれが元になって書いた記事はこちら。これからの30年を考える7つのメガトレンド

 

さて、もう少しで終わりますがその前におまけの話を

 

 

おまけの話:恋愛ついて

前回の振り返りの時に、初恋について、というリクエストがあったので、ちょっと恋愛のことを。あんまり深く書くと色々バレるので、一つに絞らせてください(笑

実は26歳のころに結婚直前までいった人がいます。相手の方は少し年上の、米系の外資に勤めていた方。価値観も合うし、英語もできるし、いいなと思っていたけれど、1年ほど付き合っていつの間にかプロポーズする前になんか結婚の話が。。。

 

実家に帰省し両親に話を相談した時、母親は大はしゃぎ。だけど父親が言った、「相手のために結婚はするな、結婚は納得したときにしろ」という言葉に救われました。彼女が年上だったのもあって、自然と結婚という話がでたし、自分は正直に迷ってました。すごくいい人だし、これがタイミングなのか? と思ってたけど、 なんかストンと落ちない。 実際、自分は当時、仕事が中心にしか考えられなかったし、次は香港に行く話もありました。 父親も年上の人と付き合ったことがあり、こういう状況があったとのこと。「結婚は自分の納得いくタイミングで。結婚できないなら、刺される覚悟で別れてこい」ってアドバイスももらい、ああこの親にして、この子ありだなと。 お腹にジャンプをいれて刺されてもいいようにして、別れを告げに行こうかと思ったくらいです(笑 (すいません、笑う話じゃないのですが)

そこから30歳までは仕事しようって、覚悟決めました。30までは必至でいろんなことをしたかったし、自分の道が決まってないのに、結婚すると絶対挑戦できなくなるって思っていたので。わがままな考えかも知れませんが、付き合うことはあっても結婚については最近までそう思っていました。

さて、30歳直前になって自分の道も決まったし、いい人がいたら結婚は迷わずすると思いますが、その話はまた今度!

最近の話

この2年ほど、twitterがご縁でいろんな人とお会いし、いろんな活動をするようになりました。英語クラスタのオフ会に参加したのがきっかけですし、それがきっかけでブログも始めました。 朝活で出会った人達と、いろいろやらせてもらっています。

その辺りはこのブログをぜひどうぞ。

最近は復興支援に力を入れています。 最近も東北にボランティアに行ってきたし、また行きたいと思っています。

まとめになりますが、 今毎日が幸せです。仕事を辞めるからなのか、やりたいことが見つかったからなのかわかりませんが、なんか子供の頃に戻った気分です。そして、日々、いろんな人に感謝するようになりました。

これにはやっぱり震災が影響していて、3月11日震災があって、初めて死ぬって実感したし、東北に行って生と死を実感すると、尚更こういう風に思います。
人はいつか死ぬ。 明日が今日と同じような日であるとは限りません。だから、日々一生懸命生きた方がいい。自分は生かされていると、そう思っています。

今回、振返って自分が見えてきました。

  •  縁や仲間に恵まれていること
  • 武道の教えや儒教の教えが自分の考え方の基本になっている
  • 決めたら最後までとことんやる
  • やる以上は本気でやらないと気が済まないし、結果にこだわる
  • その反面、自分に合わないことはすぐに止める(いい意味で見切りが早い、悪く言うと飽きっぽい)
  •  すぐやらないと気がすまない。(これ短所でもあるので気をつけてます)
  • 今振り返ると、凹んでても結構平気。 かなり楽観的でポジティブ
  • ものごとに終わりがあることを自覚し始めた

といったことが見えてきました。気づけてよかったです。他にもあるかもしれませんが、また書きたします。

今回、書いて良かった。書く理由は2つありました。 このブログは若い人も読んでいただいているようなので、メッセージを込めて理由を書きます。

1つは部活ばっかりやっていた10代を終え、20-22歳の間に色々と迷っていた時期に決めたことがありました。 それは10年単位で人生を考えること

20-22歳のころは上にも書いたけど、かなりイヤな時期。一番凹んだ時期。そういう時は何をやってもうまくいきません。そういう時はとにかく力を蓄えること。勉強すること。 これは、その時に買った中国の古典から学んだものです。 時間のスパンを長くすることで、今の苦境を乗り越えられました。下手すると今の時代は、今の会社がイヤだから。。。とか、今の環境がイヤだから。。。とか言って、すぐ辞める人も多い。

