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これまでの30年を振りかえってみる 後編 -BASF入社-

 

前回に続き、振返りの話です。 意外なことに前回の記事、1,000人以上の方に読んでいただいています。イロイロとコメントもいただき、予想以上の反響で今回は長めに書いてみました。
前回の記事では、5歳から柔道をはじめ15歳まで続け、佐世保高専に進学するとボートを20歳まで続けるという、部活しかやっていない10代の話を書きました。

本当に部活しかやっていなかった自分が20代になって、いろんな事を学び、凹み、就活もあって変わっていきます。side storyとして恋愛の話もいれました。  良かったら続きをどうぞ

 

佐世保高専専攻科時代・英語時代 (20-22歳)

佐世保高専は5年制で、20歳の時に卒業します。 就職か他の大学に編入か決める必要がありましたが、 20歳の夏までボートをやっていたので進路を全く考えていませんでした(笑

当時流行り出したTOEIC の点数が520点と当時としては高い点数だったので、これからは英語だ! と、英会話に通い始めます。 あっちなみに専攻していたのは化学です。

イーオンに40万くらいのローン組まされて入学し、英会話の勉強。親に借りるのもイヤだったので、自腹で40万支払いました。 この、お金のない学生の時期に40万の借金したことで、英語以外にもお金の価値、時間の価値を学ぶことになりました。これは英語以外にも大事なことを学べて良かったと思っています。

イーオンの後は米軍基地でネイティブに英語を学ぶことになります。 この英会話を通じて仲良くなった、ジョンさんたちとは今でも友達。 彼らについてはこの記事こちらの記事を見てみてください。

(写真は英会話を習っていたジョンさんファミリー。今でも家族ぐるみで仲が良いです)

 

さて、本題。進路を本当に考えてなかったのと、佐世保特有の米軍基地があること。その二つで佐世保高専の専攻科という同じ敷地内にある学校に進学します。当時付き合っていた彼女も専攻科に進学したので、別れたくなかったというのも理由にあります。多分、本当に部活しかしてなかったので、急激な変化に対応ができなかったのだと思う。

なので、結局佐世保高専には、高専の5年+専攻科の2年と、7年同じ場所に通いました。高校の3年+大学の4年と同じの7年ですので、普通の大学に行った人にはあまり馴染みがない話なので、とりあえず大卒だ! ということだけ覚えておいてください(笑

さて、ここから就活の話になるけど、この専攻科~就活までは結構、イヤな時代です。黒歴史というほどでもないのですが、ちょっと書きます。

凹んでた時期(20-22歳)

実はこの佐世保工専の専攻科の時期が実は、一番辛かった。これまで部活をずーっとやっていたせいか、その目標が無くなった時にどう過ごしていいかがわからない。 そして、研究は忙しく、バイトするヒマもない。 英会話のローンは払わないといけないし、お金もない。

当時、実験と称して学校で一人でいることが多かった。あえてボッチだったのと、ちょっと浮いてたと思う。実験で結果も出したかったし、英語も必死で勉強していました。 なので、余裕がなかったと思う。常に何かに勝たなきゃ! みんなよりよい成果をださなきゃ!っていう、焦り。インターハイ6位、国体3度出場っていう過去の栄光を引きずって、人の目を気にしすぎていたんだと思います。

今考えると本当にこの時期は凹んでいたと思うし、しょっちゅう食べてました。 ストレスで結構太った時期でもありました。

あっあと、黒歴史ということでもう一つ。

これは書くか迷いましたが、15歳のころ、柔道も全国大会にいって絶頂のころ、ある事件をおこしました。ここで親にも先生方にも迷惑をかけました。一歩間違っていたら、今の自分はありません。これ以降、親の悲しむ顔は見たくないと思ったほどの事件でした。タバコとかのレベルじゃない話なので詳細は秘密ですが。

 

就活⇒最後までかかりBASFを受けることに

さて、就活の話にいきましょう。本当は大学院に行きたかったのだけど、実験をやっている間に研究職は向いていないということに気づきます。化学もあんまり興味なかったことに気づいて、(早く気づけよって思いましたが笑) 就活をすることに。

