野田祐機のブログです

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人生 30歳

これまでの30年を振りかえってみる 前編-佐世保高専に入学-

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久しぶりにGWに実家に帰省してきました。盆か正月には実家に帰っていましたが、今回はイトコの結婚式があったり、もうすぐ30歳になるということで、自身のこれまでの振り返りをかねてゆっくりしてきました。

今月の末に自分は30歳。次の30年を迎えるためにも、これまでの30年を一度振り返ってみたいと思います。ここ2-3年、Facebookが縁で仲良くなった人も多いと思います。 改めて自己紹介もかねて、良かったら見てみてください

幼少期(0-5歳)

ちっちゃなころは本当におとなしい子供だったようです。保育園では、二つ上の姉の後ろについてばかりで、母親いわく「姉についている金魚のフン」みたいだったとのこと(笑

あまり外で遊ぶような子供ではなく、おとなしく、実は女の子とばっかり遊んでいたようです。2つ上に姉、2つ下に妹がいたので仕方ないかもしれませんが。。。実は、実家には女の子みたいに髪が長い写真も存在しています(笑 おとなしい、優しい、女の子みたいな長髪の子供がある日をきっかけに変わります。父親と散歩した時に見た、柔道と綱のぼりに興味をひかれ、いつの間にか柔道を始めることに。

長かった髪の毛は、ばあちゃんが次の日にはバリカンで坊主にしていたそうな。
女の子みたいな長髪 ->マルコメ味噌のような丸坊主 と一気に変貌をとげることになります。

小学校時代(5-12歳)

(写真は通っていた南小学校)

小さいころの記憶は、本当に柔道しかありません。夏休みの日記は、「今日は柔道をしました!」みたいなのばっかり(笑  5歳から始めた柔道は10年続きます。柔道を始めた当初、同級生はおらず、柔道の先生の男兄弟のお二人と遊ぶことが増えます。自分には男兄弟がいなかったので、正直に憧れていた部分があると思う。お二人にはいつまでも感謝していますし、これからも憧れの先輩でもあります。

幼稚園にはいり、幼稚園の廊下で受身やほふく前進を遊んでやっていたら、いつの間にか柔道に興味持ってくれる人が増えはじめ、柔道の仲間は増えていきます。小学生になっても仲間は増え、仲の良いともだちはみんな柔道部じゃん(笑 みたいな状況に。

同級生が増え、練習が楽しくなれば、それなりにみんな試合で勝ちだします。小6のころには、県大会の上位にも入るようになり、そのころから大人の人と練習したり、遠征が増えはじめます。土日もほとんど柔道で、両親や兄弟が遠出するときにいつも置いてきぼりの柔道バカでした(笑

中学校時代(13-15歳)

中学校も柔道しかしていません(笑 基本的に5-15歳は柔道バカです。 入学する前から柔道部に入ることは、決まっていたし(半ば強制的に笑)、友達も多かったし、楽しかった。このころ、先輩が県大会で上位に入ったり、九州大会に行きはじめ、柔道部の練習は厳しさをまし、自分たちの代にも県大会優勝の期待がかかります。

このころ、練習は大変でひたすら練習し、家に帰ったらひたすら食べるの繰り返し。 先生に牛乳は1日1リットル以上飲むように言われていたので、多分2リットルは軽く飲んました。 ご飯食べる前に1リットルくらいガブ飲みして、ご飯と一緒にまた牛乳を飲む。練習が一番きつかった金曜日の夜は、普通の晩御飯に必ず、ラーメンと惣菜のチキンのデカイのがついてきてました。 今考えると、多分食費はすごくかかったと思います。

こんなに食べても、体重は増えず、ずっと中軽量級。その分、運動量が半端なかった。この練習のおかげで、中体連は念願の吉井中学校の団体での県大会優勝。全国大会へ出場します。自分は最後の最後までレギュラー争いをしてたけど、無事レギュラーとして全ての大会に出場。 県内の優勝旗は総ナメにしてました。

全国大会はさすがにレベルが違って、予選で負けたのだけど、この時に上には上がいることを学びます。

あと、中学校のころはなぜか朝から新聞配達するのが流行っていて、自分も朝から新聞配達やっていました。朝5時くらいからチャリに乗って、新聞配るのをトレーニングの一環とでもしていたし、友達もやっているし、それでお金もらえるならいいじゃん! みたいなノリで。 早く起きるのが得意なのはこういう理由もあるかもしれません。

そんな部活ばっかりやっていた時期も終わり、受験シーズンが訪れます。 自分は進学校に進んでそのまま大学に行くという、道があまりしっくりこず、県内で一校しかない国立の佐世保高専にチャレンジすることに。 偏差値という言葉は未だに良く分かりませんが、高専は長崎ではトップクラスの学校だったので、受験勉強はマジでした。

必死に勉強した結果、無事合格。この高専の受験が、人生で最初で最後の受験勉強になりました。

ちなみに高専をご存じでない方のために、

高等専門学校は、主に中学校卒業程度を入学資格とし、修業年限5年(商船学科のみ5年6カ月)間の課程のもと、主に工学・技術系の専門教育を施すことによって、実践的技術者[3]を養成することを目的にした教育機関である。 wikipediaより

-> 一言でいうと高校と短大が合体したような学校です。エンジニアを育てるために国が定めた教育機関であり、高校1年生のころから専門の勉強をさせられます。よく間違われますが、職業訓練校ではありません。