でも、それやってたら絶対に伸びない。人には凹む時期もあるけど、それにどう対応するか? うまくいかない時は無理せず、次のチャンスに備える。 それが重要だと書いてありました。結果、20代の時は、とにかく学びの10年と決め、30代でその学んだことを実行する10年としようと決めていました。もちろん学ぶことはこれからも続くのですが、20代はとにかくいろんなことを吸収すること、辛くても結果はあとから付いてくる。という考えです。

そんな自分も20代をもうすぐ終えます。30歳を手前にして、きちんと振返りをしたかったこと。そうしないと次の10年に進めないと思っていましたし、書き終わって今考えても、やっぱりそうでした。

そして、もう一つ。書くこと、振返ることで、ありのままの自分になることです。

 

恋愛のところで書いた通り、結婚しそうな彼女と別れた後26-28歳の間によく読んでいた本がウォーレンベニスの On becoming a leader (リーダーになる) という本です。世界的に有名なリーダーシップの本で、今でも何回も読み返します。GWは日本語版を読みました。

 

この本の中に、本当の自分自身になった時に、人はリーダーシップを取り始めると書いてあります。 リーダーとは生まれながらになるものではないのです、リーダーとは自分自身でなるものなのです。いろんなレベルのリーダーがいます。ジョブズやオバマ大統領のようなリーダーになれとは言いませんが、自分の人生においては自分自身がリーダーシップをとる必要があります。人はあなたの人生にアドバイスはくれても、リーダーシップはとってくれません。 あなたの人生のリーダーシップは自分でとるしかないのです。

 

辛い時期を乗り越え、自分自身ときちんと向き合った時に、見えてくることがある。本にはそう書いてあります。 他人にどう見られるかより、他人にどう合わせるかより、自分自身が本当にしたいことは? ありのままの自分って? そういうことを見出すためには、自分との対話と、書くことが有効だと本にはあります。 そのステージにいくには、辛い時期も必要なのです。

自分の場合は、会社に入って実は孤独を感じていました。 仕事をやればやるほど、会社の人との溝は広がり、同期も近くにいない。学歴は全然違う。

仕事しかしていなかったのが原因だけど、仕事をやればやるほど孤独を感じる。そういう時にこの本に出会いました。そこから、一人でいるのも自分との対話に当てれたし、本当に自分自身のことを考えはじめました。 これまでと違うアプローチもはじめました。多分、このころから中性っぽくなった気がしています(笑 もう、パワーや権威、縦社会のそういうものでは、うまくいかない時代なんだなと気づいた時期でもあります。

 

これまでブログを2年ほど書いてきて、書くことの重要性、自分との対話の重要性はすごく感じます。 そう思って、今回きちんと時間をとって自分と向き合いました。これからの30年のために、これまでを振り返り、自分自身になり、リーダーシップをとるためにもです。

 

良かったら、このブログを読んでいただいているみなさんも、ご自身と向き合ってみてください。今は情報化社会です。テレビ、新聞、ツイッターやfacebookで情報はどんどん入ってきます。友達のリア充な写真もfacebookですぐ見れます、友達ともすぐにつながれます。

そんな忙しい時代だからこそ、一度、自分自身と向き合ってみてください。情報に惑わされず、自分自身と向き合うと、見えてくるものが必ずあります。そして、良かったらそのことを書いてみてください。本当の自分が見えてきた時に、自分の人生にリーダーシップを取り、組織でもいつの間にかリーダーシップをとっていることに気づきます。
そして、人生が少しずつ変わっていることに気づくはずです。

私の話はこれで終わります。 次は読んでいただいているあなた。 良かったら、あなたのストーリーを書いてみてくださいね。私はみんなの振返りのストーリーも見たいです。

書いたらスッキリー! これでつぎの10年に行ける気がします。読んでいただいてありがとうございました。 この30年で出会った皆様に感謝!!

一年経って東北へ -ボランティアバスを出します-

4月6日から9日まで東北に行ってきます。前回記事にも書いたとおり、ボランティアと対話を繰り返す クリエイティブの可能性 春合宿にリーダーとしてです。

クリエイティブの可能性について

このクリエイティブの可能性は、デザインやプロモーションなどの幅広い広告、クリエイティブな事業を展開されている石川淳哉さんから始まりました。広告やデザインなどの経験を「クリエイティブの可能性」と題して京都の学生に講師として教えられていた石川さん。 震災の後、その京都の学生から連絡があり、「この震災に対して、私たちに何かできませんか?」 という思いで、教え子の方と夏のボランティアに出発されました。

現地でボランティアをし、現地の方にお話を聞き、夜はみんなと対話を繰り返す。 東北で何を感じるのか? 五感全体で感じることを一生懸命受け止め、言葉にしていきます。 言葉にできないことも、感情を抑えきれずに涙する人もいます。 ボランティアを通じて、被災地そして自分自身と本気で向き合う合宿。夏合宿が終わり、そこでの出会いで会社を作った人もいます、新しい活動をはじめた学生もいます。