最初、学校推薦で日本企業の技術職を受けたのですが、集団面接ではっきり言いすぎたのか落ちます。ここで落ちたことで、ある意味ふっきれます。国体も出てるし、成績もそんなに悪くないし、学校推薦だし、落ちるわけがないと思っていたので。自分自身が否定されたみたいで超ショックでした。

凹みに凹んだあとに、もう、自分のやりたいようにやろう!ということで、若いうちから自分のやりたいことができるベンチャー企業と外資を受けます。しかも、化学や技術に関係ない、営業という職種でです。 やるならとことんビジネスやろう!ということで営業志望でした。

当時、佐世保の片田舎の高専から、ベンチャー企業やら外資を受けた学生は皆無。もちろん、営業職なんて、技術が強い理系の高専ではありえません。営業のえも分からないし、ビジネスのビも分からない中でやったから、無謀な挑戦でした(笑

普通理系の学生はみんな学校推薦で日本の大手企業の技術系やら研究職に内定をもらいます。なので、就活が友人と違って、最初やり方が分からなかった。 この分からなかったのと、周りと違う事をしたのが結果的に良くって、ここからいろんな本を読み漁り、読書をする習慣つきました。

結果、ベンチャーから1社、外資から1社内定を得ます。悩んだ結果、化学は飽きたのに何を間違ったかドイツに本社がある、BASFという化学業界最大手の会社に入社することになりました。(正式には、BASFと日本合弁の会社に内定したら、入社前にBASFが100%の株式を取得した形です)

ちなみに就活は同級生で一番初めに始めて、学年で一番最後に決まりました。 絶対、最初に決まると思って自信あったので、みんな就職先が決まっていく中で、決まらない自分が否定されてるみたいで辛かったし、イヤな夢はいっぱいみました。 今考えるといい思い出ですけど、仕事があるって本当にありがたいって実感するよい機会でした。

写真は、凹んでたときによくいってた佐世保バーガーのお店。ハンバーガーとかジャンクフードと酒ばっかり飲むから、すぐ太ってました(笑

 

BASF – The Chemical Company- に運よく入社して

BASF – The Chemical Company- って、自分でThe(世界で一つのTheね) というほど、BASFは世界で一番でかい、世界中でビジネスをやっている化学会社です。そこの塗料事業部に入社します。

そんなグローバル企業に入社してみると、同期の人はほとんど院卒。しかも 東大、京大、東工大、阪大、コーネル大とかなんか有名校ばっかり。上の人はロンドンやオックスフォードのMBA持っていたりで、 高専の専攻科卒業です! っていうのが場違いすぎて笑えるほど。BASFにほんとによく受かったな!って高専の先生に言われたのが、ここでようやく分かります(笑  佐世保の田舎の変な学校から出てきた、不思議な新入社員でした。

 

もちろん、学歴は大事で最初は相当気にしていました。ちゃんと編入して大学に行っておけばよかったなーっとも思ったし、浪人してでも東大行けばよかったと思いました。正直に、学歴コンプレックスめちゃくちゃありました。(さらっと書いてますが、相当ありましたよ)

でも、評価は結局は実力主義。就活を通じて本を読むようになっていたので、本はめちゃくちゃ読んで勉強しました。入社2-3年したら、大学名で話をする人なんていなくなりました。 やっぱり評価は結果なんです。 このころから、あんまり学歴は気にしなくなっていました。

仕事は営業志望なのに任されたのはマーケティング。ここ4年はプロダクトマネージメントを担当し、海外に行かせてもらったり、経営も少しはわかるようになってきました。イロイロと大変だったのだけど、就活が決まらなかったことで仕事のある幸せと、世界一の会社でチャレンジできること。この二つがあって、楽しかった。ボートの時に日本一を目指したこともあって、世界一の企業が何をしているのか? どうすればそのレベルについていけるか? を身をもって体験できることは、はっきり言って幸せでした。 もちろん、イロイロと納得いかないこともあったし不満はあったけれど、これが世界一のレベルかー! みたいなノリで結構大変なことも楽しんでやっていました。この辺りはやっぱり体育会系のノリです(笑

 