佐世保高専時代 (16-20歳)

佐世保高専は実家から遠かったので、寮に入ることになります。寮には1年生のころは男子は結構入っていて、みんなとすぐに仲良くなります。また、当時の高専では週休2日を取っていたり、就職率が高かったりと、倍率も高く、人気。 それを目当てで入学する、すこし普通とは違う人が多かったのも事実。

普通に進学校に進んで、大学に入る。という普通の人の道をあえて進まないのだから、変人が多かったのは今考えると普通かもしれませんが(笑  このころから変人が周りに多かったのは、運命かもしれません(笑

ただ、やっぱり超頭いい人もいっぱいいた。 ガリ勉とかじゃなくって、オタクというか、変人というか、数学すごい人とか、パソコンとかプログラミングに超詳しい人とか。その時なんて、Windows 95がでたばかりだから、パソコン?? インターネット?? っていう時代に、普通にパソコンも寮にあったし、学校ではネットができてた。 この環境は今考えると、リテラシーがついて良かったと思う。

高専が高校と違う点は、大きく3つあって

  1. 赤点が60点。勉強しないとすぐ留年する
  2. 5年生であるため、3年生の時に大学入試がない。 ->ある程度時間に余裕がある
  3. 基本、自由 ->4,5年生は短大生と同じようなものであり、私服で車で登校してきます。

遊ぶ時間もあるし、校則はめちゃくちゃ自由。部活やってもいいし、バイトやっても、ロボコンやってもいいけど、きちんと勉強しないと留年するよ。という、自立が求められる環境でした。周りには高校のころからピアス開けてたり、金髪だったり、バイトしてたりと、普通の高校に行ってたらありえないような状況でした。

さて、こんな自由な環境で自分が選んだのは、結局部活(笑

最初は、柔道部に入部しました。ただ、柔道が強い学校じゃなかったので、厳しい練習に慣れていた自分には物足りなくなります。他の学校に勝手に練習に行ったりするも、他の学校にいった友達の成長ぶりを見て焦る。。。といった日々を10カ月ほど過ごします。

そんな時に、トレーニング器具の揃ったボート部の部室に筋トレに行きます。その時に真剣にやってる人達、それとそこにいる同級生が面白く、その時のノリでボート部に入部することに。10年続けた柔道とノリで入ったボート部。 もちろん、悩みましたが、結果としてボートの道を選びました。(柔道を辞めると5歳からお世話になった先生に伝えるときは、さすがに申し訳なくて電話ボックスで大泣きしました)

この決断が功を奏したのか、高専の時代はこのボート部の時代になります。ボート部のメンバーは全員が寮に入っていたこともあり、部活、勉強、恋愛の話なんかでいつも一緒にいることになります。 常に一緒にいるし、仲間と一緒だから部活が面白い。 必然的にボート部でも結果が出てきます。 これは柔道のころと同じで、楽しい ->続く ->結果がでる というよいサイクルですね

実は高校でボート部があるところ自体が少なく、県内も3校しかありません。インターハイの県予選は、3校でヨーイドンで一着の所が優勝です。 予選も何もあったもんじゃありません(笑ただ、大村高校っていう全国大会でも強い名門校があって、そこに高専のボート部はずーっと勝てていませんでした。

自分たちが2年生のころ、新人戦で初めて大村高校を破り、県大会で優勝します。 九州大会でも優勝しちゃって、全国大会にでることに。3月の超寒いなか、静岡の天竜川であった全国大会では、7位に入賞。この時、初出場で7位入賞をし、初めて「日本一」という目標がうまれてきました。 本番の3年の夏のインターハイでは、全国大会の決勝まで進み、そのレースで勝てば日本一! というところまで行きますが、結果は6位入賞。

日本一にはなれませんでしたが、いい思い出です。 さすがにこのインターハイの決勝は緊張してレース前に胃が痛かったのを覚えています。 その後、ボートでは18,19,20歳のころに国体に3度出場。インターハイ6位入賞、国体3度出場という、実は超体育会系の青春時代でした。

(写真左上はインターハイの時の様子、それ以外は今のボート部の部室のもの)

ここまで書いてきましたが、読んでいただいた通り、この間は本当に部活しかやっていませんでした。 1に部活 2に友達 3に勉強 それにバイトが少しという、すごく部活と友達中心の生活でした。

この20歳を超えた辺りから英語を勉強したり、読書を始めたり、はじめて凹んだりと今につながるさまざまなことが起き始めます。

ということで、少々長くなりそうなので次回に続く!

P.S
自分で書いていて少々恥ずかしくなってきました。なぜこんなことを書いているかと言うと、このように振り返るとか自分自身に向き合うことで、本来の自分自身が見えてくると言われています。(病んでて過去に戻りたいとか、そういう話ではありませんのでご心配なさらずに!)

他人に惑わされずに「自分自身になる」、「ありのままになる」になった時、人は本当のリーダーシップを取り始めると言われています。 あえて、オープンに書いているのも、これからの自分に必要だからです。 もしよければ次回の記事もお付き合いください。そして、よければみなさんもご自身と向き合うことをやってみてくださいね。

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  • この記事を書いた人

野田祐機

外資系企業、NPOを経て、2016年に株式会社forsistersを起業。eiffelという手紙サービスをやっています。 28歳からブログを始め、コミュニティーやこれからのトレンド、古典、英語学習などの記事を書いています。 プロフィールはこちらから http://learnbydoing.jp/aboutme/

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