 夏合宿の参加者でもある、中島明さんは冬に同じ合宿を実施しました。夏に参加したみんなの、「もっと東北に行ってほしい、この合宿に参加してほしい」という思いを受けて。

私は夏合宿のことは知っていました。行きたかったけど、都合があわずに冬合宿に参加。そこで学んだこと、出会った仲間、そして、もっと他の人にも東北を自分の目で見てもらいたい、この合宿を体験してもらいたい。 その思いで、夏の石川淳哉さんから、冬合宿の中島明さんへ。 そして今回、春合宿のバトンは私が受け継ぐことになりました。

ボランティアに行く。 それだけではありません。

若い人にいろんなことを感じてもらい、自分自身と向き合い。これから何ができるのか? 同じバスにのり、同じボランティアを体験する。夜には本音で全員が語り合って、これからの復興、そして日本のためにできることを考える内容です。参加した学生は変わります。 一人一人が被災地を五感で感じ、自分自身と向き合うことで心を動かされます。自分達でできる活動を始め、東北、日本のために自分達ができることを一生懸命に取り組んでいるのです。

夏合宿に参加した小林大地。合宿のあと毎週のように東北に通い、7万本あった松が津波に流され、奇跡的に残った一本の松。この奇跡の一本松を鎮魂のためにクリスマスにライトアップ。テレビにも取り上げられ、新聞の一面にも掲載されました。
東北で出会った、あの人のために何かやりたい! その純粋な思い、それが彼を変えていったのです。

冬合宿に参加した福田恭子。 本当におとなしかった女の子です。彼女は冬合宿の帰りのバスで、東北のために行動することを宣言しました。 本当におとなしかった女の子が、みんなを巻き込んで今度の春に東北の人のために場作りをします。大人しかった子が変わっていくのです、いつのまにかリーダーシップをとりはじめるのです。

一緒にいった学生はそんな二人のようにアクションをとれずに悩む子もいます。 何であの子にできて、自分にはできないのだろうか? と。 でも、そう悩みながらも、顔つきが変わっていきます。みんな少しずつ前に進んでいるのです。できることをやりはじめているのです。

いきなりChange する子もいれば、少しずつ変化する、Shift していく子もいます。一人ではできない。だからみんなで助け合って、励ましあって、少しずつ自分ができることを進めています。少しずつ若い人みんなが変わっていくのを目の当たりにし、大人達も変わっていくのです。

同じ時代に生まれ、同じ国に育つ。

その時、生まれ育った国で震災という、これまでにない出来事が起きました。多くの人の生き方、価値観、多くのものを変えてしまった3月11日の地震と津波。

何が変わったのか? 自分に何ができるのか?
このことに真正面から向き合うこと。 それがこれからの明日を担う若者に大きな意味を持つと信じています。 テレビやネットでは伝わりきれません。現地に行って、五感でもっと感じてほしい。その思いで私は今回、3回目の合宿のバトンを受け継ぎました。 未来を担う若い人に東北に行ってほしい、ボランティアをつうじてありのままを受け止め感じてほしい。 それが必ず、明日の復興、しいては日本のためにもなる。 そう信じて企画しています。

今回の春合宿、最年少は中学校を卒業したばかりの女の子です。九州の長崎から参加してくれる子も、アメリカから日本に帰省して参加する子もいます。若い人たちにとって、参加費の3万5千円というのは安い金額ではありません。

読んでいただいているみなさま、どうか、この合宿に共感していただけましたら、学生に支援の寄付をお願いいたします。東北は遠いです。そして、学生に3万5千円は大金です。もしよければ交通費のサポート、参加費のサポートの寄付をお願いします。 参加した学生にはきちんと報告をしてもらいます。次につなげてもらいます。 お金が余ったら、必ず次回の合宿も実施します。

若い人を東北に。 仕事で東北に行くのが難しい社会人のみなさま、どうかみなさんの思い、復興への思いを、未来を担う若い人に託していただけますと幸いです。この活動に共感していただけましたら、一口5000円からの寄付をどうぞ宜しくお願いいたします。私が責任をもって連れて行きます。

 みなさまのご支援、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

※寄付は下記の口座で受け付けております。入金頂けましたら、確認のため、Facebookの野田 祐機宛までメッセージを頂くか、info@learnbydoing.jp にメールいただければ幸いです。

三菱東京UFJ銀行・笹塚支店(138)・普通 0122475

名義:ノダユウキ

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