実はこのBASFを6月に退職するのですが、辞めてももう一回入りたいくらいいい会社です。化学業界で世界最大手というのは、化学を通じて世界が見えてきます。 世界の産業の基本を支える原料、化学製品を通じて、さまざまなことが学べたのは本当にありがたかったです。 そして、ここで社会が変わりつつあることも身をもって学べたのはよかったです。 ちなみにそれが元になって書いた記事はこちら。これからの30年を考える7つのメガトレンド

 

さて、もう少しで終わりますがその前におまけの話を

 

 

おまけの話:恋愛ついて

前回の振り返りの時に、初恋について、というリクエストがあったので、ちょっと恋愛のことを。あんまり深く書くと色々バレるので、一つに絞らせてください(笑

実は26歳のころに結婚直前までいった人がいます。相手の方は少し年上の、米系の外資に勤めていた方。価値観も合うし、英語もできるし、いいなと思っていたけれど、1年ほど付き合っていつの間にかプロポーズする前になんか結婚の話が。。。

 

実家に帰省し両親に話を相談した時、母親は大はしゃぎ。だけど父親が言った、「相手のために結婚はするな、結婚は納得したときにしろ」という言葉に救われました。彼女が年上だったのもあって、自然と結婚という話がでたし、自分は正直に迷ってました。すごくいい人だし、これがタイミングなのか? と思ってたけど、 なんかストンと落ちない。 実際、自分は当時、仕事が中心にしか考えられなかったし、次は香港に行く話もありました。 父親も年上の人と付き合ったことがあり、こういう状況があったとのこと。「結婚は自分の納得いくタイミングで。結婚できないなら、刺される覚悟で別れてこい」ってアドバイスももらい、ああこの親にして、この子ありだなと。 お腹にジャンプをいれて刺されてもいいようにして、別れを告げに行こうかと思ったくらいです(笑 (すいません、笑う話じゃないのですが)

そこから30歳までは仕事しようって、覚悟決めました。30までは必至でいろんなことをしたかったし、自分の道が決まってないのに、結婚すると絶対挑戦できなくなるって思っていたので。わがままな考えかも知れませんが、付き合うことはあっても結婚については最近までそう思っていました。

さて、30歳直前になって自分の道も決まったし、いい人がいたら結婚は迷わずすると思いますが、その話はまた今度!

最近の話

この2年ほど、twitterがご縁でいろんな人とお会いし、いろんな活動をするようになりました。英語クラスタのオフ会に参加したのがきっかけですし、それがきっかけでブログも始めました。 朝活で出会った人達と、いろいろやらせてもらっています。

その辺りはこのブログをぜひどうぞ。

最近は復興支援に力を入れています。 最近も東北にボランティアに行ってきたし、また行きたいと思っています。

まとめになりますが、 今毎日が幸せです。仕事を辞めるからなのか、やりたいことが見つかったからなのかわかりませんが、なんか子供の頃に戻った気分です。そして、日々、いろんな人に感謝するようになりました。

これにはやっぱり震災が影響していて、3月11日震災があって、初めて死ぬって実感したし、東北に行って生と死を実感すると、尚更こういう風に思います。
人はいつか死ぬ。 明日が今日と同じような日であるとは限りません。だから、日々一生懸命生きた方がいい。自分は生かされていると、そう思っています。

今回、振返って自分が見えてきました。

  •  縁や仲間に恵まれていること
  • 武道の教えや儒教の教えが自分の考え方の基本になっている
  • 決めたら最後までとことんやる
  • やる以上は本気でやらないと気が済まないし、結果にこだわる
  • その反面、自分に合わないことはすぐに止める(いい意味で見切りが早い、悪く言うと飽きっぽい)
  •  すぐやらないと気がすまない。(これ短所でもあるので気をつけてます)
  • 今振り返ると、凹んでても結構平気。 かなり楽観的でポジティブ
  • ものごとに終わりがあることを自覚し始めた

といったことが見えてきました。気づけてよかったです。他にもあるかもしれませんが、また書きたします。

今回、書いて良かった。書く理由は2つありました。 このブログは若い人も読んでいただいているようなので、メッセージを込めて理由を書きます。

1つは部活ばっかりやっていた10代を終え、20-22歳の間に色々と迷っていた時期に決めたことがありました。 それは10年単位で人生を考えること

20-22歳のころは上にも書いたけど、かなりイヤな時期。一番凹んだ時期。そういう時は何をやってもうまくいきません。そういう時はとにかく力を蓄えること。勉強すること。 これは、その時に買った中国の古典から学んだものです。 時間のスパンを長くすることで、今の苦境を乗り越えられました。下手すると今の時代は、今の会社がイヤだから。。。とか、今の環境がイヤだから。。。とか言って、すぐ辞める人も多い。

でも、それやってたら絶対に伸びない。人には凹む時期もあるけど、それにどう対応するか? うまくいかない時は無理せず、次のチャンスに備える。 それが重要だと書いてありました。結果、20代の時は、とにかく学びの10年と決め、30代でその学んだことを実行する10年としようと決めていました。もちろん学ぶことはこれからも続くのですが、20代はとにかくいろんなことを吸収すること、辛くても結果はあとから付いてくる。という考えです。

そんな自分も20代をもうすぐ終えます。30歳を手前にして、きちんと振返りをしたかったこと。そうしないと次の10年に進めないと思っていましたし、書き終わって今考えても、やっぱりそうでした。

そして、もう一つ。書くこと、振返ることで、ありのままの自分になることです。

 

恋愛のところで書いた通り、結婚しそうな彼女と別れた後26-28歳の間によく読んでいた本がウォーレンベニスの On becoming a leader (リーダーになる) という本です。世界的に有名なリーダーシップの本で、今でも何回も読み返します。GWは日本語版を読みました。

 

この本の中に、本当の自分自身になった時に、人はリーダーシップを取り始めると書いてあります。 リーダーとは生まれながらになるものではないのです、リーダーとは自分自身でなるものなのです。いろんなレベルのリーダーがいます。ジョブズやオバマ大統領のようなリーダーになれとは言いませんが、自分の人生においては自分自身がリーダーシップをとる必要があります。人はあなたの人生にアドバイスはくれても、リーダーシップはとってくれません。 あなたの人生のリーダーシップは自分でとるしかないのです。

 

辛い時期を乗り越え、自分自身ときちんと向き合った時に、見えてくることがある。本にはそう書いてあります。 他人にどう見られるかより、他人にどう合わせるかより、自分自身が本当にしたいことは? ありのままの自分って? そういうことを見出すためには、自分との対話と、書くことが有効だと本にはあります。 そのステージにいくには、辛い時期も必要なのです。

自分の場合は、会社に入って実は孤独を感じていました。 仕事をやればやるほど、会社の人との溝は広がり、同期も近くにいない。学歴は全然違う。

仕事しかしていなかったのが原因だけど、仕事をやればやるほど孤独を感じる。そういう時にこの本に出会いました。そこから、一人でいるのも自分との対話に当てれたし、本当に自分自身のことを考えはじめました。 これまでと違うアプローチもはじめました。多分、このころから中性っぽくなった気がしています(笑 もう、パワーや権威、縦社会のそういうものでは、うまくいかない時代なんだなと気づいた時期でもあります。

 

これまでブログを2年ほど書いてきて、書くことの重要性、自分との対話の重要性はすごく感じます。 そう思って、今回きちんと時間をとって自分と向き合いました。これからの30年のために、これまでを振り返り、自分自身になり、リーダーシップをとるためにもです。

 

良かったら、このブログを読んでいただいているみなさんも、ご自身と向き合ってみてください。今は情報化社会です。テレビ、新聞、ツイッターやfacebookで情報はどんどん入ってきます。友達のリア充な写真もfacebookですぐ見れます、友達ともすぐにつながれます。

そんな忙しい時代だからこそ、一度、自分自身と向き合ってみてください。情報に惑わされず、自分自身と向き合うと、見えてくるものが必ずあります。そして、良かったらそのことを書いてみてください。本当の自分が見えてきた時に、自分の人生にリーダーシップを取り、組織でもいつの間にかリーダーシップをとっていることに気づきます。
そして、人生が少しずつ変わっていることに気づくはずです。

私の話はこれで終わります。 次は読んでいただいているあなた。 良かったら、あなたのストーリーを書いてみてくださいね。私はみんなの振返りのストーリーも見たいです。

書いたらスッキリー! これでつぎの10年に行ける気がします。読んでいただいてありがとうございました。 この30年で出会った皆様に感謝!!

これまでの30年を振りかえってみる 前編-佐世保高専に入学-

久しぶりにGWに実家に帰省してきました。盆か正月には実家に帰っていましたが、今回はイトコの結婚式があったり、もうすぐ30歳になるということで、自身のこれまでの振り返りをかねてゆっくりしてきました。

今月の末に自分は30歳。次の30年を迎えるためにも、これまでの30年を一度振り返ってみたいと思います。ここ2-3年、Facebookが縁で仲良くなった人も多いと思います。 改めて自己紹介もかねて、良かったら見てみてください

幼少期(0-5歳)

ちっちゃなころは本当におとなしい子供だったようです。保育園では、二つ上の姉の後ろについてばかりで、母親いわく「姉についている金魚のフン」みたいだったとのこと(笑

あまり外で遊ぶような子供ではなく、おとなしく、実は女の子とばっかり遊んでいたようです。2つ上に姉、2つ下に妹がいたので仕方ないかもしれませんが。。。実は、実家には女の子みたいに髪が長い写真も存在しています(笑 おとなしい、優しい、女の子みたいな長髪の子供がある日をきっかけに変わります。父親と散歩した時に見た、柔道と綱のぼりに興味をひかれ、いつの間にか柔道を始めることに。

長かった髪の毛は、ばあちゃんが次の日にはバリカンで坊主にしていたそうな。
女の子みたいな長髪 ->マルコメ味噌のような丸坊主 と一気に変貌をとげることになります。

小学校時代(5-12歳)

(写真は通っていた南小学校)

小さいころの記憶は、本当に柔道しかありません。夏休みの日記は、「今日は柔道をしました!」みたいなのばっかり(笑  5歳から始めた柔道は10年続きます。柔道を始めた当初、同級生はおらず、柔道の先生の男兄弟のお二人と遊ぶことが増えます。自分には男兄弟がいなかったので、正直に憧れていた部分があると思う。お二人にはいつまでも感謝していますし、これからも憧れの先輩でもあります。

幼稚園にはいり、幼稚園の廊下で受身やほふく前進を遊んでやっていたら、いつの間にか柔道に興味持ってくれる人が増えはじめ、柔道の仲間は増えていきます。小学生になっても仲間は増え、仲の良いともだちはみんな柔道部じゃん(笑 みたいな状況に。

同級生が増え、練習が楽しくなれば、それなりにみんな試合で勝ちだします。小6のころには、県大会の上位にも入るようになり、そのころから大人の人と練習したり、遠征が増えはじめます。土日もほとんど柔道で、両親や兄弟が遠出するときにいつも置いてきぼりの柔道バカでした(笑

中学校時代(13-15歳)

中学校も柔道しかしていません(笑 基本的に5-15歳は柔道バカです。 入学する前から柔道部に入ることは、決まっていたし(半ば強制的に笑)、友達も多かったし、楽しかった。このころ、先輩が県大会で上位に入ったり、九州大会に行きはじめ、柔道部の練習は厳しさをまし、自分たちの代にも県大会優勝の期待がかかります。

このころ、練習は大変でひたすら練習し、家に帰ったらひたすら食べるの繰り返し。 先生に牛乳は1日1リットル以上飲むように言われていたので、多分2リットルは軽く飲んました。 ご飯食べる前に1リットルくらいガブ飲みして、ご飯と一緒にまた牛乳を飲む。練習が一番きつかった金曜日の夜は、普通の晩御飯に必ず、ラーメンと惣菜のチキンのデカイのがついてきてました。 今考えると、多分食費はすごくかかったと思います。

こんなに食べても、体重は増えず、ずっと中軽量級。その分、運動量が半端なかった。この練習のおかげで、中体連は念願の吉井中学校の団体での県大会優勝。全国大会へ出場します。自分は最後の最後までレギュラー争いをしてたけど、無事レギュラーとして全ての大会に出場。 県内の優勝旗は総ナメにしてました。

全国大会はさすがにレベルが違って、予選で負けたのだけど、この時に上には上がいることを学びます。

あと、中学校のころはなぜか朝から新聞配達するのが流行っていて、自分も朝から新聞配達やっていました。朝5時くらいからチャリに乗って、新聞配るのをトレーニングの一環とでもしていたし、友達もやっているし、それでお金もらえるならいいじゃん! みたいなノリで。 早く起きるのが得意なのはこういう理由もあるかもしれません。

そんな部活ばっかりやっていた時期も終わり、受験シーズンが訪れます。 自分は進学校に進んでそのまま大学に行くという、道があまりしっくりこず、県内で一校しかない国立の佐世保高専にチャレンジすることに。 偏差値という言葉は未だに良く分かりませんが、高専は長崎ではトップクラスの学校だったので、受験勉強はマジでした。

必死に勉強した結果、無事合格。この高専の受験が、人生で最初で最後の受験勉強になりました。

ちなみに高専をご存じでない方のために、

高等専門学校は、主に中学校卒業程度を入学資格とし、修業年限5年(商船学科のみ5年6カ月)間の課程のもと、主に工学・技術系の専門教育を施すことによって、実践的技術者[3]を養成することを目的にした教育機関である。 wikipediaより

-> 一言でいうと高校と短大が合体したような学校です。エンジニアを育てるために国が定めた教育機関であり、高校1年生のころから専門の勉強をさせられます。よく間違われますが、職業訓練校ではありません。

佐世保高専時代 (16-20歳)

佐世保高専は実家から遠かったので、寮に入ることになります。寮には1年生のころは男子は結構入っていて、みんなとすぐに仲良くなります。また、当時の高専では週休2日を取っていたり、就職率が高かったりと、倍率も高く、人気。 それを目当てで入学する、すこし普通とは違う人が多かったのも事実。

普通に進学校に進んで、大学に入る。という普通の人の道をあえて進まないのだから、変人が多かったのは今考えると普通かもしれませんが(笑  このころから変人が周りに多かったのは、運命かもしれません(笑

ただ、やっぱり超頭いい人もいっぱいいた。 ガリ勉とかじゃなくって、オタクというか、変人というか、数学すごい人とか、パソコンとかプログラミングに超詳しい人とか。その時なんて、Windows 95がでたばかりだから、パソコン?? インターネット?? っていう時代に、普通にパソコンも寮にあったし、学校ではネットができてた。 この環境は今考えると、リテラシーがついて良かったと思う。

高専が高校と違う点は、大きく3つあって

  1. 赤点が60点。勉強しないとすぐ留年する
  2. 5年生であるため、3年生の時に大学入試がない。 ->ある程度時間に余裕がある
  3. 基本、自由 ->4,5年生は短大生と同じようなものであり、私服で車で登校してきます。

遊ぶ時間もあるし、校則はめちゃくちゃ自由。部活やってもいいし、バイトやっても、ロボコンやってもいいけど、きちんと勉強しないと留年するよ。という、自立が求められる環境でした。周りには高校のころからピアス開けてたり、金髪だったり、バイトしてたりと、普通の高校に行ってたらありえないような状況でした。

さて、こんな自由な環境で自分が選んだのは、結局部活(笑

最初は、柔道部に入部しました。ただ、柔道が強い学校じゃなかったので、厳しい練習に慣れていた自分には物足りなくなります。他の学校に勝手に練習に行ったりするも、他の学校にいった友達の成長ぶりを見て焦る。。。といった日々を10カ月ほど過ごします。

そんな時に、トレーニング器具の揃ったボート部の部室に筋トレに行きます。その時に真剣にやってる人達、それとそこにいる同級生が面白く、その時のノリでボート部に入部することに。10年続けた柔道とノリで入ったボート部。 もちろん、悩みましたが、結果としてボートの道を選びました。(柔道を辞めると5歳からお世話になった先生に伝えるときは、さすがに申し訳なくて電話ボックスで大泣きしました)

この決断が功を奏したのか、高専の時代はこのボート部の時代になります。ボート部のメンバーは全員が寮に入っていたこともあり、部活、勉強、恋愛の話なんかでいつも一緒にいることになります。 常に一緒にいるし、仲間と一緒だから部活が面白い。 必然的にボート部でも結果が出てきます。 これは柔道のころと同じで、楽しい ->続く ->結果がでる というよいサイクルですね

実は高校でボート部があるところ自体が少なく、県内も3校しかありません。インターハイの県予選は、3校でヨーイドンで一着の所が優勝です。 予選も何もあったもんじゃありません(笑ただ、大村高校っていう全国大会でも強い名門校があって、そこに高専のボート部はずーっと勝てていませんでした。

自分たちが2年生のころ、新人戦で初めて大村高校を破り、県大会で優勝します。 九州大会でも優勝しちゃって、全国大会にでることに。3月の超寒いなか、静岡の天竜川であった全国大会では、7位に入賞。この時、初出場で7位入賞をし、初めて「日本一」という目標がうまれてきました。 本番の3年の夏のインターハイでは、全国大会の決勝まで進み、そのレースで勝てば日本一! というところまで行きますが、結果は6位入賞。

日本一にはなれませんでしたが、いい思い出です。 さすがにこのインターハイの決勝は緊張してレース前に胃が痛かったのを覚えています。 その後、ボートでは18,19,20歳のころに国体に3度出場。インターハイ6位入賞、国体3度出場という、実は超体育会系の青春時代でした。

(写真左上はインターハイの時の様子、それ以外は今のボート部の部室のもの)

ここまで書いてきましたが、読んでいただいた通り、この間は本当に部活しかやっていませんでした。 1に部活 2に友達 3に勉強 それにバイトが少しという、すごく部活と友達中心の生活でした。

この20歳を超えた辺りから英語を勉強したり、読書を始めたり、はじめて凹んだりと今につながるさまざまなことが起き始めます。

ということで、少々長くなりそうなので次回に続く!

P.S
自分で書いていて少々恥ずかしくなってきました。なぜこんなことを書いているかと言うと、このように振り返るとか自分自身に向き合うことで、本来の自分自身が見えてくると言われています。(病んでて過去に戻りたいとか、そういう話ではありませんのでご心配なさらずに!)

他人に惑わされずに「自分自身になる」、「ありのままになる」になった時、人は本当のリーダーシップを取り始めると言われています。 あえて、オープンに書いているのも、これからの自分に必要だからです。 もしよければ次回の記事もお付き合いください。そして、よければみなさんもご自身と向き合うことをやってみてくださいね。

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竹の節目に学ぶ元旦。今年は30歳です

ついに2012年。明けましておめでとうございます。今日は朝早くからランニングをし、2012年のスタートを切りました。今年でぼくは30歳。文字通り、一年を走りだしてのスタートです。

この走りだしたことには意味があります。私の母は節目を大事に。と昔から言っていました。

年の始まりの元旦、月の始まりの1日、週の始まりの月曜、一日の始まりの朝。これらの節目を大事にしなさい。一本まっすぐ伸びている竹も、節があることで風邪で揺れても大丈夫。
一本まっすぐ何もない竹だと、途中で折れてしまうけど、それぞれの節が揺れを吸収することで、竹は風にも雨にも負けずに伸びている。人の人生も時に浮き沈みがある。竹にも節目があるように、人生の途中の節目を大事にし、まっすぐしなやかに伸びていきなさい。


と教えてもらいました。
いろんなことがあった2011年。1年明けて、2012年は自分自身にとっても重要な年です。その元旦、その朝に走り出せたことはよい節目を迎えられたと思っています。

私は今年の5月に30歳になります。20歳のころ決めた目標は、20代の10年は学びの10年。30代は行動の10年です。これから10年、これまで学んだことを元に、今まで以上に動き、羽ばたく年にしたいと思っています。 (もちろん継続して学ぶことも)

そしてもう一つ。2012年はこれからの30年に向けて、自分の人生の目標に向けてのスタートの年です。昨年、ようやく決まった自分の道。30年かけて、自分が本当にやりたいこと、一生を懸けて取り組む道が見つかりました。

30までにやりたいことを見つけろ。 これは父が昔から言っていた事です。自分探しと言えばそれまでですが、社会にでて、いろんなことを学び、見えてきた自分の方向性。自分が生きてきたこれまでの30年と同じこれからの30年。一歩ずつ歩んでいこうと思います。

年末のブログにも書きましたが、いろんなことを変えた2011年。
2012年は、動く準備はできています。
これまで以上に動きまわります。 これまで以上に熱いと思います。(うっとおしいくらいに熱いと思いますw)

このブログを見ていただいている方や、まだお会いしたことのない方ともいろんなご縁があり、素敵な年になると思っています。

今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

2012年、元旦 野田 祐機

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